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2015年4月30日 (木)

書けないというストレス

ココログの管理画面では、記事一覧表を表示させることが出来る。表示にあたって1ページに記載される記事の本数を5、20、50から選べる。記事の本数が増えたので私はいつも50本だ。

50本ともなるとパソコンの画面に全部は表示できないから、上下にスクロールをすることになる。一番下までスクロールしたところにある「次へ」ボタンをクリックすることで新たな50本が表示される。この「スクロール&クリック」がどうにも嫌で、当初は記事備蓄の本数を最大50本までと、自分で制限していた。

記事は新しい順に表示されるから、こうしておけば未公開記事50本がページめくり無しで一目瞭然だ。これはこれでとても美しい。

ところが、備蓄上限50本という自主規制は別のストレスを生み出した。備蓄記事が50本あるうちはネタを記事に出来ないという悩みだ。例によってネタの思いつき方には波動があるから、思いついたときには心ゆくまで書きたいのだ。頭の中でネタが飽和し、記事化の順番待ちの列が出来はじめた。

結局、備蓄本数50本という上限を自ら撤廃した。同時にココログ管理画面の他に、別のエクセルファイルでの記事管理を始めた。主に備蓄記事の検索効率を上げるためだ。

かくして現在は、かれこれ1200本の備蓄記事がある。「スクロール&クリック」を24回しないといけない量だ。しかし、それでも記事が書けないストレスに比べれば数段ましだということだ。

スペシャルコンサートまであと9日。

2015年4月29日 (水)

大前提

物事の存亡の基礎となる条件のことか。

我が「ブラームスの辞書」にもある。「ブラームスが音楽用語を周到に取り扱っていた」と信じることが大前提になっている。自作楽譜上に記す音楽用語の選択、配置に細かく気を配っていたと信じることだ。万が一ブラームスがその点、実は無頓着だったなどということが判明してしまうと、我が書籍もブログもたちまち瓦解する。

学生時代からブラームスに接してきた経験から申して、その点ブラームスは細かな整合性をもおろそかにしないという手応えがあった。だからブラームスの全作品に分布する音楽用語を抜き出して集計しようなどという大それたことを思いついた。

「印刷刊行された楽譜をもとに集計している限り、そこから得られるのはブラームスの癖ではなく、校訂者の癖に過ぎない」という突っ込みがあれば、揚げ足の1つや2ついつでも喜んで進呈する用意がある。少なくとも「校訂者の癖」にはたどり着くことが出来る。校訂者の癖を体系的に分類出来れば、それはそれで興味深い。後に自筆譜を参照する機会に恵まれれば、それとの差異からどれほどの有益な情報が得られるか計り知れない。

そしてさらに重要なのは、万が一この前提が崩れるなら崩れるで、その時は相当な数の記事が書けるに違いないということだ。

スペシャルコンサートまであと10日。

2015年4月28日 (火)

とってつけた方針

今でこそ記事をブラームスネタに限るのがブログ「ブラームスの辞書」の揺るがぬ方針だが、2005年5月30日に開設した当初は、必ずしもそうではなかった。

弱小自費出版本だから、早々に書店の店頭露出を諦めたが、かといって売るための施策があったわけではない。昨今はやりのブログでも立ち上げて細々と注文を待つかくらいの受け身の姿勢だった。

立ち上げたブログが、ネタ不足ではやばやと立ち往生というのはカッコ悪いと漠然と思っていたから、少々ネタが貯まるまで開設を延期した。それでもそのときはブラームスネタ限定のブログにするなどとは思っていなかった。

定かな記憶はないが、いつの間にか「ブラームスネタ限定」「毎日更新」が譲れぬコンセプトになっていた。自分の首を絞めるような自主規格にも見えるが、実はこれこそが長続きの秘訣にもなっているのだ。

今感じているのは、絞っても絞ってもまだネタが湧いて出るブラームスの偉大さである。

スペシャルコンサートまであと11日。

2015年4月27日 (月)

書かないという主張

私に関して申せば記事は、文字の羅列。そこからブラームスへの思いを何とか浮かび上がらせようと格闘しているところだ。譜例や画像は本当に少ないから、文字の羅列という要素が幅を利かせている。

書くことが唯一の主張と申してよい。それが自然だが、実は記事の総数がソコソコ増えてくると別の切り口も見えてくる。それが本日のお題「書かないという主張」だ。3600を超える記事を公開しながら言及されていないことに意味が出てくる。言及を避けることに意味があるのだ。

  1. クララとブラームス 芸術のパートナーとしての2人の関係については再三言及している一方、恋愛の当事者としての2人の関係を取り上げることは無かった。
  2. 演奏家論 ブラームス作品の演奏を横並びにし、演奏家による違いの「好き、嫌い、良い、悪い」に言及した記事がない。わずかに4~5人「良い」という切り口で言及したことがある。

2者に共通するのは、私が話題に取り上げなくても世の中にはこれらについての文章がたくさんあるということだ。クララとブラームスを切り口に据えた恋愛ネタは、これを取り上げることと記事の品格を両立する自信が無いということだ。大半を推測に頼らねばならないから、さじ加減が難しい。ブラームス生誕200年までブログを継続するうちに、その辺りを克服する筆力がついたら取り上げるかもしれない。

2番目の演奏家論不在もまた私の能力に起因する。同じ作品を演奏しながら、演奏者によって差異が出ること自体は疑う余地は無いが、その差異を毎度聞きわける耳を持っていない。聞きわけが満足に出来ないのだから、「好き嫌い」はともかく「良い悪い」の議論が出来るハズがない。ましてや人様にお勧めなどもっての他である。クララ&ブラームスの恋愛ネタは、いずれ言及する日が来るかもしれないが、こちらは絶望だ。

本当は我が家にあるCDについてあれこれと屁理屈を弄すれば数百本の記事になることは明白だ。「ブラームスお気に入りCD」などというカテゴリーを立ち上げれば、それなりに盛り上がるだろう。アクセスのされ方を研究する限り、アクセス増の早道にでもなりそうだ。これに背を向けるのは記事の本数稼ぎという面でも、アクセス獲得という面でもマイナスだがやむを得ない。

スペシャルコンサートまであと12日。

2015年4月26日 (日)

3要素

3大Bを持ち出すまでもなく、人々は「3~」が好きだ。「日本三景」「三名園」「三筆」「三蹟」などなど、きっと1冊本が書けるだろう。

音楽の時間にも習う。「旋律」「リズム」「和音」だ。これをひねって「曲」「メンツ」「気合い」などと洒落てみたこともある。

ブログ「ブラームスの辞書」の運営にも「3要素」がある。自らを律するために心がけていることだ。

  1. 記事の内容 申すまでもない。気合いの入ったブラームスネタ、他所でなかなか読めないブラームスネタのことだ。
  2. 発信のタイミング せっかくのネタがもっとも生きるタイミングで公開することだ。ぬるいタイミングで公開するくらいなら1年待つほうがよっぽどいい。
  3. 記事の並び方 複数の記事の並び方に気を配る。上記2で発信のタイミングに気を配ることで、結果として記事の並び方に意思を込めることが出来る。

あくまでも自己満足。

スペシャルコンサートまであと13日。

2015年4月25日 (土)

3つの口

「お袋」「胃袋」「堪忍袋」をもって「3つの袋」と称し、結婚披露宴のスピーチに盛り込まれることが多い。今や有名になり過ぎたが面白い。本日のタイトル「3つの口」はこれに類する話である。

「3つの口」とは私のブログ運営の心得である。

1つ目は「切り口」だ。ブラームスネタに限るという大前提は譲れぬとして、ブラームスに関する話題の着眼が新鮮であれと常に自分に言い聞かせている。この着眼がつまり「切り口」である。作品解説やお奨めCDなどの切り口では、独自性を発揮しにくいと考えている。

2つ目は「語り口」だ。新鮮な切り口で取り上げた話題も、ふさわしい言い回しを得て初めて説得力を持つと考える。個々の記事の中の構成はもちろんのこと、前後の記事との連携もここに加えて良い。

最後3つ目は「減らず口」。ことブラームスに関しては「一言多い」くらいがちょうど良い。2033年5月7日までの継続を考えた場合、どんな些細なネタにでも飛びつかざるを得ない。普通なら1本の記事でおさまるネタでも、何とか膨らませて数本の記事にするためには、「沈黙は金」などとカッコをつけている場合ではない。

「切り口」「語り口」「減らず口」の口3つ。

スペシャルコンサートまであと14日。

2015年4月24日 (金)

心技体

武道家の心得を現した言葉。補足も必要と感じる。まずは「心」「技」「体」の序列。この3者に序列は無いというのが本意だろうと思う。何故なら「心」も「技」も「体」あってこそだから、少なくとも「体」が最後尾というのは疑問だ。

第一人者ともなれば、これらを持っているというだけではすまされない。高い水準でバランス良く具備していることが求められるのだと思う。

これを私なりにブログ運営に置き換えてみた。

<体>私なら断じてこれが先頭に来る。何よりもまず健康な体があってこそだ。2033年5月7日を健康で元気に迎えることが大切だ。

<心>次がこれだ。下記の諸事項を含む。

  1. 「音楽を愛する心」と申してはきれい事が過ぎる。是非とも「ブラームスを愛する心」とせねばならない。
  2. 「音楽に感じる心」だ。感受性。もちろん「ブラームスを感じる心」である。
  3. 日常のもろもろをブラームスと紐付けるアイデア、あるいはウィット。
  4. 2033年5月7日までブログを継続する強い意志。

<技>ブログを綴る上で不可欠のテクニック。

  1. 文章を書くこと。
  2. 記事の配置。
  3. 何としても継続するための工夫。

それらしくなった。武道の第一人者たるべく日々修行でござる。

スペシャルコンサートまであと15日。

2015年4月23日 (木)

人体実験

物騒なタイトルだが今しばらくご辛抱いただく。

ブログ「ブラームスの辞書」は2033年5月7日まで一日も欠かさず記事を発信したいと考えている。ただ記事を書くだけではダメで、ブラームスにこじつけた記事であることが譲れぬ条件になっている。これまでの所ブラームスまたはブログ「ブラームスの辞書」に関係するネタが7割を超えている。

問題はあとおよそ20年、このペースが維持できるかということだ。駅伝を例に採るまでもなくオーバーペースはブレーキの元だ。今この時点での気負いすぎは良くない。しかし同時に強い意志だけは持っていなければならない。このバランスが難しい。

私に出来ることは自分の脳味噌を信じることだ。脳内でブラームスネタが枯渇してしまう日が来るのかについての確証はない。今のところ、ブラームスネタのひねりだしには自信がある。自分の健康の方が信頼性が低い。次に気をつけるのは事故だ。不慮の事故に合わぬよう気をつける。もっとも注意すべきは交通事故。被害に遭うのももちろんだが、加害者になってしまうことにも気をつけねばならない。場合によってはパソコンにさわれなくなる。

ブラームスネタをひねり出し続けることが出来るかどうかは、自分を使った人体実験に近い様相を呈して来ている。

スペシャルコンサートまであと16日。

2015年4月22日 (水)

ジャンルとしての日記

古典文学のはずせないジャンルに日記がある。「土佐日記」「更級日記」などタイトルに「日記」という文字が躍るものから「御堂関白記」「小右記」などタイトルからはわかりにくいものまで様々だ。作者が他人に読まれることを想定していたかどうかを別にすれば、古来よりおびただしい数が存在する。文学的な価値は別として有名人の日記はそれなりに読まれている。歴史上著名な出来事に言及した記事や、ハレー彗星接近の描写さえあって退屈しない。

こうした事情は海外でも同様だ。シューマン夫妻も日記をつけていた。肝心なブラームスの日記は残っていない。あったのに紛失したのではなく日記をつけていなかったのだと思う。残念だ。

私は日記をつけていた。

  1. 中学3年から23歳まで
  2. 育児日記 3人の子供それぞれに小学校入学まで。
  3. 写真日記 生後5年10ヶ月の間毎日撮影した写真とコメント。
  4. レッスン日記 娘たちのレッスン開始から80回目まで。

1番は、見ていて面白いが他人が読む代物ではない。2番3番の子供たちの生い立ちは我が家の宝だ。他人が読む代物でないことは確かだが、子供たちにはいずれ読ませたい。つまり私はこの手の記録が好きなのだ。

ここ10年の間に急速に広まったブログは、その日記を紙ならぬネット上で書いてしまおうという側面が色濃い。特に個人のブログで顕著だ。「ブログを日記代わりに」といううたい文句はブログ入門書で頻繁に見かける。

私のブログ「ブラームスの辞書」は、毎日更新という部分をのぞけば毛色が変わっている。日々の出来事の列挙やそれに関する感想の記述になってはいない。ブログのもう一つの特徴、「ひと様に見てもらう」ということを意識した結果だ。有名人ならいざ知らず、私ごときの身の回りの出来事なんぞ面白くもあるまいという自覚に起因するものだ。

だからブログを読み返してみても「あのころの自分」に出会うことはない。カテゴリー「家族」や「レッスン」だけが結果としてわずかにそうした傾向を帯びるに過ぎない。強いて言えば「昔からオタクだった自分」が再確認出来るだけだ。今のところ望み通りの展開だ。頭に去来するブラームスネタを漏らさず書き留めるという点で、過不足無く機能してくれている。

子育てが一段落して空いた時間に、まんまとはまりこんだという訳だ。

スペシャルコンサートまであと17日。

2015年4月21日 (火)

ウスウス

ブログにしろ本にしろ「ブラームスの辞書」は、グレーな領域のネタが多い。ブラームスの作品に接する人たちが、みなさんウスウス感じていながら、それでいて改まって言い出さないことを、無理矢理引っ張り出して論評の対象にする趣旨である。

ブラームス作品を演奏する人々は、楽譜上の音楽用語が多彩で微妙であることはウスウス気付いていると思う。同じ旋律でありながら、出現の度に微妙に色合いが変わるというケースはけして珍しくない。実際に数えて「ホラね」とまではやらないだけである。

そうした潜在ニーズに応じるという側面が半分ある。残る半分は私の性格のせいだ。実際に楽譜を舐めるように見つめてエクセル入力したのは、データという客観性のある裏付けを添えることで展開する論旨に説得力を与えるためである。みんなウスウス気付いていることを言っているだけなのに、データが備わることで有り難く見えるというマジックだ。

ブラダスデータ22000件は十分客観的だ思うが、それをベースに抽出加工したデータは疑ってかかったほうがいい。情報めかして語ることでバカ話に有り難味を付与するためのツールだと思っている。

スペシャルコンサートまであと18日。

2015年4月20日 (月)

公式サイト

意外に厄介。定義が難しい。世の中「公式~」という肩書きを背負った物事が溢れている。認定機関が承認するものなのだろうと思うが、自称を含めその権威にはバラツキがあると感じる。

厄介なことに人は権威に弱い。「公式」という文言が踊ることで有り難みがあると勝手に錯覚してしまうことも起きてくる。たとえばオリンピックが近づくといつも「公式~」が目につくようになる。「公式ロゴ」「公式サプライヤー」「公式飲料」「公式レストラン」などなどだ。組織委員会にお金を払って権利を買っているという意味ではネーミングライツに近いのかもしれない。この場合「公式ではない」商品やサービスとの品質の差は曖昧なのが普通である。

これを認定するのが国やその出先機関ということになるとさらに説得力が強まる。いわゆる「宮内庁御用達」もこの変形だと思われる。

さて世の中「ブラームス公式サイト」なるものは存在するのだろうか。誰があるいはどこが認定するのか非常に難しい。本人が生きていればかなり楽だが、そうも行かない。野球でもサッカーでも球団が運営する公式サイトがあるのが普通だから、ブラームス本人がブログでも開設していれば、それが「公式」と考えていい。本人は最強である。

だからブログ「ブラームスの辞書」がどれだけ記事を積み上げようと、それはけして「公式サイト」ではあり得ない。悔しいがあきらめはつく。仕方がない。

当ブログは「ブラームス」の公式サイトではないが、「ブラームスの辞書」の公式サイトである。おおお。

スペシャルコンサートまであと19日。

2015年4月19日 (日)

はたして音楽系か

わがブログ「ブラームスの辞書」のことだ。「ブラームス」というのが大作曲家の名前なので、我がブログは見た目音楽系ブログの体裁を採っているが、言及の内容を仔細に見れば実はその分類も怪しくなる。

「作品論」「演奏論」「解釈論」の比率はあまり高くない。2033年5月7日までの欠かさぬ継続を目標に掲げているせいで、記事の確保に汲々とした結果、音楽系ブログ本来の話題からの逸脱も目立つ。「子どもたち」「ドイツ」「雑学」への逸脱は、無理やりなこじ付けを試みてはいるものの、もはや言い訳できぬ域だ。

「民謡」「ドヴォルザーク」「学生歌」くらいはまだ音楽系だが、「ワイン」「ビール」「コーヒー」「歴史」「地名」「鉄道」となるといささか後ろめたい。ブラームスの伝記に現れるちょっとした話題から無理やり間口を広げている自覚はある。

「ブラームスの周辺」であることを生涯諦めることはないが、無理目であることは動かない。それでもまだゴールに辿り着く保証はない。

スペシャルコンサートまであと20日。

2015年4月18日 (土)

とっておき

元々は「取って置いたもの」という意味だろう。いざというときのための備蓄を想像させる言葉だ。転じて「大切なもの」「特別なもの」の意味を獲得していると思われる。

わがブログ「ブラームスの辞書」にもある。記事を思いついた段階から、「これはすごい」と感じているネタがあるのだ。それが思いのままに記事になったときの嬉しさは格別だ。そういう記事は公開の日取りも念入りに決められる。記事本文には「これはとっておきだ」等の表現は入れないから読者には一切わからぬが筆者本人は満を持しているというわけだ。

ところが、面白いことにその手の記事に対する読者の反応は得てして鈍い。コメントはつかぬことの方が多い。うっかりコメントを貰うとまんまと舞い上がってしまうこともあるからちょうどいいのかもしれない。

スペシャルコンサートまであと21日。

2015年4月17日 (金)

選択と集中

「選択と集中」は我がブログの方針。2005年5月30日のブログ開設の日に既に存在したわけではない。開設後コツコツと継続して行く中から順次固まっていった。ブロガーにとって記事の枯渇は最大の危機。これを何とか回避するための心構えと言い換えても良い。

私にとっては「絞込みと解放」と言い換えることも出来る。

まずは「絞込み」について。記事のネタをブラームスに限定すること。「音楽」や「クラシック」では広過ぎる。かといって「ブラームスの交響曲第1番冒頭のコントラバスに付着するペザンテについて」では細か過ぎる。ネタを一週間繋げばいいのか、1ヶ月なのか、はたまた1年なのかで、絞込みの程度を加減せねばならない。私の場合は10000本の目標に照らして最適な範囲を選んだ結果「ブラームス」に落ち着いたということだ。勝算は何もないが直感で。

「絞込み」や「選択」には他にも側面がある。いくつかの自主規制のことだ。「同曲異演比較」「おすすめCD」「演奏家論」は意図的に避けている。ブラームスのレア物CDネタだけは適宜挟み込みを可能とした。

続いて「解放」の件。いったん「ブラームス」を選んだら、今度はそこを軸足に縦横に記事を広げる。時には少々の逸脱を伴いながら、ブラームス関連ネタをとことん掘り起こす。表面上は「絞込み」と逆の作業になる。もちろん先ほどの自主規制には抵触させない他、一見逸脱に見える記事も、大局的には枠内にとどまるという規律も大切だ。

ブラームスに話題を絞ったことは正解だ。その後の解放も的確だと評価できる。快適に記事が思いつけている。軸足を常にブラームスに置いておくのは、制約のようで実は逆。それこそが推進のエネルギーになっている。

スペシャルコンサートまであと22日。

2015年4月16日 (木)

膨大の分類

いつのころだか、ハッキリとした記憶は無い。ブログ「ブラームスの辞書」の読者から、内容についてコメントを頂戴する中で、「記事数が膨大」という言い回しが目立つようになった。記事の総数が1000本に届く前からそう言われていたような気がする。

辞書のような記事の厚みは、ブログ「ブラームスの辞書」の目指すところだから、何の先入観もなくブログを覗いた人から「記事数が膨大」と言われるのはうれしい。「膨大」という言葉には何だかずっしり感がある。このずっしり感にふさわしいのは、いったい何本くらいの記事からなのだろう。

たとえば、この先ブログ「ブラームスの辞書」のゴール2033年5月7日に近づくといつかは10000本の大台に乗ることになる。でもやっぱりそのときも「膨大」と言われるのだと思う。つまり「1000本」でも「10000本」でも同じ言葉が使われるのだ。なんだかつまらない。

出世魚のように1000本、2000本、5000本、10000本と積み重ねる毎に、言われ方が変わると、とても励みになると思う。

もう4000本が近づいてきた。「4膨大」である。

スペシャルコンサートまであと23日。

2015年4月15日 (水)

指名買い

特定の商品を名指しで買い求めること。これを頻繁にされることが人気商品の証だったりする。商品担当にとって、これをされることは相当嬉しい。

口コミにメモはつきものだ。特に「商品名」は必須だ。そのメモを持ってお店に行き、「これください」となるのが指名買いだ。商品のマーケッターにとって指名買いが殺到することは相当嬉しいはずだ。

ブログの管理人もこれに似た嬉しさを味わうことがある。

ブログのアクセス解析の機能に、検索ワード解析がある。どのようなキーワードで検索されてアクセスにつながったかが判る機能だ。

このレポートを見ていて「ブラームスの辞書」という言葉で検索されていることがわかると、相当嬉しい。本来見ていただけるだけで儲け物のブログだから、検索ワードなんか何でも同じなのだが、「ブラームスの辞書」というキーワードを検索窓に打ち込んでくれていると思うと格別の嬉しさがある。これがまさに「指名買い」だ。口コミされている可能性さえある。

最初は「ブラームスの辞書」というキーワードでたどり着いても、ブックマークされてしまうと次から検索ワードのレポートには反映しない。ブックーマークは常連さんの印だから別系統の嬉しさだ。「ブラームスの辞書」というキーワードは新規ご案内の感じがするというのが嬉しさの本質だと思う。

スペシャルコンサートまであと24日。

2015年4月14日 (火)

ブラームス伝

マックス・カルベックが1907年に刊行した「ブラームス伝」は、史上初のブラームスの伝記である。全4巻の大著で、没後10周年の記念碑という側面もある。カルベックはブラームス本人との交流もあったし、歌曲にテキストを提供している。後世の研究により誤りが指摘されてもいるが、ブラームス研究においては避けて通れぬ金字塔だ。

日本語版はなかった。

このたび、第4巻のみ日本語版を入手した。「ブラームスの辞書」op97の持ち主で、ドイツ文学者が、忙しい中「ブラームス伝」第4巻の完訳本を出版した。限りなく自費出版に近い。部数から申せばオンディマンド印刷とも受け取れる。

教鞭をとる傍らドイツ文学とりわけシラー研究の泰斗として論文も発表なさっているほどなのだが、ふとしたきっかけで「ブラームス伝」の翻訳を始めたという。さまざまな事情があって第4巻ののみの刊行となったらしい。

貴重な貴重な一冊をインクの乾かぬタイミングで私にお送りいただいた。

読むのはこれからだ。先生の翻訳は、原本の書かれた時点の環境や、背景にも深く顧慮されたものだ。翻訳に欠かせないドイツ語の知識や翻訳の技量においては何の不足もないのだが、音楽の知識が足りぬからと情報収集をなさっている中でブログ「ブラームスの辞書」がお目に留まったという縁で「ブラームスの辞書」をお求めいただいた。以来、翻訳にあたっての疑問点など、密度濃いやりとりをさせていただいた。翻訳への熱意は本邦初のブラームス伝完訳の栄誉とともに語り継がれるべきだ。

今回はお贈りいただいたお礼を記事にした。読み進めるうちに記事のネタが溢れ出るにきまっているので、その都度ありがたく引用言及させていただくこととする。

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スペシャルコンサートまであと25日。

2015年4月13日 (月)

読まれるコツ

息をするのにコツが要るわけではないのと同じく、私にとってはブログの継続にコツは要らない。元気に生きていれば勝手に頭の中でブラームスネタが湧く。毎日毎日均等に湧く訳ではないから、記事を切らさないために備蓄している。

お手上げだった「ブログを続けるコツ」に対して、「ブログを読まれるコツ」には議論の余地がある。考える価値があるとも言い換えられる。

日頃心がけていること以下に列挙する。

  1. 毎日記事がアップされること。
  2. 記事の内容が面白いこと。
  3. ネタのオリジナル度が高いこと。
  4. 他の作曲家の中傷記事がないこと。
  5. よそで読めないこと。
  6. 1本1本の記事が無駄に長くないこと。
  7. 文体が統一されていること。
  8. コメントに対するレスが早いこと。
  9. 誤りの指摘に耳を傾けること。
  10. 歓迎されざる乱入者にたいする対処が一貫していること。

細かく言えばいくらでも思いつく。私が心がけているだけであって、これらが本当に「読まれるコツ」なのか定かではない。アクセス数が順調に伸びている間は、これで正解だと思うようにしている。

スペシャルコンサートまであと26日。

2015年4月12日 (日)

止める難しさ

ブログ入門用の書物やサイトには、しばしば「ブログを始めるのは、簡単だが続けるのは難しい」と書いてある。ブログ「ブラームスの辞書」を立ち上げようかと悩んでいた頃、この手の主張を読んでビビった。「おおお」ってモンだった。

「やっぱり」という気もした。だからブログを立ち上げる前にネタ50本を思いつこうと必死になった。ネタを50本思いついたことでようやくブログを立ち上げたのだ。あれから積み重ねた本数が3600本を超えた。備蓄中の記事がその他に1200本に届く勢いだ。

やはり、私にとっては「始めること」の方が「続けること」より難しい。不慣れもあったから始める時は結構大変だった。一方おかげさまで「続けること」を大変だと感じたことはない。

最近では、ブログ「ブラームスの辞書」を止める方が大変だと感じるようになってきた。膨大な備蓄記事を人目に触れぬまま葬り去るのは耐え難い。万が一止めてしまった後の喪失感は、想像も出来ない。今日で止めるという日の記事を一体どうしろと言うのだ。

続ける方が圧倒的に楽だ。

スペシャルコンサートまであと27日。

2015年4月11日 (土)

一人相撲

物事を一人で背負い込んでいる様子の例え。「独り相撲」とも書かれる。大抵は気負い過ぎを指摘する意図で用いられる。強いて善悪で申せば悪い側のニュアンスだが、どことなくユーモラスな雰囲気も漂う。当のご本人に周囲が見えていないということもかすかに仄めかされる気がする。「一人よがり」と言われるよりはダメージは少ない。

まさに私のブログのことだ。

ブラームスネタに絞るということが既に一人相撲の兆候だ。コメントのやりとりが活発という訳でもないところで決定的になる。コメントに対する気の利いたレスがとっさに思いつかないというのがこれに拍車をかける。

「どうせ素人の駄文だ」という開き直りが随所に見え隠れするのも怪しい。自分への言い聞かせという範囲を超えて、言い訳の先取りという感じが充満している。

「皆様のご意見に耳を傾けて」という姿勢も見えてこない。人様に意見を求めるのはそれはそれで大変だ。大々的に募集したけれども結果の集計も活用も出来ていないアンケートというのは少なくない。寄せられた意見を公平に処理するのは、高度の仕切り才覚が求められる。大抵は記事を書くこととは別の才能である。

だからというわけではないが今は一人相撲の横綱を目指す。そのうちブラームスと四つ相撲がとってみたい。

スペシャルコンサートまであと28日。

2015年4月10日 (金)

ソフトボール部

次女の出た高校にソフトボール部がある。我がブログではオーケストラ部しか話題にしないが、全体に部活が盛んである。オーケストラ部の練習場の隣にソフトボール部の練習場があるから、用事で伺った場合、部員たちとすれ違うこともしばしばだ。

かれこれ3週間前、37代の卒部式に出席したときの出来事だ。

校門からホールまで歩いていると、すれちがう生徒たちは必ず「こんにちは」と声をかけてくれる。オーケストラ部の部員でなくても、私に気付くと挨拶してくれるのだ。気持ちのいい習慣だ。

先日卒部式の終わったころだからお昼過ぎていたと思う。弁当を買いにと校門に向かって歩いていると、ソフトボール部の部員がインターバル走をしていた。しんがり近くを走っていた生徒。どうやら走るのが苦手だったようだ。他の部員とは少し遅れているらしい。周囲の生徒の「ファイト」という声がけで、それとわかる。確かに苦しそうに走っている生徒だった。

その生徒と校門に向かう私がすれちがいそうになったときそれは起きた。その生徒、苦しそうな表情のまま、すれ違う私に「こんにちは」と声をかけたのだ。

そこまでしなくても、と思った。一瞬のことで気の利いた対応ができず、私も「こんにちは」と応じてしまった。振り返れば、彼女はゴールに達したと見えて、仲間から「ナイスファイト」と声がけされていた。

当の生徒はこともなげに今走ってきた方向に振り向いて「ありがとうございます」と大声であいさつしている。

こういう学校だということ。あの子たちの音楽と根の部分でつながっている。

スペシャルコンサートまであと29日。

2015年4月 9日 (木)

ゴール前

陸上競技にしろサッカーにしろ、ゴール前は見所になる。

次女たちの高校オケのサイクルは、6月起点の5月ゴール。だから今この時期はゴール前だ。3年生たちは5月のスペシャルコンサートをもって引退となる。残された時間を指折り数えながら、最後の準備に余念が無い。

ゴール前とはいえ、我々には見ることが出来ない。その最後のゴールの瞬間となる演奏会を見届けてやるくらいが関の山。だからせめて今日からブログ上でカウントダウンを始める。

スペシャルコンサートまであと30日。

2015年4月 8日 (水)

ガイドブックと紀行文

「ガイドブック」「紀行文」どちらも旅に関係がある。

ガイドブックは、旅に先立って読まれる。遅くも旅をしている間までだ。旅のルート設定に威力を発揮する。名所旧跡はどこか、ランチの上手いお店はあるか、駐車場は、入場料は、混雑度は、おすすめ度はなどなど盛りだくさんである。これらを参考に効率的なコースを設定するのだ。このプランニングの段階が旅そのものよりも楽しいという層も確実に存在する。

紀行文は、文学の立派なジャンルのひとつになっている。旅の結果の羅列と言い放ってしまっては味わいが薄かろうが、そうした側面もあるのは事実だ。旅先で感じたことの記述で、多くの場合5W1Hよりも感情表現寄りのバランスとなる。景色、歴史、宿、温泉、寺社仏閣、城、料理、出会いなど旅ならではの情緒が盛り込まれる。

音楽作品の鑑賞は旅に似ている。作曲家が残した楽譜に従って名所旧跡巡りをするかのようだ。楽譜は鉄道や道路に相当する。普通列車か特急か、歩くかバスかは作品解釈だ。同じ路線でも訪ねる度に味わいが変わる。一人旅か、家族旅行か、デートか等の状況によっても変わる。

我が著書「ブラームスの辞書」はガイドブックだ。出会う可能性のある全ての標識を説明している。ガイドブックであることの証拠に位置の特定に注意を払っている。どの曲のどこそこのパートの何小節目という具合だ。進入禁止、制限速度指定、ふみきり注意などなど、何でもありだ。名所については特にスペースを裂いて説明もしているが、記述は網羅的であることに注意を払っている。

一方同じく「ブラームスの辞書」という名前を背負っていながら、ブログの方は性格を異にしている。こちらは紀行文だ。私自身が音楽作品を辿った記憶を思い出し出しランダムに記述している。自分のための旅のメモであり、かつガイドブックを売るための宣伝だ。

ガイドブックだろうが紀行文だろうが、ブラームスに特化してしまっているところがセールスポイントになっている。

2015年4月 7日 (火)

膨張の痕

2003本目の記事から3003本目の記事まで1000日間、企画を敷き詰めるというプロジェクトがアラビアンナイト計画だった。一昨年7月3日をもってめでたくコンプリートした。当初想定していなかった次女の高校オケネタがブレークして100本以上の記事が確保できたのだが、悩ましい問題も露呈した。

元々用意してあった企画が、会期内に発信できないという嬉しい悲鳴だ。その結果、ドリンク3部作となるはずだった3本のうち、会期内に公開出来たのは冒頭に掲げた「ワイン」だけになってしまった。残る2本「ビール」と「コーヒー」はアラビアンナイト計画終了後に回され、既に発信を終えている。大所帯「鉄道特集」も無事発表も発信を終えている。これら「ビール」「コーヒー」「鉄道」は、次女高校オケネタ膨張の煽りをうけて敢え無く後回しになった企画のうち、記事数ベスト3だった。3企画合計で400を超える。そして現在展開中の「ビスマルク」も、一部の記事が延期された結果である。

次女のオケネタの膨張の勢いがどれほどだったか判る。記事数20~30本程度の中規模企画もいくつか後回しになっているから、今後定期的に公開してゆくことにする。

2015年4月 6日 (月)

200年祭ごっこ

ビスマルク生誕200年を祝ったばかりだが、これには若干の事情が隠されている。時は2012年秋アラビアンナイト計画終盤にもビスマルク特集があった。このときちょうど次女の高校オケ生活が佳境にさしかかっていたせいで、次女ネタが頻度高く噴出したために、本来のビスマルクネタが行き場を失った。このとき押し出されたビスマルクネタの受け皿になったのが、生誕200年という切り口だった。

ビスマルク関連記事約20本を生誕200年の記念日周辺に公開することで帳尻を合わせたということだ。

そう、1816年以降1832年までの間に生まれて、ブラームスと縁浅からぬ人物の生誕200年がこの先次々とやってくる。2019年にはクララ、2031年にはヨアヒムが控えている。ブログ「ブラームスの辞書」では、2019年と2031年に彼らの生誕200年を祝う企画を計画中だ。具体的に申せば、そのときに備えて記事の備蓄を始めているということだ。2019年は4年後でしかないのだが、ヨアヒムの2031年は16年後だからかなり先の話になる。

2015年4月 5日 (日)

天声人語

泣く子も黙る朝日新聞の一面コラムのタイトルだ。高校時代、現代国語の先生から必ず読むようにと指導された。1945年9月だから終戦の翌月以降今日まで欠かさず連載されている。

我が「ブラームスの辞書」は事実上ショートコラムの堆積だから永遠の憧れでもある。朝日新聞の顔でもある看板コラムだから、同新聞が廃刊にでもならない限り、途絶えることはないハズで、どうがんばっても「ブラームスの辞書」は記事数で追いつくことは出来ない。厳密なことを申せば、新聞には休刊日があるから連続の記事更新という意味では、すでに我が「ブラームスの辞書」は天声人語を抜いているが、休刊日をカウントしてはフェアではない。

負け惜しみをもう一つ申せば、天声人語はその長期連載の間、たった一人の執筆者で通してきたわけではない。最も長い人で17年だ。ブログ「ブラームスの辞書」が目的を達する2033年5月7日まで待たなくても、17年間毎日更新の記録には到達できる。

2015年4月 4日 (土)

コラム

コラムとは「囲み記事」のことだ。本文の進行とは別に挿入される小さな文章。新聞や週刊誌などでおなじみだ。記事とは別のライターが受け持って、時勢に即した話題をタイムリーに取り上げる。本文記事からの独立性と小回りの良さが売りである。何せ掲載のエリアが限られているから、起承転結を整理してポイントを絞らなければならないから苦労も多い分、ライター個人へのファンも現れる。

ブログ「ブラームスの辞書」もそういうノリを夢見ている。コラムの堆積。あるはその羅列の順序に意味を持たせる。計算ずくの脱線と、長期ビジョン。困ったときにはブラームス。

本日の記事で3644本になった。週刊誌なら70年分に達したところだ。

2015年4月 3日 (金)

偶然を集める

我がブログ「ブラームスの辞書」は、さながら偶然コレクションの様相を呈している。ブラームスにまつわる大小様々な偶然をコツコツと集めている感じだ。

本当の狙いは必然つまり「ブラームスの癖」の発見にあるのだが、そこまでは能力が及ばない事も多い。だからその前段階としての偶然集めに奔走しているという訳だ。うずたかく積まれた偶然の中から1つでも2つでもブラームスの癖に起因する必然を発見したいのだ。

マイケル・ジョーダンの背番号は、ブルズで23番、代表で9番だが、ブラームスの作品番号ではどちらも「シューマンの主題による変奏曲」になっている。今まででもっとも痛快で、もっともどうでもいい偶然だ。

かつて我が家に初めて電話が引かれた際の番号下4ケタが「1833」であり、ブラームスの生年と一致することも、忘れがたい。

それ以外は上記2つに比べれば偶然度が低いケースばかりだ。

  1. 交響曲の主音を4つ順に並べるとジュピターのテーマになる。
  2. シューマンの交響曲だとそれが1音まるまる下がること。
  3. 間奏曲に「marcato」が出現しないこと。
  4. 「agitato」は短調に限ること。
  5. 「sostenuto」はピアノ作品に限ること。

偶然度が低いことは、つまり何らかの必然の結果である可能性が高いということだ。

さてさて、私にとって最大の偶然は、父の誕生日がブラームスの命日になっていることだ。本日はブラームスの没後118年、父の生誕80周年である。

2015年4月 2日 (木)

第二ビスマルク特集

ビスマルク特集第二弾。

  1. 2015年03月07日 28年
  2. 2015年03月08日 大学の先輩
  3. 2015年03月09日 ご意見番
  4. 2015年03月12日 砲台の名前
  5. 2015年03月13日 参考文献
  6. 2015年03月14日 公平な立場
  7. 2015年03月16日 生誕80年
  8. 2015年03月17日 ビスマルク引退
  9. 2015年03月18日 王権神授説
  10. 2015年03月19日 ヨーロッパコンサート
  11. 2015年03月20日 欧州の警視総監
  12. 2015年03月21日 国王ビスマルク1世
  13. 2015年03月22日 Eisen und Blut
  14. 2015年03月23日 州都ビスマルク
  15. 2015年03月25日 ビスマルクは鉄血か
  16. 2015年03月26日 ビスマルクの家
  17. 2015年03月27日 ニシンの酢漬け
  18. 2015年03月28日 ビスマルク風ピザ
  19. 2015年03月29日 ビスマルクの体重 
  20. 2015年03月30日 ソーセージの中身
  21. 2015年03月31日 ジャム入りドーナツ
  22. 2015年04月01日 ビスマルク生誕200年
  23. 2015年04月02日 本日のこの記事。

 

2015年4月 1日 (水)

ビスマルク生誕200年

本日は鉄血宰相ビスマルクの誕生日。1815年生まれだから今年は生誕200年の区切り。ブラームスより18歳年上のビスマルクでさえ、やっと200年だ。ブラームスの生誕200年まで、あと18年。長いようだが、ちょうど次女と歩んだ日々の長さに匹敵すると考えるとあっという間ともいえる。

20150330_143505
東京で満開の桜でビスマルク生誕200年をお祝いする。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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