ビスマルク引退
ウィルヘルム2世との確執は、半ば想定されたものだった。皇帝親政を指向するウィルヘルム2世と鉄血宰相の衝突は時間の問題。1890年3月18日ビスマルクは辞表を提出してフリードリヒスルーに隠居した。
ドイツ国内の反応はさまざま。後のノーベル文学賞受賞者で、進歩党に所属するモムゼンは、ドイツ統一を達成した実行力をたたえる一方で、手法の強引さも冷静に指摘する。ビスマルクの功績はそのまま軍事力による他国からの領土獲得だったから、いずれ取り返されるのではと危惧する。剛腕ゆえの敵の多さにも起因してか賞賛一辺倒ではなかった。
ところが海外の反応はおしなべて「引退を惜しむ」という論調。1871年普仏戦争以降、欧州中枢部で戦争が起きなかった功績はビスマルクにあるという評価。常に仮想敵国であり、煮え湯を飲まされ続けたフランスのマスコミでさえ、老雄の引退を惜しむ記事を奉りつつ、ビスマルクの後継者の資質に疑問を指しはさむ。フランス包囲網はたしかにフランスを孤立させはしたが、プロイセンはけしてフランスに攻め込まなかったことこそ記憶すべきだと。英国、ロシア、オーストリアなどの列強も結局はビスマルクの構築したおよそ30年の平和の果実を享受した。
やがて回想録の執筆が始まる。本人の記憶に裏づけ資料を紐付けながら、腹心たちが原稿を書き下ろす全6巻の大著。このうち1巻と2巻がビスマルク没後すぐの秋に刊行された。飛ぶような売れ行きで欧州の紙価を高め、わずか2週間で30万部が売れた。第3巻は、現帝への批判に満ちているので第一次大戦後の出版になったが、それでも19世紀ドイツ出版界最高のベストセラーとなり、この上を行くのは聖書だけとも言われた。刊行2週間後には英国で英語版がリリースされこちらもベストセラーになった。
ブラームスは既にこの世を去っていたので彼はこの大ベストセラーを読んでいなかった。健在なら絶対に購入していたと思う。
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