辞書ならでは
「辞書」に対する私のイメージは、「分厚い」「文字が小さい」これが必須だ。
著書「ブラームスの辞書」は、辞書と名乗りながら微妙だ。A5判400ページは、「分厚い」という表現が当たっているか自信が無い。思いの丈が予算に負けて泣く泣く400ページにした恨みはきっと一生ついて回るだろう。
一方その「ブラームスの辞書」の宣伝用にと立ち上げた当ブログ「ブラームスの辞書」が、どうやら面白くなってきた。記事の本数が4000に近づき、内容はともかく量だけはまとまってきた。はじめて訪れた人に全編の読破を一瞬で諦めさせるだけの量になってきたかもしれない。これはまさに辞書の特徴そのものだ。実際の辞書は、お役に立つには違いないが始めから終わりまで通読するようにはなっていない。分厚さや文字の細かさが、通読の決意をためらわせる。
ブログ「ブラームスの辞書」も同じだ。気に入ったところだけ拾って読むのが現実的だ。はじめて訪れた人が、バックナンバーやカテゴリーを見て「こりゃいかん」と思ってくれれば本望である。それでこそ辞書だ。立ち上げ当初は「辞書」を名乗るのがおこがましかった。ペラペラのパンフレット状態だったからだ。
この調子である。
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