作品解説の論調
音楽作品について述べられた書物は「エッセイ」「批評」「作品解説」に大別出来ると思っている。
最初の「エッセイ」は気が楽である。題材とする作品について感じたことを書けばいい。「私はこう感じる」と書くのだから、どんな批評も怖くなかろう。「私の感じ方」を他者にうじゃうじゃ言われる筋合いはないからだ。その作品をキライと書くもよし、好きと書くもよしである。
「エッセイ」が好き嫌いを書くのに対し、「良い」「悪い」と書かねばならぬのが「批評」である。ブラームスの作品が次々と発表され初演されていたころブラームスの作品も「批評」の対象になっていた。音楽界がワーグナーとブラームスの両陣営に分かれての大論争を繰り広げていたこと周知の通りである。ある種の悪意が内容を左右することさえあったと思われる。
さてさて最後の「作品解説」は先の2者とはやや異質である。原則として「好き嫌い」「良し悪し」を書いてはならんのだ。どちらかというと「好き嫌い」の方がご法度である。入門者や学生が故あって何らかの作品について調べたい時に世話になる書物だけに、著者の好みや判断は控えられているのが普通だ。
しかし、世の中「作品解説」という衣をまといながら、この境界線の侵犯を起こしている書物も無い訳ではない。厳正中立が原則だろうと思う。「けなし」「誉め殺し」は論外だが、「抑制された称賛」は見苦しいものではない。しかし抑制されていても、作品に対するネガティブなコメントは、解説書としては、いかがなものかと思う。
残念ながら、ブラームスの作品解説書でも「オヤ」と思うケースがときどきある。「好き嫌い」や「良し悪し」を感じるのはパーソナルな次元の話でいい。作品解説はあくまでも「抑制された称賛」程度にとどまって欲しいものだ。
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