肩透かし
元々相撲の決まり手のひとつを指す言葉だ。相撲ではあまり多いとは言えない決まり手であるが、そこから転じて別の意味で用いられる。
「相手の勢いをかわして拍子抜けさせること」くらいの意味である。
ブラームスの室内楽の中に「拍子抜け」を狙ったと思われる場所がある。
弦楽六重奏曲第2番の第1楽章だ。第二主題と称される部分である。提示部の中では134小節目に相当する。この第二主題には119小節目から始まる16小節にも及ぶ長い表参道がある。主役は第二ヴィオラだ。時折Hにまとわりつくシャープが繊細な8分音符の刻みだ。参道の終点まであと2小節のところで第一チェロの決然としたピチカートがある。最後はA音のオクターブ下降が第一チェロの輝かしい第2主題の呼び水となる。この第2主題には「poco f espressivo」が奉られている。おそらくこの六重奏曲中最高の名旋律だ。
さてこの名旋律が再現される際にも、この表参道が準備される。参道の景色は提示部の時とまったく同じである。聴き手は「いよいよ待ちに待った第2主題だ」と意気込むが、第2主題は現われない。466小節目のことだ。ひらひらと蝶が舞うような第一ヴァイオリンのオクターブのパッセージが響くだけである。聴き手が「あれれ」と思っていると、2小節遅れてヴィオラが待望の第2主題を放つ。「やれやれ」と思う間もなく、これもまた何かが違う。
何故違うか。
ヴィオラの放つ旋律は、調性こそ原調だが、ダイナミクスは「mf espressivo」となっていて「poco f espressivo」が奉られた1回目よりは格下げされた感じだ。第一ヴァイオリンのオクターブのパッセージがひらひらと浮遊する印象であることも原因だろう。そして縁の下で支える第二チェロのD音も移弦が義務付けられているおかげで、第一ヴァイオリンと同等のヒラヒラ感が漂っている。つまり、旋律は回帰したが地に足が付いていない状態だ。
2度にわたって聴き手に肩透かしを食わせておいて、477小節目に至って、完全に旋律が回帰する。全てのアーティキュレーションが提示部通りに回復するのだ。旋律は第一ヴァイオリンでダイナミクスは輝かしい「poco f espressivo」である。
作品中最高の旋律の再現を、小出しにしている感じである。主題再帰の隠蔽は、ブラームスの常套手段だけれども、ここは特にじらしが念入りである。
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