楽悲傍達の間
「楽悲傍達」とは聞きなれない。私の造語だから無理もない。この4文字の後ろに「観」という文字を補うといい。「楽観」「悲観」「傍観」「達観」という言葉が出来上がる。
ブログ「ブラームスの辞書」運営の心構えを言い表している。これら4つの境地ではないということだ。「楽観も悲観もしていない上に、傍観ほど他人行儀ではない。はたまた達観というほど冷めてもいない」くらいの意味合いだ。
楽観していないことがトップに来る。油断していないと言い換えることも出来る。次に来るのは悲観していないということ。ハードルは高いがクヨクヨはしないという決意が2番手である。さらには傍観でもないと続く。他人事ではないですとの宣言。当たり前だ。記事を連ねることそれ自体が継続だから、止まるも行くも自分次第。最後に達観でもないとしめくくる。お気づきの事とは思うが、「冷めていません」との宣言。
2033年5月7日のフィニッシュまで長丁場だ。クヨクヨしてはいけない。けれども記事のひねり出しに余裕がある訳ではない。けれども他人事ではない。記事を生むも生まぬも自分次第だ。なすがままにというような悟りの境地でもない。
達成までの残り記事が少なくなったら変わってゆくかもしれない。
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