装飾音符
「小さい音符」などと申しては総攻撃の対象になりかねない。とは言え、正確な定義など私の手には余る。ターン、前打音、トリルなどなどかなりの種類がある上に、それぞれ弾き方が決められている。バッハに至っては15~30種類が書き分けられているらしい。
小学校時代、4分の4拍子の説明として「1小節に4分音符が4つ分入る」と教えられた。1つの小節に入る音符の数で拍子が定義されていたのだ。ところが、本日のお題「装飾音符」は、その場合のカウントには算入されないのだ。だから装飾音符が付与されると、厳密にはどこかの音符の長さが縮められていることになる。
たとえば弦楽六重奏曲第1番の第2楽章は、装飾音符の巣だ。第1主題の魅力は装飾音符なしには語れまい。特に私のようなヴィオラ弾きはそう感じているハズだ。この装飾音符は、気持ちの高まりを表現していると感じる。試しに装飾音符を無視して弾いてみるといい。私の申し上げたいことが判ると思う。ところが、同じヴィオラの見せ場でも弦楽五重奏曲第2番第2楽章の2小節目は、キッチリと5連符で表示されている。
まだある。クラリネット五重奏曲第2楽章の中間部は、クラリネットがソリスティックに動く見せ場だ。ゆったりとしたテンポの中、クラリネットが細かい音符をちりばめるラプソディックな曲想だ。意外なことにここには装飾音符が現われない。正規の拍をキッチリと割ることが求められている。5連符、6連符、9連符、10連符、11連符の見本市の様相を呈している。中間部が間もなく終わるという75小節目と77小節目になってやっと装飾音符が現われるに過ぎない。
何故そこで装飾音符なのかは、高度の芸術的判断なのだと思う。私の出る幕ではない。
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