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2015年3月19日 (木)

ヨーロッパコンサート

どこぞのオーケストラの欧州公演のことではない。

19世紀の欧州。英仏独墺露の5大国が君臨した時代。彼らは競って海外に植民地を求めた。本国から遠く離れた植民地で、列強同士の利害の衝突も起きてくる。植民地をめぐる列強同士の利害関係は、話し合いで解決されるのが恒例になっていた。その話し合いの場のことを、比喩的に表現したのが「ヨーロッパコンサート」だ。関係当事者の外相会談で植民地関連の揉め事が解決されている。植民地現地の意向は当然のように無視された。

欧州内での揉め事の際にも発動した。地中海が絡むときにのみイタリアも呼ばれた。

日清戦争の講和条約だった下関条約に対し、ヨーロッパコーンサートの面々は、不快の意思表示をした。ドイツがフランスとロシアを誘って三国干渉に踏み切ったとされているが、1878年の露土戦争以降、ドイツがヨーロッパコンサートを仕切っていたことから、ドイツが積極的に動いたと説明される。当初は英国にも声をかけていたらしい。アヘン戦争頃から列強の中国への進出が頻繁になったのだが、日本の台頭がそのバランスを崩すと懸念したことは間違いない。日露戦争の仲裁者がアメリカだったのはヨーロッパコンサートの面々にとっては、不愉快な出来事。

日清戦争後に、欧州列強が日本に横槍を入れることをブラームスが予期していたという話は、チャールズ・スタンフォードが証言しているが、ヨーロッパコンサートの存在を意識していれば、予測はさして難しくなかったのかもしれない。

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