ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« ヘルメスベルガー四重奏団 | トップページ | 無残な解説 »

2015年6月20日 (土)

英国への伝播

ブラームスの初期の室内楽を、世間に紹介するという意味で、クララ・シューマンの功績は誠に大きい。

クララは自身の演奏会で進んでブラームスの室内楽を取り上げた。当時のプログラミングの習慣として、ピアノ独奏曲だけのリサイタルは、むしろ稀にしかありえなかった。室内楽や歌曲を織り交ぜるのが恒例だったから、室内楽の採用それ自体は珍しくも無かったが、気鋭の作曲家ブラームスの作品を取り上げたという点が、ユニークだったということだ。ブラームス作品の常として、演奏家のテクニックの披露は第一義ではなくなっている。ましてや室内楽は、作品への深い理解と様式感を持ち合わせねばならない。要求されるテクニックは高いのに、聴衆にはそう聞こえないという厄介な一面を持つ。聴衆の期待は絢爛豪華なピアノ曲だったに違いないのだが、クララは自分の流儀を押し通し、やがて英国の聴衆にそれがクララのスタイルであると認知されるに至った。

ピアノパートはもちろんクララが受け持つ。演奏の準備としてのリハーサルは、独奏曲以上に手間がかかる。

作曲家ロベルト・シューマンの妻にして当代最高のピアニストであるクララのおメガネに叶うということが、どれほど強い後ろ盾だったか想像に難くない。

生涯に19度の英国遠征を企てたクララは、その初期において、ブラームスの無名作品をしきりに取り上げた。ピアノ四重奏曲第2番、ピアノ五重奏曲の英国初演はクララの手によるものだ。

« ヘルメスベルガー四重奏団 | トップページ | 無残な解説 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 英国への伝播:

« ヘルメスベルガー四重奏団 | トップページ | 無残な解説 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ