欧州の警視総監
こんなものが現実に存在する訳ではない。欧州秩序維持の中心をになった人物の比喩でしかない。最初はいささか疑問無しとしないが、行きがかり上ナポレオン。神聖ローマ帝国に引導を渡すなど、ドイツは蹂躙された。ほぼ欧州全域が彼の軍門に下った。
ナポレオン失脚後の欧州を仕切ったのがオーストリアのメッテルニヒ。ナポレオン前の体制に戻すことをコンセプトにおよそ30年総監の座にあったが、3月革命で失脚。
メッテルニヒの後任はと探すとやはりナポレオン3世しかいない感じ。普仏戦争での大敗でイメージは悪いけれど、それまでの実績は立派である。
そのナポレオン3世に引導を渡したのが他でもないビスマルク。昨日言及したビスマルク体制だ。普仏戦争までの10年間は武力に訴えたが、ドイツ帝国成立後は豹変する。武力はあくまでも伝家の宝刀で、抜くぞ抜くぞと見せかけつつ外交で欧州を仕切った。
後任を育てないまま、ウイルヘルム2世との確執でビスマルクが辞任すると、欧州の平和は揺らぎだす。ドイツはフランスとの関係はそのままに英露との関係を悪化させてしまう。第一次大戦にまっしぐらとなる。
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