城門のそばの家
1859年ブラームスとアガーテの交際は突然終わりを告げる。「束縛されたくない」という理不尽な理由にアガーテは身を引く。どちらにとっても痛手だったという。
1863年アガーテは外国に渡る。ブラームスとの想い出が残るゲッティンゲンにとどまりたくなかったのだろうか。だからそれ以降彼女はゲッティンゲンにはいない。ガイリンガーのブラームス伝によれば、その家は城門のそばにあったという。
1864年になってブラームスは、感情を抑えながら「城門のそばの家」を訪れたという。アガーテが去った後だから、訪れることが出来たのだろうと思う。もしそこにアガーテが居たら絶対に訪問するハズはない。それがデリカシーと言うものだ。この年アガーテ六重奏曲として名高い弦楽六重奏曲第2番が作曲されている。
アガーテの名前を忍び込ませた第1楽章で名高いが、この訪問と何らかの関係があると見たい。
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