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2015年7月31日 (金)

種明かしの瞬間

ホルン三重奏曲の第3楽章の話。8分の6拍子変ホ短調のアダージョ。楽章を構成する主題は3通り。

  1. 1小節目 ピアノ 
  2. 5小節目 ヴァイオリンとホルン
  3. 19小節目 ホルン 
  4. 59小節目 ヴァイオリンとホルン

これらのうちの3つめは、8分音符が4個ずつでグルーピングされているヘミオラで、前2つの主題とは、拍節的に対照を成す。

4つ目は、再現部にしか現れない要素。印象的な「molt p」を配されて、終末感を仄めかす。

とりわけ話題にしたいのは43小節目。いわゆる再現部。ピアノはきっちりと上記1を再現する。冒頭では「p」だったはずなのに「pp」で再現される。するとここで驚くべき現象。上記3のホルンの主題がヴァイオリンで現れる。第1主題と第3主題が、対位法的に処理されて同時に鳴る。単独で鳴らされていたのでは感じにくかったヘミオラも実感できる。

注目すべきはここのダイナミクス。「ppp quasi niente」とは、ブラームス生涯で唯一ここだけの表現で「ほとんど無音で」と解される。第一主題と第三主題を同時に鳴らすという楽章中のエポックだというのに、「無音で」と釘を刺す。楽章中この両主題が同時に鳴るのはここだけだというのに、くれぐれも「無音」と言い張るかのようだ。

ピアノ側に置かれたのが「pp」であることを思えば、「ピアノよりも弱く弾かれること」をブラームスは期待している。CDで聞く限り、ピアノよりも強く聞こえる演奏も見かける。

ホルン三重奏曲最高の見せ場。

2015年7月30日 (木)

「mesto」が似合う調

「悲しげに」と解される。ブラームスは下記の2回「mesto」を使用しているが、単独では用いていない。またパート系には出現しない。

  1. ホルン三重奏曲作品40第三楽章冒頭「Adagio mesto」
  2. インテルメッツォ作品118-6冒頭「Andante,largo e mesto」

ベートーヴェンも2回しか使っていない。ラズモフスキー四重奏曲第一番と、7番のピアノソナタどちらも緩徐楽章に現れる。ブラームスもベートーヴェンも「短調の遅い音楽」に使用している。おまけにブラームスの場合、2例とも変ホ短調になっている。全部で8つしかない貴重な変ホ短調である。フラット6個の調号が楽譜に座っているだけで、演奏前から重々しい気分が充満する。平行長調の変ト長調はさらに少なく作品33-8の歌曲に1回だけしかないので、この調号もっぱら変ホ短調用である。嬰ニ短調と見てもシャープ8個になってしまうし、アマチュアには鬼門である。そのあたりのうらぶれた感じがこの調の特徴かもしれない。

2015年7月29日 (水)

擬似ユニゾン

ホルン三重奏曲の第2楽章での出来事。287小節目から中間部が始まる。大変珍しい変イ短調のトリオだ。フラット7個の現場は滅多にないから要チェックだ。

287小節目から12小節間、ヴァイオリンとホルンがオクターブユニゾンだなどと思っていたら、ところがどっこい3度だった。ホルン側の記譜が「in Es」だから「C」から始まる旋律と見えて、実音は「Es」からになる。楽譜上の見かけはオクターブユニゾンだが、実音上では3度進行になっている。ちょっと面白い現象。

2015年7月28日 (火)

ジュピタースケルツォ

モーツアルトの交響曲第41番ハ長調の終楽章は「C→D→F→E」という主題で始まる。いわゆる「ジュピター音型」だ。ブラームスの4つ交響曲の調性を順に並べると「CDFE」となるなど、興味本位も含めて話題には事欠かない。

ホルン三重奏曲変ホ長調op40の第2楽章の冒頭を見て欲しい。ピアノが2オクターブにまたがるユニゾンで立ち上がる。その最初の4つの音を順に並べると「Es→F→As→G」になっている。これを変ホ長調の移動ドで読むと「ドレファミ」になる。つまりジュピター音型である。

何せテンポが速い上に、ピアノなのでから耳を澄ましていなければ聴き逃がす。このスケルツォ全体にこの音型が織り込まれている。

2015年7月27日 (月)

大学祝典序曲寿

本日母、80歳の誕生日。

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母が元気にこの日を迎えたことを家族全員で喜んだ。80歳にして元気であるばかりでなく、今もって現役バリバリの主婦。我が家の太陽。家族に漏れなく目配りをし、一家の主としてやわらかく君臨する。妻の死後、幼い子どもらをいつくしんできた。その子どもたちも末っ子の次女でさえ間もなく二十歳だ。子どもたちもそれぞれ熟考してプレゼントを用意していた。長男から花束、長女は口紅、次女はマカロン。

私からのプレゼントは下記。

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「Berncasteler Doctor」はモーゼルきっての銘産地。14世紀の昔、医者に匙を投げられた領主に、住民がワインを献上した。それを飲んだ領主が奇跡的に回復した。喜んだ領主は、そのブドウが採れた畑に「Doctor」という称号を与えたという。ドイツワインの白を好む母にふさわしいばかりか、健康長寿を祈る意味でまたとない由緒だ。天候に恵まれた2012年のアウスレーゼで母の傘寿を祝う。

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ラベル中央の扇状の斜面がその畑「ドクトル」だ。モーゼル川に面した南向きの斜面。手前がそのモーゼル川で、左が下流だ。

室内楽ツアーを喜んで中断して、母の傘寿を祝う。

2015年7月26日 (日)

名ばかりのEsdur

ホルン三重奏曲の楽章毎の調性を以下に列挙する。

  1. 変ホ長調
  2. 変ホ長調
  3. 変ホ短調
  4. 変ホ長調

主音変ホが見事に並ぶ異例の調性配置だ。Es管のナチュラルホルンへの配慮に決まっている。

ところが肝心の第一楽章が何か変だ。冒頭のヴァイオリンは4分の2拍子のアウフタクトで変ロ音を鳴らした後、あろうことか5度上の「F」に跳躍する。調号にフラット3個が据えられている時点で、聴き手には変ホ長調という意識があるから、アウフタクトからの跳躍の到達先にはぜひとも「Es」がほしいところだ。これならブラームス恒例の「跳躍する4度」になるからだ。

ところがまんまと裏切られて「F」にたどり着いた後も、ずっと「変ロ長調」状態が続く。肝心な「Es」音がほとんど出てこない。第一楽章の末尾で申し訳程度に変ホ長調がひっそりと確定するに過ぎない。調号としてフラット3個が奉られているにしろ、この楽章ひいては作品全体が「変ホ長調」と呼ばれていることが不思議なくらいだ。

だから第一楽章をソナタにできなかったのかもしれない。

2015年7月25日 (土)

Blechbratsche

ブラームスはしばしば、ナチュラルホルンのことを半ば自嘲的に「Blechbratsche」と呼んだ。「Blech」は英語でいう「Brass」のことで「金管楽器」を指す。「Bratsche」はもちろん「ヴィオラ」のことだ。だからナチュラルホルンとはつまり「金管のヴィオラ」である。

一般にナチュラルホルンとは、バルヴを持たないホルン。自然倍音だけしか出せない。18世紀中ごろには、ベルの中に差し込んだ手の位置を操作することで、自然倍音プラスマイナス2度の音程が出せるようになる。両者は開放音とストップ音と言って区別されるが、音色の均質性は犠牲になる。古典派のホルンパートの動きはこの制約にさらされているということだ。
1815年頃そうした制約から解放されたバルブホルンが登場することになる。急速に普及するが一部ではナチュラルホルンが愛用され続けた。
ブラームスはまさにその愛用者だった。ブラームスの管弦楽におけるホルンは、ナチュラルホルンの使用が前提になっている。そしてホルン三重奏曲もナチュラルホルンのために書かれている。ブラームスは音程による音色の違いを「制約」とは受け取らず、むしろそれを逆手にとって、音色の違いを楽想の表情付与に利用した。ホルン三重奏曲の作曲は、バルヴホルンの登場から50年経過したあとだというのに、断固ナチュラルホルンにこだわったということだ。
ブラームスが様々な楽曲でホルンに与えた楽想を思うとき、あるいは彼自身がピアノのほかにホルンやヴィオラの演奏も出来たこと思うとき、「金管のヴィオラ」という表現は示唆に富んでおり含蓄があると感じる。

2015年7月24日 (金)

讃歌

1853年7月24日。つまり162年前の今日ドイツ・ゲッティンゲンにてブラームスは友人と集まった。このときブラームス20歳。居合わせた2人と、ヨアヒムをからかうことになった。この日をヨアヒムの誕生日と見立てて室内楽を演奏することになりブラームスが室内楽の小品を書いた。

その作品のタイトルが「偉大なるヨアヒムを称えるための讃歌」(Hymne zur Verherrlichung des grossen Joachim)である。編成はヴァイオリン2本とコントラバスの三重奏で、コントラバスはチェロで演奏してもよいことになっている。イ長調4分の3拍子79小節の小品だ。

ブラームスのほかに居合わせた2人が演奏に参加したという。ブラームスの担当は第2ヴァイオリンであった。冒頭の2小節はブラームスつまり第2ヴァイオリンのソロだ。最初の音は「DとA」つまりヴァイオリン中央に張られた2本の開放弦の重音の4分音符。次が「GisとD」G線の一番低いソシャープとDの開放弦の4分音符。次は小節の最後の4分音符でAとEの開放弦だ。2拍目のソにシャープが付いているものの、もろに5度の連続である。これって平行5度の禁則に違反しないのだろうか。

ブラームスの第2ヴァイオリンには訳がある。この作品で誰がどのパートを担当するかは、面白いルールがあったらしい。つまり集まった3人がもっとも下手な楽器を受け持ったというのだ。

ブラームスがちっとはヴァイオリンを弾けた証拠でもあるし、裏を返せばヴァイオリン以外の弦楽器がヴァイオリンよりは上手に弾けたということとも取れる。

この日の69日後、ブラームスはデュッセルドルフにロベルト・シューマンを訪ねて、ロマン派音楽史上名高い対面が実現することになる。

2015年7月23日 (木)

聴衆の無関心

後にブラームスザールと改称されることになる楽友協会小ホールの「こけら落とし」公演にクララ・シューマンが出演した話を昨日しておいた。そこで、当日のプログラムの冒頭がブラームスのホルン三重奏曲変ホ長調op40だと書いてはしゃいだ。

ところが、クララは後日友人に「聴衆には全く受けなかった」と書き送っている。クララ自身はこの三重奏曲を「真に精神性に溢れ、どこから見ても全く持って興味深い作品」と評価している。それなのに聴衆の反応が冷たいと嘆いているのだ。

ある程度は仕方が無い。当時クララは欧州最高のピアニストの位置にあった。シューマンとベートーヴェン作品の当代一の解釈者という位置づけだ。その彼女が満を持して杮落とし公演にのぞむのだから、ましてそのプログラムに冒頭には、絢爛豪華で華麗な作品を期待するのが人情というものだ。

ホルン三重奏曲は、1870年1月の同公演の段階で、ピアノ入りの室内楽としては最新の作品だ。クララの意気込みも判らぬでもないが、聴衆の期待するカリスマピアニスト、クララという価値観を存分に反映する演目とは言えない。クララの思いと聴衆の期待が完全にずれている。しかしクララの手紙には半ば想定内という諦めも見え隠れする。

後世の愛好家である私は、聴衆の好みとのズレも省みず、こけら落とし公演の冒頭にホルントリオを持ってきたクララの英断に心から拍手を送るものである。

申し遅れた。昨日8番目の室内楽ホルン三重奏曲にたどり着いた。

2015年7月22日 (水)

こけら落とし

劇場やホールのオープン公演のことだ。

1870年1月19日が、ウィーン楽友協会小ホールのこけら落としだった。現在ではブラームスザールと呼ばれているあのホールのことだ。

私も新婚旅行でウィーンを訪れた際に出かけたことがある。ヘルマン・プライのシューベルトの夕べだった。演奏もなのだが、トークが面白い感じのリサイタルだった記憶がある。その会場に上る階段踊り場に、クララ・シューマンの胸像が置かれていて嬉しかった覚えがある。

実は、ブラームスザールと後に命名されることになる、ウィーン楽友協会小ホールの杮落とし公演に出演したのは、他でもないクララ・シューマンだったのだ。後にブラームスの名前が奉られるなどとは誰も思っていなかったに違いないが、その動機のひとつになったような気がする。

今と違って、さまざまなジャンルがごちゃ混ぜのプログラムなのだが、最初の演目がブラームス作曲のホルン三重奏曲変ホ長調op40だった。ピアノを受け持ったのはもちろんクララだ。ブラームスザールの最初の演目が、ブラームスの室内楽で、あろうことかクララが出演していたというだけで半端無い由緒を感じる。

2015年7月21日 (火)

ワルツの室内楽版

ブラームスのブレークは、ハンガリア舞曲だった。1868年に出版されると楽譜が売れに売れた。その影に隠れてはいるのだが、家庭への浸透という意味で忘れれはならないのがワルツだ。今では15番だけがやけに有名だが、連弾用独奏用としてそこそこ売れた。

どれだけ重宝されていたかを量る目安が、他編成への編曲だ。まずはブラームス自身の編曲によるものを列挙する。

  1. ピアノ連弾版 これはオリジナル。
  2. ピアノ独奏版
  3. ピアノ独奏版 簡易バージョン
  4. 2台のピアノ版

さらに他人の編曲ながらブラームス存命中に出版されたものを以下に挙げる。

  1. ピアノ連弾とヴァイオリン 1880年
  2. ピアノ連弾とヴァイオリンとチェロ 1879年
  3. 弦楽四重奏版 1893年

何かと愛されている。

2015年7月20日 (月)

意外なはまりっぷり

Barbara Westphal さんはアメリカの女流ヴィオラ奏者だ。ブラームスが相当お好きとお見受けする。クラリネットソナタのヴィオラ版の録音があるのは自然としても、そのCDに「FAEソナタ」のヴィオラ版が、ひっそりと収録されていた。

彼女のブラームスラブを追認するCDに出会った。2015年に入ってからの発売だ。「Convergendes」とタイトリングされたCD。「集中」とか「集約」あるいは「収束」の意味だ。
収録されているのは、ヴァイオリンソナタ第1番ト長調のヴィオラ版。ニ長調に移調されたチェロ版のCDはよく見かけるが、ヴィオラ版は我が家にも他に1枚あるだけの少数派だ。チェロ版にニ長調をオクターブ上げてではなく、オリジナルのト長調を踏襲しているのが嬉しい。場所によってはかなりのハイポジションを要求されるが、まあ涼しげにさくっと弾かれていてストレスはない。ヴァイオリンに比べて発音がマイルドなのをカバーする意図があるのかどうか、第二楽章のテンポが速い。総演奏時間6分23秒は、我が家のコレクション中最短の第二楽章だ。それでも全然バタついた感じがしないのは、ヴィオラ特有の音質のせいかと。
前置きが長くなった。
私がこのCDに飛びついたのはアッと驚く、チェロソナタ第1番のヴィオラ版だ。楽譜だけは我が家にもあるが、実際に演奏され、CDになっているケースにお目にかかれずにいた。
聴いてみる。チェロオリジナル版ホ短調をオクターブ上げている。ヴィオラの弦の配置がチェロのオクターブ上への転写だから全く無理が無い。第一楽章冒頭は、ヴィオラC線を深々とえぐって立ち上がる。第二楽章のトリオ、切ない八分音符の連続もきっちりとはまりこむ。注目はフィナーレで、チェロソナタよりやさし気に響く。
相当ブラームスが好きなんだと思う。ヴァイオリンソナタやチェロソナタ、他の作品も収録してくれないものか。

2015年7月19日 (日)

メヌエットのテンポ

アクセス解析を見ていて興味深い現象に出会うことがある。今日の話題もそれだ。どうも「メヌエット」「テンポ」というキーワードでたどり着かれることが多い。メヌエットの適正なテンポを求めてネット検索をしていると想像出来る。

ブログ「ブラームスの辞書」に関する限り徒労に終わる。ブラームスは「メヌエット」の適正なテンポを、既に明らかで説明不要と位置づけている。作品冒頭のテンポ指示で「メヌエットのテンポで」「Tempo di menuetto」あるいは「Quasi menuetto」と謳うことはあっても、それ以上深入りして説明することはない。メヌエット自体にはけしてテンポの指示をしていない。メヌエット以外の曲が、たまたまメヌエットのテンポを必要している場合のみ「メヌエットのテンポで」と指定しているに過ぎない。「ご存知の通りのメヌエットです」というニュアンスだ。

「16のワルツ」op39では、冒頭に「im Landler tenpo」と明記する。「ワルツ」というタイトルを掲げながら、テンポはレントラーなのだから、この指示は当たり前だ。

ブラームスにとっては「メヌエット」も「レントラー」も説明不要のテンポだということだ。

ところが私のブログアクセスへのキーワードを眺めている限り、現代日本では「メヌエット」のテンポが説明不要ではないようだ。ブラームスが想定した楽譜の読者層と違っているということかもしれない。

チェロソナタ第1番第二楽章に「Allegretto quasi Menuetto」と書かれている。

2015年7月18日 (土)

短調まみれ

ソナタと称する多楽章の器楽作品において、全ての楽章が長調になっているケースは割と頻繁に見かける。ブラームスでもそうだ。第2交響曲やヴァイオリン協奏曲などさっと思い出すことが出来る。

ところがその逆、全楽章が短調の曲となると大変珍しくなる。

ブラームスでは唯一チェロソナタ第1番だけがそれに該当する。全部の楽章が短調だからそれらの第一主題が短調になっているのは当然として、第1楽章の第2主題も短調で、第2楽章の中間部も短調だ。フィナーレ第3楽章で現れる諸主題も短調である。まさに異例中の異例と言えよう。

だから母の死が反映しているという俗説が変に説得力をもってしまうのだと思う。

2015年7月17日 (金)

長い坂道

チェロソナタ第1番ホ短調の第1楽章の40小節目にさしかかると、いつもある錯覚に襲われる。何だか長い坂道の入り口に居るような錯覚だ。2分の2拍子の第1楽章が第1主題を一通り歌い終えた後のことである。

40小節目から2小節間、チェロは2分音符4個を連ねて「F-E-D-F」と歌う。このゆったりとした感じこそが、これから登る長い坂道の前に広がる踊り場に感じられる。58小節目から始まる第2主題に続く登山道だ。19小節かけて音楽がじっくりとせり上がって行く。この19小節自体が魅力溢れる旋律なのだが、おそらく聴き手の脳裏には続く第2主題が鳴っていることは間違いない。旋律の行き着く先に鎮座する第2主題の前触れであること自体が魅力の一部になっているのだ。

その第2主題は、チェロとピアノが名高いカノンを紡ぎ出す。思うに名旋律だ。ブラームスは、この名旋律をあっさり提示しはしない。19小節かけて晴れ舞台を掃き清めて機が熟すのを待つのだ。この19小節間を「第2主題そのもの」とした解説書などありはしないのだが、音楽的には必要不可欠だ。

今日から7番目の室内楽チェロソナタ第1番だ。よい具合にあったまってきた。

2015年7月16日 (木)

お盆ネタ20本

ブラームスが知人を連れてお盆に我が家にやってくるというコンセプトの記事が昨日で20本に達した。

  1. 2007年 バッハ
  2. 2008年 シューマン夫妻
  3. 2009年 ヨアヒム
  4. 2010年 ドヴォルザーク
  5. 2010年 ドヴォルザーク。ブラームスの携帯電話ネタ。
  6. 2011年 ジムロック 地震お見舞いネタ。
  7. 2011年 ジムロック 「ブラームスの辞書」版権譲渡ネタ前編。
  8. 2011年 ジムロック 「ブラームスの辞書」版権譲渡ネタ後編。
  9. 2012年 ビューロー 「ニュルンベルクコンサート」ネタ
  10. 2012年 ビューロー 「ふるさと」ネタ。
  11. 2012年 ビューロー 
  12. 2012年 ビューロー
  13. 2012年 ビューロー
  14. 2012年 ビューロー
  15. 2013年 ブラームス単独 真冬の来訪。ふくだもなネタ。
  16. 2013年 ボロディン 36代をねぎらう。
  17. 2014年 ドヴォルザーク ドヴォ8、謝肉祭
  18. 2014年 ドヴォルザーク 
  19. 2014年 ドヴォルザーク
  20. 2015年 チャイコフスキー

その間我が家を訪れたのは9名だ。申し上げるまでもないが全部私の創作である。詳細はこちら

ブログ「ブラームスの辞書」の当面のゴール2033年5月7日までおよそ20年。2010年から年に2本以上が続いている。この調子で行くとかなりな本数を稼げる予感。

同時に本日はブログ開設以来ちょうど3700日の節目にあたる。

2015年7月15日 (水)

お盆のファンタジー20

ブラームスと一緒にやってきたのはチャイコフスキーだった。道中会話が弾んでいたらしく、ノリが共有できている感じだ。挨拶もそこそこにブラームスがチャイコフスキーを紹介してくれた。

チャイコフスキーは右手を差し出しながら「すごい白鳥だちですね」とウィンクをかましてきた。次女の後輩たちのスペコンのことを言っているようだ。強く右手を握り返しながら、「おいでいただいたのですか?」と私が聞き返す。チャイコフスキーの返事を遮るようにブラームスが割って入る。「フルオケでバレエ付のスワンレイクだろ」「オレだけで聴くのはもったいないから誘ったんだ」と。チャイコフスキーは笑いながら「演奏会にご一緒するのは、たしか1889年3月12日ハンブルク以来でしたね」とブラームスに同意を促す。「そうそう、たしか第五交響曲のハンフルク初演の夜だ」とブラームス。

「それにしても」応接に通してビールを促すと、一口で飲み干したチャイコフスキーが切り出す。「すごい熱気だったな」と続ける。私はわざと「何のことですか?」と切り返す。「乙女たちのスワンレイクに乾杯」とブラームスが奇声をあげる。

「高校生のクラブとしては、すごいでしょ」と私。バレリーナも彼女らの先輩だし、同日のソリスト2人も先輩だと付け加えた。「ああ、並みのオケならあのスワンレイクでエンディングだろ」とブラームス。「分厚いブラボーがかかって、そこそこのアンコールが続けば、チケット代2マルクの元はとれるぞ」「俺なら5マルクいや10マルクでもOKだ」と。「無料で聴いたくせによくいうよ」とチャイコフスキーが突っ込む。「乙女たちがすごいのは、あのスワンレイクの後、尻上がりに熱気を増すことだよ。3時間強の盛りだくさんの演奏会をケロリとこなすパワーが素晴らしい」とチャイコフスキーが付け加える。

「乙女たちの青色のベストから見える白いブラウスの袖があるだろ」「弦楽器の子たちがトレモロを刻むとき、白鳥のはばたきに見えるな」とチャイコフスキーが感心したようにつぶやく。「ああ、それに青い制服が湖のようだ」と続ける。

「5月6日がゲネプロだったろ?」とチャイコフスキーが聞いてきた。「その通り」と私が答えると「乙女たちからお誕生日おめでとうの念がたくさん飛んできた」とチャイコフスキーがホクホク顔で続けた。「翌日7日は私ら2人の誕生日だからな」とブラームス。「誕生日イブにお祝いの念を送れば、本番でご加護があると本気で考える子たちなんです」と私。ブラームスはわざと難しい顔をして「あの子らにご加護なんぞ要らんだろ」としたり顔だ。

「それにしてもエンディング前のカバレリは伝統なのか?」とブラームス。「あの手の曲で人を唸らすのは、プロ並みの心構えだろ」とあきれ顔だ。「代が変わりメンバーが入れ替わっても変わらずにプログラムに採用される曲です」と私が説明する。

「ああそれにしてもレプレ」「もう弾く方も聞く方も泣いていたな」「凄いステージだ」などと議論は深夜に及んだ。

昨日帰り際に「DVDができたら10枚送ってくれと私に耳打ちするブラームスだった。

2015年7月14日 (火)

第一クォーター

昨日の記事で弦楽六重奏曲第2番への言及を終えた。同曲は6番目の室内楽だから、全24曲の4分の1が経過したことになる。5月11日の室内楽ツアー開幕からおよそ2ヶ月だ。第一クォーターの経過に2ヶ月をかけたから、全体は8か月になるかというと、そう単純でもない。

作品8のピアノ三重奏曲第1番に入る前に、イントロダクション、オリエンテーション的な記事があったからだ。

我が家もちょうどお盆。

2015年7月13日 (月)

メンデルスゾーン五重奏団

1866年10月に弦楽六重奏曲第2番を米国ボストンで初演したアメリカの団体。これを最後にブラームス作品の世界初演が米国で行われることは無くなるから、貴重なチャレンジだったことが判る。

もちろん作曲家メンデルスゾーンの名前を拝借したネーミングだ。メンバーは欧州出身の音楽家たちである。

微笑ましいエピソードが一つ。

ある日、とある人物がメンバーに向かって尋ねた。

「それで、この中の誰がメンデルスゾーンさんなんですか?」

無理目のメンデルスゾーンネタ。

2015年7月12日 (日)

ジーク

バロック組曲の終曲に置かれることの多い英国またはアイルランド起原の民俗舞曲。「Gigue」というのはフランス風の綴りで、元は「jik」だったらしい。拍子に特徴がある。分母を8として、分子に3、6、9または12が採用される。速度記号の指示が脱落していることもあるが、大抵は急速なテンポで演奏される。「ジーク」と言えば、書かんでも判るっていうことだと思われる。

バロック組曲といえばバッハだ。無伴奏チェロ組曲、管弦楽組曲など枚挙に暇がない。単なる舞曲の羅列となめてはいけない。サラバンド、アルマンドを代表とする遅め系にクーラントの速め系が程よくブレンドされて最後にジークで締めるという配列は、長い間かけて確立したものだ。

ブラームスにもジークがある。作品番号こそ付けられていないが、イ短調とロ短調のジークがピアノのために書かれている。1855年頃の作曲と推定されている。同じ時期にサラバンドも作曲されている。調はジークと全く同じでイ短調とロ短調である。バロック組曲を代表する緩急2種類の舞曲を同じ調で作曲していたことになる。グルックのガヴォットを編曲したりもしていて、このあたりのバロック組曲に対する関心の現われと見ることが出来る。

このところすっかりバッハの無伴奏チェロ組曲にはまっている。6曲どれもジークで締めくくられるが、ヴィオラでこれを練習していてデジャブーに見舞われた。ブラームスにあったような気がしたのだ。

弦楽六重奏曲第2番のフィナーレがデジャブーの原因だ。8分の9拍子ト長調だ。理由は判らないが、最近これがジークに聞こえて仕方がない。

2015年7月11日 (土)

最長の半音進行

インテルメッツォホ長調op116-6に4回連続の半音進行が現れる。

作品冒頭の「H→His→Cis→Cisis→Dis」だ。半音進行の魅力ある配置が持ち味のブラームスにあっても作品冒頭4回連続で5音にまたがる半音進行は異例である。

ところが作品の冒頭でなければ上には上がある。第一交響曲第3楽章の98小節目から101小節目にかけてのコントラバスだ。「Dis→E→Eis→Fis→Fisis→Gis」である。同楽章がクライマックスに駆け上る過程の中に現われる。実はここはコントラバス弾き垂涎の見せ場である。上行する半音進行としてはこの5連続6音が最長だと思われる。

下降する半音進行になるとさらに上を行く例がある。弦楽六重奏曲第2番第3楽章の15小節目から16小節目にかけてのヴァイオリンとヴィオラがオクターブユニゾンで6連続7音にまたがる半音進行がある。「A→Gis→G→Fis→F→E→Dis」である。この周辺はもやがかかったような半音進行の連続で、13小節目から14小節目にかけても、5連続6音の半音下降が観察できる。

おそらく下降の半音進行としては6連続7音、上行としては5連続6音が最長である。

ところが、「連続する」という定義に縛られずに考えるともっと長いケースがある。

カプリチオロ短調op76-2の冒頭の左手だ。4分の2拍子の拍頭の音だけ、つまり後打ちを無視するといい。

「H-Ais-A-Gis-G-Fis-F-E」という7連続8音の下降する半音進行が浮かび上がる。

2015年7月10日 (金)

刊行10周年

初めての自費出版「ブラームスの辞書」刊行から本日で丸10年となった。

ここまでに売れたのは90冊と少々。弱小自費出版本としては御の字。親兄弟親戚でもない人が、買い求めてくれている。

思えば10年あっという間だった。本の宣伝用にと立ち上げたブログ「ブラームスの辞書」が、本を宣伝することも今ではほとんどなくなった。本の宣伝というよりも、著者である管理人のキャラの説明に大半の労力を割いている。明らかになるのはブラームスのキャラなんぞではなく、私のキャラだ。

6番目の室内楽、弦楽六重奏曲第2番への言及を遮って、今日は10周年のお祝い。

2015年7月 9日 (木)

主題無き変奏曲

変奏曲といえば素材となる主題が冒頭ではっきりと提示されるのが普通である。主題が作曲者本人の創作によるものではないとき「誰それの主題による」という文言が付与される。

弦楽六重奏曲第2番の第3楽章は、批評家ハンスリックから「主題無き変奏」と評された。ある意味で変奏曲の王道をはずしているということを示唆する比喩だと思われる。問題の第3楽章冒頭で主題を奏しているのは第一ヴァイオリンだ。それはそれでよいのだが、糢糊とした伴奏パートが存在するために、変奏曲冒頭の主題の提示としては、異例なくらい主旋律が聞き取りにくいのだ。ハンスリックの比喩はこのあたりを指していると思われる。

特に第一ヴィオラだ。4分音符を3つに割った3連符が主題に絡みつく形になるのだが、何やら立ちこめた霧が引かない感じなのだ。しかししかし、こうした朦朧とした感じは実はブラームスの狙い通りかもしれぬ。第一ヴァイオリンの4連4分音符を、ヴィオラが3連符で割った形は、第一楽章冒頭の暗示になっている。第3楽章の音価を3倍に伸ばせばキッチリと第一楽章と同じになってしまうのだ。からみつくヴィオラこそがキーになっている。

やがて訪れる第3楽章78小節目。楽章冒頭以上に音符が錯綜する構造ながら、ものの見事に晴れ渡った楽想が披露される。楽章冒頭と同じ「p molto espressivo」が第一ヴァイオリンと第一チェロに置かれながら、立ち込めていた霧が鮮やかに引いている。混沌から清澄に向かうベクトルを味わうべきだと、ハンスリックが教えてくれている。

第三楽章の冒頭にスカッとした主題提示が無いという意味で「主題無き変奏曲」と呼ぶ主旨を理解出来ない訳ではない。しかしながら無い無いと嘆いているばかりでは能が無い。第一楽章冒頭の第一主題こそが、第三楽章の主題提示を兼ねているという具合に考えを進めたいものである。

2015年7月 8日 (水)

mf と poco f

ブラームスのダイナミクス用語はなかなか一筋縄ではゆかない。

小学校以来おなじみの「mf」(メゾフォルテ)や「mp」(メゾピアノ)にも厄介な問題が横たわっている。「mf」については2006年2月22日の記事「いわゆるmf問題」で取り上げた。

「mf」はブラームス作品中に約600箇所用いられているが、同じく300箇所少々用いられている「poco f」との間に避け難い難問が存在する。ダイナミクスとしての「mf」と「poco f」はどちらが強いのかがそれである。「やや強く」「少し強く」という日本語訳にしても決定打にはなり得ない。著書「ブラームスの辞書」では、この問題にいくつかのヒントを提示するにとどまっている。

たとえば弦楽六重奏曲第2番第1楽章だ。468小節目の第一ヴィオラによる第2主題の提示である。この部分ヴィオラには「mf espressivo」だ。周囲のパートは「p」である。驚いたことにこの第一ヴィオラを引き継ぐ第一ヴァイオリンでは「poco f espressivo」に差し替えられる同時に、周囲のパートのダイナミクスが「mf」に格上げされている。ダイナミクス「poco f」が「mf」より強い証拠になる可能性がある。

上記は「mf」と「poco f」が連続して出現するケースだ。こうしたケースは数は少ないながらもいくつか観察出来る一方、ブラームスは「mf」と「poco f」を同時に用いることはほとんどない。このこと自体が多くの示唆を含んでいると感じる。ほとんどと申したのには訳がある。たった一箇所、「mf」と「poco f」が同時に出現する場所がある。

第一交響曲第3楽章の54小節目アウフタクトだ。オーボエに「poco f」が置かれるその同じ場所でチェロとコントラバスに「mf」が現われる。どちらもこの2小節後に始まるクレッシェンドによって「f」に到達する。さらに79小節目に至っては「mp」と「mf」の並存が実現しているなどこの楽章はダイナミクス面の難題を多く抱えている。

「f」と「p」の内側に微妙な陰影を設定するのはブラームス節の根幹の一つである。ブラームス好きたるものこれを疎んじてはなるまい。

2015年7月 7日 (火)

肩透かし

元々相撲の決まり手のひとつを指す言葉だ。相撲ではあまり多いとは言えない決まり手であるが、そこから転じて別の意味で用いられる。

「相手の勢いをかわして拍子抜けさせること」くらいの意味である。

ブラームスの室内楽の中に「拍子抜け」を狙ったと思われる場所がある。

弦楽六重奏曲第2番の第1楽章だ。第二主題と称される部分である。提示部の中では134小節目に相当する。この第二主題には119小節目から始まる16小節にも及ぶ長い表参道がある。主役は第二ヴィオラだ。時折Hにまとわりつくシャープが繊細な8分音符の刻みだ。参道の終点まであと2小節のところで第一チェロの決然としたピチカートがある。最後はA音のオクターブ下降が第一チェロの輝かしい第2主題の呼び水となる。この第2主題には「poco f espressivo」が奉られている。おそらくこの六重奏曲中最高の名旋律だ。

さてこの名旋律が再現される際にも、この表参道が準備される。参道の景色は提示部の時とまったく同じである。聴き手は「いよいよ待ちに待った第2主題だ」と意気込むが、第2主題は現われない。466小節目のことだ。ひらひらと蝶が舞うような第一ヴァイオリンのオクターブのパッセージが響くだけである。聴き手が「あれれ」と思っていると、2小節遅れてヴィオラが待望の第2主題を放つ。「やれやれ」と思う間もなく、これもまた何かが違う。

何故違うか。

ヴィオラの放つ旋律は、調性こそ原調だが、ダイナミクスは「mf espressivo」となっていて「poco f espressivo」が奉られた1回目よりは格下げされた感じだ。第一ヴァイオリンのオクターブのパッセージがひらひらと浮遊する印象であることも原因だろう。そして縁の下で支える第二チェロのD音も移弦が義務付けられているおかげで、第一ヴァイオリンと同等のヒラヒラ感が漂っている。つまり、旋律は回帰したが地に足が付いていない状態だ。

2度にわたって聴き手に肩透かしを食わせておいて、477小節目に至って、完全に旋律が回帰する。全てのアーティキュレーションが提示部通りに回復するのだ。旋律は第一ヴァイオリンでダイナミクスは輝かしい「poco f espressivo」である。

作品中最高の旋律の再現を、小出しにしている感じである。主題再帰の隠蔽は、ブラームスの常套手段だけれども、ここは特にじらしが念入りである。

2015年7月 6日 (月)

前倒し開幕

オリンピックのサッカー競技において、グループリーグは開会式前に始まるのが通例だ。選手の疲労を考慮した適当な試合間隔に配慮し、なおかつ決勝戦が閉会式までに終わるようにするには、前倒し開幕が必要だということだ。

我がブログで現在進行中のブログ開設10周年記念企画「室内楽ツアー」は、ブラームスの室内楽をその作曲順に次々と取り上げて行くというコンセプトだ。本来ブログ創設10周年の記念日5月30日を祝い、その後キリのいい6月1日に立ち上げる予定だった。

それに加えて重要なのは、記事のタイミングだ。昨日はブラームスの元婚約者アガーテの誕生日だった。彼女は弦楽六重奏曲第2番ト長調との関係がしばしば取り沙汰される女性だということもあって、その誕生日が弦楽六重奏曲第2番の言及期間に収まるよう、記事の配置を工夫した。

弦楽六重奏曲第2番は、ブラームスにとって6番目の室内楽だ。出版はされなかったもののFAEソナタを加えると、6曲が同六重奏曲に先行する。

困った。弦楽六重奏曲第2番に先行する6つの作品への言及を、アガーテの誕生日の前日までに終えなくてはならないのだが、それら6作品の記事が想定以上に増えたために、アガーテの誕生日までに言及が終わらなくなった。

そこで、本来ブログ開設10周年記念日の後のハズだった「室内楽ツアー」を、10周年記念日より繰り上げてスタートさせた。いわば苦肉の策ではあるのだが、この手の記事公開日程のやりくりは、実は楽しみにもなっている。

2015年7月 5日 (日)

生誕180周年

本日7月5日はアガーテ・フォン・ジーボルトの誕生日。1835年生まれだから、生誕180年になる。弦楽六重奏曲第2番は、彼女の名前とともに語られる。

生きていれば今日が180歳の誕生日だ。

そしてやはりサッカーだ。日本時間明日6日の朝、サッカー女子日本代表は、ワールドカップの決勝戦に臨む。アガーテが暮らした英国イングランド代表を準決勝できわどく下しての決勝進出だ。

2015年7月 4日 (土)

城門のそばの家

1859年ブラームスとアガーテの交際は突然終わりを告げる。「束縛されたくない」という理不尽な理由にアガーテは身を引く。どちらにとっても痛手だったという。

1863年アガーテは外国に渡る。ブラームスとの想い出が残るゲッティンゲンにとどまりたくなかったのだろうか。だからそれ以降彼女はゲッティンゲンにはいない。ガイリンガーのブラームス伝によれば、その家は城門のそばにあったという。

1864年になってブラームスは、感情を抑えながら「城門のそばの家」を訪れたという。アガーテが去った後だから、訪れることが出来たのだろうと思う。もしそこにアガーテが居たら絶対に訪問するハズはない。それがデリカシーと言うものだ。この年アガーテ六重奏曲として名高い弦楽六重奏曲第2番が作曲されている。

アガーテの名前を忍び込ませた第1楽章で名高いが、この訪問と何らかの関係があると見たい。

2015年7月 3日 (金)

グリムの法則

比較言語学上の重要な法則。それまで経験的断片的に語られていたものをグリム兄弟の兄ヤーコプが体系化した。印欧祖語からゲルマン語が分離する際に発生した子音変化の規則を第一次子音推移といい、その後ドイツ語だけに起きた変化を第二次子音推移というらしい。ドイツ語と英語間の相違は主に第二次子音推移が起きたドイツ語と起きなかった英語の違いであると説明されることが多い

英語で「d」がドイツ語では「t」になるなどいくつか知られている。詳しいことは判らぬがなるほどドイツ語と英語間では「d」と「t」が錯綜している例が多い。

  1. day-tag
  2. drink-trinken
  3. thank-danken

そういえば弦楽六重奏曲第2番の第1楽章には婚約者Agatheの名が音名化されているとされている。音名に無い「t」は「d」で代用されていた。グリムの法則に矛盾しない。

2015年7月 2日 (木)

ヨハネスの使い

平安貴族を思い出す。当時やんごとなき身分の恋は、使いに歌を託すのが常だった。歌の巧拙で大体の見当をつけ、男が女の住まいを訪ねるのだ。

ガイリンガーのブラームス伝に興味深い記述がある。

アガーテがブラームスとの破局の痛手を長く引きずっていたという話だ。アガーテは、ブラームスとの破局の後1863年に英国に渡ったらしい。ようやく1868年に衛生顧問官シュッテと結婚したとある。

老境に入ってようやくブラームスの行動に理解を示すに至ったらしい。彼女の心のキズは、ヨアヒムを通じて届けられたブラームスの挨拶に答えることが出来るようになったとある。つまりヨアヒムはブラームスの使いだという訳だ。

そりゃあブラームスは直接声をかけにくかろう。ほとんど自分の我がままで破綻した恋が、アガーテの人生にも少なからず影響を与えたことは明白だからだ。何と声をかけたところで今更感は払拭出来ない。せめて自らが頑なに独身を貫いていることが心の支えだったかもしれない。

ヨアヒムもいい奴だ。そんなブラームスの便りをアガーテに届けるのだ。ヨアヒムはアガーテとブラームス双方に顔が利くから、仲介者としては適任だ。アガーテは欧州一の作曲家からのメッセージを、当代最高のヴァイオリニストから受け取るのだ。

だからというわけではないが、アガーテは自伝の中で、最後にブラームスを許す。彼の作品がいくどとなく幸福に寄与してきた。彼は人類全体の宝であるから、あらゆる束縛の可能性を断ち切ったのだ。まるでアガーテみずからの踏ん切りのための呪文のようだ。

弦楽六重奏曲第2番ト長調op36。人呼んでアガーテ六重奏j曲。

2015年7月 1日 (水)

3つ以内

交響曲を4つしか残さなかったブラームスは、少ない方と認識されている。ハイドンやモーツアルトは別格としても、わかるような気がする。1曲も残せなかった人が一番多いなどという屁理屈を封印すれば、ブラームスの4曲は少ない。

ところが、室内楽に目を向けると、さらに少ないとわかる。

<3曲>弦楽四重奏曲、ピアノ四重奏曲、ピアノ三重奏曲、ヴァイオリンソナタ

<2曲>弦楽六重奏曲、弦楽五重奏曲、チェロソナタ、クラリネットソナタ

<1曲>ピアノ五重奏曲、クラリネット五重奏曲、クラリネット三重奏曲、ホルン三重奏曲

室内楽の編性別では3曲がやっとだ、交響曲は多い方である。総数で24曲ありながら、12種の編成とは、多彩である。弦楽四重奏に集中する作曲家が多い中、万偏ないというのがブラームスの特徴だ。

1曲残したジャンル、2曲残したジャンル、3曲残したジャンルが、4種類ずつだ。だから24曲12種という、均整のとれたバランスになる。まさか意図的ではあるまいな。

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