ガイドブックと紀行文
「ガイドブック」「紀行文」どちらも旅に関係がある。
ガイドブックは、旅に先立って読まれる。遅くも旅をしている間までだ。旅のルート設定に威力を発揮する。名所旧跡はどこか、ランチの上手いお店はあるか、駐車場は、入場料は、混雑度は、おすすめ度はなどなど盛りだくさんである。これらを参考に効率的なコースを設定するのだ。このプランニングの段階が旅そのものよりも楽しいという層も確実に存在する。
紀行文は、文学の立派なジャンルのひとつになっている。旅の結果の羅列と言い放ってしまっては味わいが薄かろうが、そうした側面もあるのは事実だ。旅先で感じたことの記述で、多くの場合5W1Hよりも感情表現寄りのバランスとなる。景色、歴史、宿、温泉、寺社仏閣、城、料理、出会いなど旅ならではの情緒が盛り込まれる。
音楽作品の鑑賞は旅に似ている。作曲家が残した楽譜に従って名所旧跡巡りをするかのようだ。楽譜は鉄道や道路に相当する。普通列車か特急か、歩くかバスかは作品解釈だ。同じ路線でも訪ねる度に味わいが変わる。一人旅か、家族旅行か、デートか等の状況によっても変わる。
我が著書「ブラームスの辞書」はガイドブックだ。出会う可能性のある全ての標識を説明している。ガイドブックであることの証拠に位置の特定に注意を払っている。どの曲のどこそこのパートの何小節目という具合だ。進入禁止、制限速度指定、ふみきり注意などなど、何でもありだ。名所については特にスペースを裂いて説明もしているが、記述は網羅的であることに注意を払っている。
一方同じく「ブラームスの辞書」という名前を背負っていながら、ブログの方は性格を異にしている。こちらは紀行文だ。私自身が音楽作品を辿った記憶を思い出し出しランダムに記述している。自分のための旅のメモであり、かつガイドブックを売るための宣伝だ。
ガイドブックだろうが紀行文だろうが、ブラームスに特化してしまっているところがセールスポイントになっている。
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