砲台の名前
ビスマルクが没した1898年まさにその年に、ドイツは清国からの租借地に要塞を築いた。チンタオ要塞だ。1914年第一次大戦が起きると日英同盟を大義名分として日本がチンタオを攻める。10月31日が攻撃開始の日とされている。
要塞内にはおよそ4500名が立て籠もったが、11月7日に降伏し約4000名が捕虜になった。チンタオ要塞攻撃に参加した日本軍は2万数千とされている。降伏の前日にチンタオ要塞の5つの砲台に日本兵が取り付いて攻撃を開始したことで、降伏に踏み切ったらしい。表向きの名目は弾薬が尽きたことだった。
その5つの砲台の名前の中に、「ビスマルク北」「ビスマルク南」「モルトケ」があった。防御施設の要塞にとって砲台は力の象徴だ。これら一基ごとに名前が付けられているのは当然だと思う。そこにビスマルクやモルトケの名前を採用するのも何だかピッタリと来る。要塞の建設の年に亡くなった鉄血宰相と軍神モルトケにあやかって、武運を祈るのだ。
総司令官ヴァルデック大佐は、その後千葉県の習志野に収容されていた。
« ユーリエ生誕170年 | トップページ | 参考文献 »
« ユーリエ生誕170年 | トップページ | 参考文献 »
コメント