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2015年8月31日 (月)

アダージェット

グスタフ・マーラーの第五交響曲は、思い出の曲。大学オケ生活最後に演奏した曲だ。このとき亡き妻は大学オケデビュウで、セカンドヴァイオリンを弾いた。アンコールに第4楽章を演奏した。それが「アダージェット」だ。弦楽器とハープだけで演奏され、マーラー自身の結婚が反映しているとも言われる美しい楽章。

我が家との因縁で申せば、この作品に触れたことが、長女の名づけを決定づけた。中学までは「変な名前」と首をかしげていた長女本人も、今では気に入っている。

さらに因縁が加わる。このほど次女たち高校オケの後輩がこの第4楽章アダージェットに挑むことになった。弦楽器とハープのアンサンブルという意味では「カバレリアルスティカーナ間奏曲」に近いかもしれない。彼女らオケの本領発揮にはうってつけだ。

マーラーの妻はアルマという。1879年8月31日生まれ。つまり今日は誕生日だ。

2015年8月30日 (日)

前半戦MVP

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻118ページ。ジョージ・ヘンシェルの証言がひときわ興味深い。

ヘンシェルは、ブラームスが過去の作曲家に比べて自分を卑下する様子を詳しく証言している。一旦それが始まるとただ黙って聞いているしかないという。ある日のそうしたやりとりの後、ブラームス自ら「変ロ長調弦楽四重奏曲のアジタートが、これまでで一番なまめかしく、情感にあふれているだろう」と語った。

何とまあ人騒がせな断言だ。ヘンシェルもヘンシェルで、こんな大事な話を聞いたのなら、もっと具体的に突っ込んでくれないと困る。

話の主役は弦楽四重奏曲第3番第3楽章であることは明らかだ。これが「これまでで一番なまめかしく、情感にあふれている」と言っているのだが、「これまでで」というのが曖昧過ぎて処理に困る。

  1. これまで書いた全作品
  2. これまで書いた全室内楽
  3. これまで書いた全弦楽四重奏曲

まあ、普通に考えれば上記1だ。取り立てて第3楽章を指しているから、楽章単位で見て「これまでで一番」と言っているのだろう。

そりゃあまあ、私はヴィオラ弾きだから、簡単に同意したくもなる。ヴィオラ以外の楽器に弱音器を装着させて、ヴィオラだけが快刀乱麻で音楽を引っ張る。中間部の旋律も本当に渋い。C線の使いっぷりが心憎いばかりである。

弦楽四重奏曲第3番は、12番目の室内楽である。全24曲のちょうど真ん中。ブラームスのこの断言が本当なら前半戦のMVPである。

2015年8月29日 (土)

天孫降臨

日本神話屈指のイベントだ。神が地上に降り立つ感じが否応無く有り難味を高める。

弦楽四重奏第3番の第2楽章アンダンテの冒頭を聴くと「天孫降臨」という言葉を思い出す。冒頭2小節の間で「混沌」が手際よく暗示される。その混沌の中から第一ヴァイオリンが神々しく立ち上がる。ブラームス作品で唯一の「cantabile」をあてがわれているというだけでこの旋律の有り難味がわかる。第二ヴァイオリンとヴィオラが奏するシンコペーションは空気である。そしてチェロは2分音符の「F音」でどっしりとした大地を表現する。

これだけでも十分美しい。ブラームス屈指の名旋律だ。

私が「天孫降臨」と感じるのは実はこの少し先だ。11小節目からしばらく、別のエピソードが小声で挿入された後、19小節目に至って冒頭の旋律が第一ヴァイオリンにキッチリ回帰する。第二ヴァイオリンとヴィオラのシンコペーションも同様だ。

注目すべきはチェロ。A音に始まる音階を4分音符で下降してくる。冒頭3小節目の時には現われなかったこの下降音形は感動的だ。澄み切った青空から、何かありがたいものがしずしずと降りてくる感じだ。第一ヴァイオリンの旋律自体大変美しいのだが、ブラームスが本当に言いたかったのはむしろこのチェロの下降音形だったのではないかと思わせる凄みがある。

美しいからといってこの下降音形を3小節目から提示してしまうのでは芸が無い。主題確保の19小節に満を持して提示するところが、心憎いばかりである。

2015年8月28日 (金)

光合成

緑色植物が、光の助けを借りて水と二酸化炭素から有機物を作り出す作用のことと習った覚えがある。光と言っても実はさまざまなスペクトルの集まりだから、植物が光合成をするのはどのスペクトルなのかは、長らく解明されていなかった。

1882年にこれを解明したのがテオドール・ウィルヘルム・エンゲルマンという生化学者だ。彼は緑藻と好気性菌を混合したものに赤と緑の光を照射した。赤を照射した場合だけ好気性菌が緑藻の周りに集まった。つまり赤色光が光合成を誘発しているということだ。理科の時間ではエンゲルマンの実験と呼ばれている。

エンゲルマン教授は、音楽にも興味を持っていた。ベートーヴェンの古いスケッチ帳を所有していて、ブラームスとも親交があった。おそらくオランダ・ユトレヒトの演奏会で知り合ったものと思う。

ブラームスは1876年に弦楽四重奏曲第3番をエンゲルマン教授に献呈している。実験の6年前だ。弦楽四重奏の1番と2番は外科医テオドール・ビルロートに献呈されているから、どうも弦楽四重奏は医学生理学者向けになっている感じである。

2015年8月27日 (木)

弱音器

一部の楽器に装着されるツール。装着を始める場所に「con sord.」と記され、使用解除の場所に「senza sord.」が置かれる。字義通り「音を弱める」という機能もあるにはあるのだが、音色の変更の側面の方がより強いとも感じている。

弦楽器の場合には駒に装着される。弦の振動をボディーに伝える通路に当たる駒に取り付けることによって、結果としてボディーへ伝達される振動を抑制することで音が弱くなる。しかしながら、音を弱くするだけならダイナミクス記号を調節すれば事足りると思われる。むしろ装着することによる音質の変化が狙いである場合がほとんどだと言えよう。あるいは、特定のパートを際立たせるためにその他の楽器に装着させるというような用法が一般的だ。

もちろんブラームスにもいくつかの実例がある。

  1. 交響曲第1番第4楽章31小節目のヴァイオリン。この一つ前の小節は「Piu andante」である。つまり第4楽章始まって以来の喧騒に終止符を打つべきホルンがアルプスの旋律をもって立ち上がったところである。「空気になれ」という意味の弱音器の装着である。ヴァイオリンとヴィオラに同様の役割を命じておきながら弱音器はヴァイオリンだけになっている。60小節目の3拍目まで、ずっと装着しているが、62小節目のアウフタクトからの名高い「歓喜の歌」の時には弱音器がはずされる。4拍の間に手際よくはずさねばならない。バタつかずにスマートにはずすのはなかなか難しい。ヴィオラの席から見ていると、ヴァイオリンの奏者たちが次々と手際よく弱音器をはずす光景は、なんだか春の訪れっぽい気がして美しい。
  2. ピアノ四重奏曲第1番第2楽章冒頭のヴァイオリン。チェロはもちろん6度下でパラレルに動くヴィオラにはお構いなしである。ヴァイオリンだけが弱音器装着の対象になっている。
  3. ハイドンの主題による変奏曲322小節目。第8変奏だ。コントラバスを除く全部の弦楽器に装着が求められている。フィナーレに突入する際に、取り外す必要がある。手際よくはずすのが難しい。バタバタとはずすのは興ざめである。
  4. ピアノ三重奏曲第3番第2楽章のヴァイオリンとチェロ。素朴な疑問がある。続く第3楽章にはヘンレのスコアにもマッコークルにも「senza sord.」と書かれていないが、みんなはずして演奏しているように思う。「con sord.」の効力は同一楽章内に限るということなのだろうか。
  5. 交響曲第3番第4楽章 再現部の入りが弱音器をあてがわれたヴィオラに振り分けられている。見せ場である。

最後にヴィオラ弾きとしては絶対に忘れられない箇所を一つ。弦楽四重奏曲第3番第3楽章だ。四重奏曲の4つの楽器のうちヴィオラを除く3つの楽器に弱音器装着が求められている。ヴィオラはお構いなしだ。協奏曲の独奏楽器クラスの持ち上げられ方である。ここでも続く第4楽章冒頭には「senza sord.」の書き込みが抜けている。

2015年8月26日 (水)

1:3:5

おかしなタイトルだがご辛抱いただく。

1873年だからドイツ帝国成立の2年後、通貨としてのマルクが導入された。ブラームス作品はこれ以降、事実上の独占出版権を持ったジムロック社からマルク建てで支払いを受けることになった。ブラームスから作品の原稿を買い上げる際に、ジムロックが支払った代金には、以下の通り取り決めがあった。

  1. 室内楽  3000マルク(およそ150万円)/曲
  2. 協奏曲  9000マルク(およそ450万円)/曲
  3. 交響曲 15000マルク(およそ750万円)/曲

交響曲は室内楽の5倍で、協奏曲は3倍だ。1891年に改訂されたピアノ三重奏には、ちょうど半額の1500マルクが支払われている。妙に整然とした体系で感心するばかりである。

ジムロックから支払われる原稿料は、楽譜に記される音符の数で決まっていたと思われる。編成が大きいほど、そして小節数が多いほど、高い金額が設定されていたとわかる。愛好家の間に巻き起こる感動の大きさとは必ずしもリンクしない。作り手のブラームスからしたら、脳内に出来た音楽を総譜に写す手間だけの差に違いないから、こうしたクールな設定で折り合っていたものと思われる。

その証拠に室内楽の買い取り価格3000マルクは、弦楽四重奏曲第3番op67から、最後の室内楽、クラリネットソナタ第2番まで、揺らぐことなく維持された。

問題は協奏曲だ。特にピアノ協奏曲第2番は、交響曲と同じ4楽章構成だったから小節数も多い上に、独奏楽器がピアノだから、音符の数が交響曲よりも膨らむ。少なくとも規模が小さいことで有名な第3交響曲よりは、手間がかかったのは確実だ。

おそらく、価格の見直しがあったのだろう。マッコークルの作品目録では、最後の交響曲と最後の協奏曲となった第4交響曲と、二重協奏曲において、原稿料不明としている。第四交響曲を20000マルクとし、二重協奏曲は15000マルクになったとにらんでいる。

2015年8月25日 (火)

Allegro不在のソナタ

ブラームスの作品において、ソナタ形式と「Allegro」の間に偶然では収まらぬ相関関係を想定していることは、既に何度も述べてきた。ソナタの中に必ず「Allegro」を置くことに関しては、ベートーヴェンよりも数段頑なである。ベートーヴェンにはしばしば「Allegro楽章不在のソナタ」が出現する。有名なところでは「月光ソナタ」「クロイツェルソナタ」が「Allegro不在」である。本能が命じる場合には容赦なく「Allegro不在」に踏み切っている感じである。

ブラームスは、第一楽章に「Allegro」を据えない場合でもフィーナーレでその償いをしているケースがほとんどである。

全35曲のソナタのうちたった1曲、全楽章を通じて「Allegro」が現われない曲がある。弦楽四重奏曲第3番変ロ長調op67だ。

  1. Vivace
  2. Andante
  3. Agitato(Allegretto non Troppo)
  4. POco Allegretto con Variazioni

見ての通りである。全曲を通じて速いのか遅いのか一見しただけでは判りにくい表現ばかりである。特にヴィオラ弾きの聖域として名高い第3楽章は厄介だ。カッコ入りの捕捉つきとはいえ「Agitato」がプレーンで用いられるのは異例である。さらにカッコの中「Allegretto non Troppo」は難解を極める。「non troppo」で何を抑制するのだろう。縮小語尾「~etto」によって減じられるテンポの幅を抑制している可能性さえある。

大胆な想像をする。この第3楽章のテンポは本来「Allegro」なのではあるまいか?何らかの理由でこの作品中の楽章に「Allegro」と表示したくなかったのではないだろうか。「Allegrettoだけれど遅くしすぎるな」「訳あってAllegroとは書かぬけれども」というメッセージを感じてしまう。

2015年8月24日 (月)

ラスカー

ドイツの政治家。ビスマルクに対する反対勢力・国民自由党左派の領袖だ。ドイツ帝国成立後ビスマルクの政策にことごとく反対した政敵でもある。国民自由党の党首ではない。

さて、音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻173ページに大変興味深い記述がある。チャールズ・スタンフォードの証言だ。彼は1876年当時、完成したばかりのブラームス第一交響曲を英国で、作曲者本人に指揮させようと画策していた。ケンブリッジ大学からの学位授与とも関連するタイミング。彼の証言は貴重だ。ブラームスはヨアヒムやクララの説得の甲斐あって、渡英する気になっていたのだ。1877年のタイムズ紙の勇み足までは、その気でいたらしい。

第一交響曲の英国初演を1877年春と定めその準備が進められていた。その最終打ち合わせがベルリンで行われたと証言する。弦楽四重奏曲第3番の演奏の後ベルリンジンクアカデミーで打ち合わせたと明記されている。おお。何を隠そうこれは同四重奏曲の初演だ。この打ち合わせの席で、スタンフォードの隣に座った話好きの愉快な男がラスカーだったと断言されている。

ブラ1の英国初演の最終打ち合わせに帝国議会有力会派の領袖が同席していたということだ。その席にブラームスがいたかどうか明記されていないが、いたと考える方が自然だ。カールスルーエでの第一交響曲の初演のわずか5日前のことなので不安だが、第一交響曲の作曲者にして英国初演の指揮者であるブラームス無しに最終打ち合わせとは考えにくい。

ビスマルクに心酔していたブラームスが、ビスマルクの政敵と同席していたかもしれない話。

おっと、今日から12番目の室内楽、弦楽四重奏曲第3番だ。

2015年8月23日 (日)

ドキドキの告白

室内楽特集真っ只中。ブラームスの室内楽全24曲から、一番好きな曲を無理やり決める。心情的には無理やりなのだが、実は古くから心の中では決まっていた。

ピアノ四重奏曲第3番ハ短調op60

これがブラームス室内楽の私的ベストだ。弾いていても楽しい。第3楽章冒頭は、ブラームスがチェロに与えた最高の出番だ。延々とピアノとのデュオが続く。

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第4楽章はピアノの相棒がヴァイオリンに代わる。これまた長大なソロ。

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ヴィオラの退屈は第一楽章の236小節目のソロで帳消しだ。

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曲の魅力は個々の楽器のソロの出番のかっこよさにとどまらない。第二楽章はおそらくブラームス最高のスケルツォだ。第一楽章からフィナーレまでのバランス、頑張るだけ報われる奥行き、突き詰めるほど湧いて出るアンサンブルの楽しみなど、褒め言葉はいくらも浮かぶ。

2015年8月22日 (土)

ヴィオラ弾きの祭典

大好きなピアノ四重奏曲第3番の売りは、ヴィオラ見せ場のてんこ盛りだ。そうでなくてもヴィオラへの偏愛を隠さないブラームスなのだが、同四重奏曲は本当においしい出番に満ちている。ヴィオラとピアノとの二重奏にはクラリネットソナタからの編曲によるヴィオラソナタが2曲あるのだが、出番としてのおいしさでは負けていない。

以下、我が家所有のCDをヴィオラ弾きをキーに録音年代順に列挙する。

①<Milton Katims>

  • 1952年録音。Vn:Josef Szigeti/Vc:Paul Tortelier/pf:Myra Hess
  • いやはや伝説の人。アメリカのヴィオラ奏者だが、楽譜の校訂や指揮でも名高い。1909年生まれ。
  • 錚々たるメンツ。私がヴィオラを習い始めたころ既に伝説だったヴィオラ奏者に加えてヴァイオリンもチェロもレジェンドだ。「スター掻き集め型」のメンバー構成。
②<Rudolf Streng>
  • 1956年録音。Vn:Walter Barylli/Vc:Emanuel Brabec/Jorg Demus
  • 早い話がバリリ四重奏団。これにデムスが加わるという黄金の布陣。2ndのオットーシュトラッサーが降り番で気の毒。良く見かける「常設カルテット-2nd+pf」なのだが、ウィーンフィルの1プルアンサンブルと見ることも出来る。
③<Wiliam Primrose>
  • 1958年録音。Vn:Szymon Goldberg/Vc:Nikolai Graudan/pf:Victor Babin
  • 大変珍しいピアノ四重奏専用の演奏団体フェスティヴァル四重奏団。アスペン音楽祭に集うマイスターが結成した。VnとVcは当時のベルリンフィルの主席奏者。
  • 私がヴィオラを習い始めたころプリムローズと言えば泣く子が黙った。
④<Micael Tree>
  • 1967年録音。Vn:Arnord Steihardt/Vc:David Soyer/pf:Artur Rubinstein
  • グアルネリ四重奏団とルービンシュタイン。「常設カルテット-2nd+pf」なのだが、一番のピアノ四重奏の録音では2nd奏者が弾いている。
⑤<Stefano Passagio>
  • 1968年録音。Vn:Eduard Drolc/Vc:Gorg Donderer/pf:Jorg Demus
  • ベルリンフィルの1プルアンサンブルだが、ピアノはチャキチャキのウィーン仕込というパターン。デムスはバリリとも協演していた。
⑥<Walter Trampler>
  • 1973年録音。Vn:Isidore Cohen/Vc:Bernard Greenhouse/pfMenahem Plesseler
  • ボサール三重奏団にトランプラーを招いたもの。「三重奏団+ヴィオラ奏者」というパターン。トランプラーは私がヴィオラを習い始めた頃既に、この道の権威だった。モーツアルトの五重奏では欠かせないメンバーだ。
⑦<Wolfram Christ>
  • 1982年録音。Vn:Thomas Brandis/Vc:Ottmar Borwitzky/pf:Tamas Vasary
  • ベルリンフィルの1プルアンサンブルだ。クリストの音、とても心地よく当時も今も憧れだ。今もまったく色褪せない。
⑧<Jaime Laredo>
  • 1986年録音。Vn:Isac Stern/Vc:Yo-Yo-ma/pf:Emanuel Ax
  • スターンとその仲間たち。いわゆる「スター掻き集め」型とも少し違って「お山の大将盛り立て型」とでもいうべきか。ラレドはヴァイオリンも達者。聴きどころはチェロのつもりで購入したが、ヴィオラも鳴っている。
⑨<Jiri Najnar>
  • 1988年録音。Vn:Pavel Hula/Vc:Vaclav Bernasek/pf:Jan Panenka
  • コチアン四重奏団をベースにした「常設カルテット-2nd+pf」だ。亡き妻の愛聴盤だ。
⑩<Bruno Giuranna>
  • 1996年録音。Vn:Isabelle Faust/Vc:Alain Meunier/pf:Derek Han
  • 国籍も世代もバラバラ。録音時20代の女流ファウストをベテランが取り囲むという「朝の連ドラ」型とでもいうべきか。
全10種。古い録音ばかりだ。

2015年8月21日 (金)

グァルネリ四重奏団

1964年に結成されたアメリカの弦楽四重奏団。2009年に活動を停止した。創設時のメンバーは以下の通りだ。

  • 1stVn Arnold Steinhardt
  • 2ndVn John Dalley
  • Va Michael Tree
  • Vc David Soyer
デビュー当時、ピアノのアルテュール・ルービンシュタインと組んで、ピアノ入りの室内楽にも精力的に取り込んだ。手元にそのCDがある。ブラームスのピアノ四重奏の1番と3番が収められている。
既存の弦楽四重奏団を母体に、ピアニストを迎えて収録に臨むというよくあるパターンなのだが、1番と3番では演奏者が代わっている。1番では2ndのジョン・ダリーが弾いていて、シュタインハルトが降り番に回っている。
弦楽四重奏団母体を母体にブラームスのピアノ四重奏曲全集を録音するとき、2ndVnは下手をすると3曲とも降り番ということもあるが、同四重奏団はやけに公平だ。
3番大好きの私としては3番を1stのシュタインハルトが弾いているのが何故なのか気になる。コイントスなんかではない気がしている。

2015年8月20日 (木)

フェスティヴァル四重奏団

ピアノ四重奏専用の楽団。1955年ころ米国で結成された。

  • ピアノ ヴィクター・バビン
  • Vn シモン・ゴールドベルク
  • Va ウイリアム・プリムローズ
  • Vc ニコライ・グラウダン
いやはや珍しい。ピアノ四重奏曲演奏に特化した団体。ヴァイオリンとチェロはベルリンフィルのコンマスと主席チェロ奏者としてフルトヴェングラーの下で演奏していたという経歴。私はこのゴールドベルクが好きで、ヴァイオリンソナタのCDをよく聴いた。ヴィオラはプリムローズもこの道の名人だ。
ブラームスに限らず、ピアノ四重奏は、弦楽四重奏団を ベースにピアニストを別途連れてきて録音するか、スターソリスト4名をかき集めて録音するかどちらかであることが多い。この編成のためにわざわざ団体を結成するのは大変に珍しい。
遺されたブラームスのピアノ四重奏曲全3曲の録音は大変に素晴らしい。ひとことで何と言えば伝わるか難しいが、無理やり申せば「透明」かもしれぬ。つま先まで心配りが行き届いたとでも申すしか能が無い。どんな場所のいかなる「ff」でも均整を失わぬ演奏。3番の第三楽章に現れるブラームスが与えたチェロ最高の見せ場も、肩の力があり得ぬくらい抜けている。そそれでいて「pp」の引き出し数は数えきれない。
最年少のゴールドベルクでさえ49歳の頃の演奏。言ってみれば「親父四重奏」なのだが、澄み切った空を思わせる。果ては、こういう風に歳を重ねたいと。

2015年8月19日 (水)

郊迎

賓客をもてなすために天子自ら迎えに出ること。言葉の出所は中国だ。天子がわざわざ出迎えるために宮殿を出るのだから、そんじょそこらの客ではない。郊迎と称してやばい客を首都に入れないという側面がありはしなかったか疑っている。ちなみに郊迎する場所を郊外といった。さしずめ副都心であろうか。

ソナタ形式最後の使い手ブラームスは(この断言も凄い)、主題再現に趣向を凝らす。主題の旋律が原調で再現するのが普通なのだが、原調での再現の前に一瞬原調以外の調で主旋律を歌うことがある。主旋律が郊迎に出るかのような感じである。いくつかの実例を紹介する。

  1. ピアノ四重奏曲第1番第3楽章151小節目 中間部の後の主題再帰は原調の変ホ長調ではなく、ハ長調だ。本来の変ホ長調が回帰する時には、肝心の主題は少し変奏されてしまう。変ホ長調の主題再帰に先立ってハ長調が躍り出るのは、ベートーヴェンの第3交響曲の第1楽章に輝かしい先例がある。ベートーベンの影響を云々されることの多いブラームスだが、このネタはとっておきである。
  2. ピアノ四重奏曲第3番第4楽章188小節目 本来ハ短調で回帰すべきところ、半音下のロ短調が現れる。ここから本来のハ短調に戻って行く過程こそが曲中最大の見せ場になっている。213小節目からのヴァイオリンのシンコペーションとピアノの左手の下降が華麗である。
  3. ピアノ協奏曲第2番第3楽章78小節目 本来変ロ長調のはずが、一旦嬰ヘ長調が出現する。何たる遠い調と思ってはいけない。嬰へを変トと読み替えると、変ロの3度下だということが判る。独奏チェロは正しくない調に乗って、それでも陶酔の境地をさまようが、途中で違いに気付いて変ロ長調に立ち返る。目指すは冒頭と同じ「D音」だ。既にゴールの2小節前に「D音」に到達しているのだが、主題回帰の直前に「Es-Cis」と迂回してためらいを見せる。ゴルファーがグリーン上でやらかすと恥ずかしいが、ここでは的を射ている。

断るまでもないが、これらは典型的なブラームス節である。一旦正しくない調で主題を再現し、聴き手につかの間の安堵感を与えはする。旋律は再現されているのに調が正しくないという状態を意図的に作り出している。作りはするのだが、程なくそれが束の間の安息だと悟らせもする。かくなる手続きの後、待ちこがれた原調が回帰して、「やはりここしかない」と思わせる寸法だ。「正しくない調」にいるとわかった瞬間の心の揺れも鑑賞の目的の一つだ。よくある手とわかっても感動させられる。

2015年8月18日 (火)

はしゃぎ過ぎを戒める

別作曲家の作品の中にブラームスの作品と似た旋律を発見すると、それだけで盛り上がってしまう癖がある。脳味噌の中が酸っぱい液で満たされて、あくまで冷静に単なる偶然であるという可能性を考えることが出来なくなる。

メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲ハ短調op66とブラームスのピアノ四重奏曲ハ短調op60が似ているという話は、古来取り沙汰されてきたが、これについての興味深いエピソードが音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻101ページに収録されている。

ブラームスは「あちらは旋律、こちらは伴奏」と言ってこれについて議論すること自体をナンセンスと言わんばかりの反応だ。

反省せねばならない。世の中類似性を指摘されている作品は数多いが、まずは偶然を疑ってかかるのが筋だ。わずかな類似点を根拠に、強引に論理を展開する風潮への警鐘と捉えたい。耳が痛い。

2015年8月17日 (月)

連続する長三度下降

ピアノ四重奏曲第3番の第3楽章の冒頭を思い出していただきたい。ブラームスがチェロに与えた最高の旋律が、「Gis-E-C-A」という具合に滑り出す。その最初の「Gis→E→C」は長三度の間隔で連続して下降する。

この現象実は大変珍しい。いかなる音を基音にしようとも、上昇でも下降でも、長三度の3連続は臨時記号無しには成立しない。旋律立ち上がりに置くのは異例なことだ。短三度の連続であれば「H→D→F」というパターンがあるけれど、長三度の場合はどう組み合わせても臨時記号の力を借りる必要がある。3度進行で名高いのは第4交響曲の冒頭だが、こちらは「長三度」と「短三度」が交互に現れるから、臨時記号は生じない。

先に紹介したピアノ四重奏曲第3番の第3楽章は、全体の調号としてシャープ4個が与えられたホ長調の枠組みでありながら、3拍目の「C」の瞬間イ短調に揺らぐ。6度の嬰へが鳴るので、何だかロマン的な感じがする。

訳アリ感満載の「連続長三度下降」なのだが、実は次の第4楽章の冒頭も同じ構造になっている。「G→Es→H」だ。第3楽章の冒頭の並びを、そっくりそのまま半音分下にずらしただけという代物だ。フラット3個ハ短調の枠組の中、3つめの「B」にナチュラルを奉ずることで「H」を導き出している。旋律的短音階の第7音で、導音を作り出している。第3楽章とは別の理屈ながら、結果として「連続長三度下降」が実現している。

滅多にない「連続長三度下降」を素材にしたブラームスのいたずらだ。絶対に意図的。

2015年8月16日 (日)

長いハミング

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻117ページに面白い話が載っている。1876年夏、バルト海に浮かぶリューゲン島でブラームスと休暇をともにしたジョージ・ヘンシェルの証言。

ピアノ四重奏曲第3番第3楽章アンダンテをハミングしていたら、ブラームスがお気に召したようで、50小節目の半音階的フレーズにさしかかったところで、拍子をとるように優雅に身体を動かして、伴奏をしてくれたとある。

いやはや興味深いのだが、謎も含まれる。この場所、掲載されている譜例は、同楽章の50小節目アウフタクトからのチェロの旋律だ。ヘンシェルはチェロの旋律をハミングしたとわかる。それでは、その場所で伴奏をしてくれたというのはどのパートだろう。急遽その場にあったピアノを鳴らしたのだろうか。本文の表現だけでは断定は出来ぬが、チェロ以外のどこかのパートをヘンシェル同様にハミングしたのではあるまいか。

ピアノのパートは、絶対にハミングにはなじまないフレーズになっているので、ハミングしたとすれば、ヴァイオリンかヴィオラのパートに違いない。直感ではヴィオラのパートを推したい。50小節の冒頭で、ブラームスはヴィオラの「Fis」を歌えば、ダブルシャープの「Fisis」を出すヘンシェルと8分音符一個分だけ可憐な衝突がおきるからだ。

さて、驚きは他にもある。ヘンシェルはそのハミングをどこから始めたのだろう。「アンダンテをハミングしていたら」という本文の表現だけでは、必ずしも明らかではない。楽章の途中からだったとしても何等不思議ではない。しかししかし、この作品この楽章を愛する者の一人として申し上げれば、絶対に楽章冒頭からハミングを開始したと確信している。

ヒントは譜例だ。これがチェロの旋律になっている。同楽章冒頭のチェロは、ブラームスがチェロに与えた最高の旋律だ。ヘンシェルはその最高のチェロのパートを最初からハミングしたのだ。

とすると、もっと凄いことがわかる。彼は冒頭から延々50小節間ハミングを続けたことになる。主旋律がヴァイオリンに移る箇所ではヴァイオリンのパートに乗り換えたかも知れぬが、作曲者の眼前で50小節ハミングで歌うというのは只者ではない。

ブラームスがお気に召したというのはそのトライだと思われる。

2015年8月15日 (土)

ヴィオラ最高音

日本最高峰の標高にちなんだ記事「富士山」の翌日に、満を持してヴィオラ最高音の記事。芸が細かい。

鉄道マニア向けの割と有名ななぞなぞがあった。日本の鉄道の駅でもっとも高いところにあるのはどこか?というものだ。「小海線の野辺山駅」と答えると「ブブー」である。正解は東京だという。到着する全ての列車が「上り」だからである。大宮を出た京浜東北線は、東京までは東北本線の上りで、東京から先が東海道本線の下りである。これでは面倒なので、「北行」「南行」という言い方もしている。

さてさて、ブラームスがヴィオラに与えた最高音はどこかというのが本日のお題である。

一般にブラームスはヴィオラに対してヒステリックに高音を求めないと思う。四苦八苦して音を出している時に、第2ヴァイオリンが休んでいたりすると、「何だかなぁ」という気にさせられる。「やっぱりヴィオラはC線ッス」みたいな捨てゼリフはこういうときに吐くものだ。

ハイポジション苦手の私には、いくつかの候補がすぐに嫌な思い出とともに思い浮かぶ。数住岸子先生の前で冷や汗ものだった弦楽六重奏曲第2番の第1楽章。有名なアガーテのテーマを第1ヴァイオリンとオクターブユニゾンで奏する場所がある。「A-G-A-H-E」である。このときの「H」を薬指でとっかたら第6ポジションだ。この「H」は高い方だ。この下の「B」や「A」には相当な数の実例がある。

ヴィオラソナタ第2番第1楽章7小節目に「C」が出て来る。これをブラームスにおけるヴィオラの最高音と認定したい。第一主題の提示の末尾、分散和音の到達点だ。曲の開始早々なので緊張感も相当な物で、さらに5連符であることも事態を混迷させている。あるいはヴィオラソナタ第1番第1楽章の終末も近い223小節にもこの「C」が出てくる。

しかし上記の2箇所は、ブラームス本人の編曲とは言え、あくまでもクラリネットソナタの話であった。真正のヴィオラの出番とは言い難い。正真正銘のヴィオラの出番となると、もう一つピアノ四重奏曲第3番第2楽章の終末も近い218小節目に出現する。H音のトリルの場面だ。トリルの上の音が間違いなくCになっているし、4小節後の222小節目には満を持してCが現れる。

ちなみに最低音は何だろう。C線の開放によって鳴らされる「C」に決まっている。決まってはいるのだが、記譜上の最低音となると「His」があるのだ。第1交響曲第2楽章39小節目、54~56小節目に出現する。五線の下に追加される2本目の仮線に下接する音符に「シャープ」が付与されている。どのみちC線が開放で鳴らされるのだが、気分の問題としてこれを最低音と認定したい。

2015年8月14日 (金)

富士山

ご存知日本の最高峰。その標高は3776m。ブログ「ブラームスの辞書」は本日のこの記事が開設以来3776本目の記事である。

昨日10番目の室内楽・弦楽四重奏曲第2番への言及を終え、悠々と本日3776本目だ。作品言及の切れ目にこの手のキリ番記事を持ってくるのは今や、朝飯前。いつになるか予測がつかないキリ番アクセスに比べると配置が容易だ。

明日から11番目の室内楽ピアノ四重奏曲第3番だ。

2015年8月13日 (木)

ハイメランさんの見立てから

昨日の記事「アマチュアの視点から」の続き。むしろこれが本題。「クワルテットの楽しみ」で述べられるアマチュア視点から見た作品の難易度評価の話を掘り下げる。彼らの掲げる基準は以下の通り。分母は全体のアンサンブルの難易度。分子は第一ヴァイオリンの難易度。

  1. 大変やさしい
  2. アマチュアでも初見で十分やれる
  3. 自分のパートをあらかじめちょっと見ておくほうがいい
  4. がまんできる程度の成果を得るためには充分な練習が必要
  5. アマチュア可能の最上限。集中的徹底的な研究無しには果たしえない
  6. アマチュア立ち入るべからず

肝心なブラームスの評価を以下の通り。

  1. ピアノ三重奏曲第1番ロ長調op8 「4/5」
  2. 弦楽六重奏曲第1番op18変ロ長調 「4/5」
  3. ピアノ四重奏曲第1番ト短調op25 「4/4」
  4. ピアノ四重奏曲第2番イ長調op26 「5/5」
  5. ピアノ五重奏曲へ短調op34 「4/4」
  6. 弦楽六重奏曲第2番ト長調op36 「4/5」
  7. ホルン三重奏曲変ホ長調op40 「4/4」
  8. 弦楽四重奏曲第1番ハ短調op51-1 「4/4」
  9. 弦楽四重奏曲第2番イ短調op51-2 「5/5」
  10. ピアノ四重奏曲第3番ハ短調op60 「5/5」
  11. 弦楽四重奏曲第3番変ロ長調op67 「5/5」
  12. ピアノ三重奏曲第2番ハ長調op87 「5/5」
  13. 弦楽五重奏曲第1番ヘ長調op88 「4/5」
  14. ピアノ三重奏曲第3番ハ短調op101 「5/5」
  15. 弦楽五重奏曲第2番ト長調op111 「5/5」
  16. クラリネット三重奏曲イ短調op114 「4/5」
  17. クラリネット五重奏曲ロ短調op115 「4/5」

さて、ブラームス作品に対する難易度評価を見て気づいたことをいくつか。

  1. まず数値に「3未満」が表れない。どの曲も最低「充分な練習が必要」ということだ。
  2. 「分子>分母」という評価が無い。つまり第一ヴァイオリンだけの難易度が抜きん出ていないということだ。
  3. 「分子<分母」という評価が6作品に及ぶ。第一ヴァイオリンが弾けてしまえばそれで形になるという代物ではないということに加えて、合わせることの難易度が勝っているとの表明だ。他の作曲家ではこの「分子<分母」型がこれほど頻発しない。
  4. ヴァイオリンの無いクラリネット三重奏曲にも分数形式の評価があるのは不可解だ。
  5. 嬉しいことに数値「6」が全く表れない。アマチュアでも頑張っていればいつかは届くということだ。
  6. 第一ヴァイオリンにとどまらぬ個人のテク、さらにそれよりもアンサンブルの難易度が高いというケースが多い。
  7. ヴィオラの難易度も表示して欲しい。
  8. 仲間内での遊びでならヴィオラ入りは全部弾いたことがあるけれど、実感としてはほぼ合っている。
  9. 返す返すも二重奏ソナタが対象外なのが惜しい。

2015年8月12日 (水)

アマチュア視点から

エルネスト・ハイメランとブルーノ・アウリヒ共著「クワルテットの楽しみ」について言及したついでに触れておく。

彼らはその著書で古今の室内楽について寸評を述べているが、とりわけアマチュアという立場にたって難易度数値化の試みがありがたい。「アマチュア演奏家にとって」という切り口からの基準は以下の通りである。

  1. 大変やさしい
  2. アマチュアでも初見で十分やれる
  3. 自分のパートをあらかじめちょっと見ておくほうがいい
  4. がまんできる程度の成果を得るためには充分な練習が必要
  5. アマチュア可能の最上限。集中的徹底的な研究無しには果たしえない
  6. アマチュア立ち入るべからず

いやはやほほえましい。厳しいことを言っているのに、突きっぱなしにはなっていない。さらにユニークなのは、これらが彼ら独特の分数表示になっている。たとえば「4/4」となっていた場合、最初の「4」は第一ヴァイオリンの難易度を意味している。次の「4」はアンサンブルの難易度を指す。この分数表示は非常に実用的でありがたい。つまり作品の難易度を測るのに第一ヴァイオリンの難易度がキーになると彼らは感じているということだ。実感を得るためにいくつかの有名室内楽についてその数値を示す。

  • ドヴォルザーク 「アメリカ」 3/3 この人たちドヴォルザークの評価がとても高い。アメリカに対しては手放しで称賛。ほとんどバイブル扱い。
  • ベートーヴェンの後期 12番以降はほとんど「5/5」で、14番と大フーガだけが「5/6」だ。
  • ベートーヴェンのラズモフスキーセットは3つとも「5/5」だ。
  • ベートーヴェンの初期op18の6曲はみな「4/3」で、4番ハ短調だけが「4/2」。
  • ハイドン 皇帝は「4/3」
  • モーツアルト 「狩」は「4/4」
  • ラヴェル 案の定「6/6」
  • バルトーク どれにもやっぱり「6」が並ぶ。
  • シューベルト 「死と乙女」は 「5/5」
  • シューマン 5に4が混じる。そんなことより2番については拒否と明言している。
  • ショスタコーヴィッチ おおむね「5/5」留まり。
  • スメタナ わが生涯が「5/4」

大体こんな基準。肝心なブラームスの評価を以下に記す。

  1. ピアノ三重奏曲第1番ロ長調op8 「4/5」
  2. 弦楽六重奏曲第1番op18変ロ長調 「4/5」
  3. ピアノ四重奏曲第1番ト短調op25 「4/4」
  4. ピアノ四重奏曲第2番イ長調op26 「5/5」
  5. ピアノ五重奏曲へ短調op34 「4/4」
  6. 弦楽六重奏曲第2番ト長調op36 「4/5」
  7. ホルン三重奏曲変ホ長調op40 「4/4」
  8. 弦楽四重奏曲第1番ハ短調op51-1 「4/4」
  9. 弦楽四重奏曲第2番イ短調op51-2 「5/5」
  10. ピアノ四重奏曲第3番ハ短調op60 「5/5」
  11. 弦楽四重奏曲第3番変ロ長調op67 「5/5」
  12. ピアノ三重奏曲第2番ハ長調op87 「5/5」
  13. 弦楽五重奏曲第1番ヘ長調op88 「4/5」
  14. ピアノ三重奏曲第3番ハ短調op101 「5/5」
  15. 弦楽五重奏曲第2番ト長調op111 「5/5」
  16. クラリネット三重奏曲イ短調op114 「4/5」
  17. クラリネット五重奏曲ロ短調op115 「4/5」

2015年8月11日 (火)

クヮルテットの楽しみ

私が古くから愛読する書物のタイトル。エルネスト・ハイメランとブルーノ・アウリヒさんの共著。オリジナルは「Das Stillvergnungte Streichquartett」という。ドイツ語の本だ。私が持っているのは16版の第一刷で1975年に刊行されている。版を改めながら装丁を変えて出続けていると聞いた。

アマチュア演奏家の立場から古今の弦楽四重奏を弾きこなすためのバイブル・指南書という体裁に徹している。アマチュアが弦楽四重奏を演奏するささやかなコンサートを開く前提で、それをアシストするという姿勢がほほえましい。肝心な選曲のもとになる弦楽四重奏リストでは、各々の作品がスパイスの効いたコメントとともに紹介されている。「作曲家名」「調」「難易度」「出版社」が基本情報で、一貫性があって楽しい。弦楽四重奏を中心に別の編成にも言及しているものの、二重奏が収録対象になっていないのが至極残念だ。

この書物の中で、ブラームスは褒められている。「とにかくブラームスはよい弦楽のための作品がたくさんある」などなど。何だか鼻が高い。「アマチュアの指ではなかなかこなしきれるものではない」と釘を刺す一方で「ある程度以上のプレーヤーなら大変よく響くようにできている」と上々の評価。

1番ハ短調は、「経験豊かなアマチュアなら十分響かせられる」とおっしゃっている。各楽章へのコメントでは、第3楽章が「大変独創的」となっているのが印象的。

2番イ短調は、「1番より比較にならぬほど難しい」とされる一方「しかし大変美しい」と賛美する。フィナーレを称して「野蛮なシンコペーションに気をつけよ」とはどこまでも優しい。

3番変ロ長調について、「愉快に開放されている」という。第三楽章のヴィオラの活躍が特筆されていて嬉しい。

2015年8月10日 (月)

リズム感覚試験

「ポリリズム」と言うらしい。同時に複数の系統のリズムが鳴る現象のことである。

複数のパート間のリズムの衝突を味わう部分である。無論ブラームスはこれが大好きであるばかりかブラームス節の根幹でさえある。スラーが頻繁に小節線を跨ぐお陰で、肝心要の小節の頭を感じにくい構造が不安感に拍車をかける。この状態を和声的な衝突と共存させることで音楽に異様な推進力がこもる。全てはブラームスにとって計算ずくの話だ。やがて来る和声的解決と、リズム的な衝突の解消をより深く印象付けるための工夫と言って良い。

そうは言うものの、演奏者にとっては厄介である。弦楽四重奏第2番第1楽章にそうしたケースの典型が存在する。結末も程近い315小節目からの6小節間だ。ヴィオラと第2ヴァイオリンだけは同じリズムだが、第1ヴァイオリンとチェロは全く違うリズムが奏されている。しばしばスラーが拍頭を跨ぐので確固たるリズム感を全員が持ち合わせた上で、そのリズム感が一致していなければならぬという難所である。

別の人格が演奏するアンサンブルの方が、性質がいいのか悪いのか。独奏ピアノの右手と左手だとどうなるのかの格好のサンプルもある。パガニーニの主題による変奏曲には、はっきりと記譜上にポリリズムが出現する。第2巻109小節目第7変奏は、右手と左手で記譜上の拍子が違っているのだ。それも「4分の2」と「8分の6」程度ならかわい気もあるのだが、そうは問屋が卸さない。あろうことか右手が「4分の2」であるのに対して左手には「8分の3」が要求されている。「1小節を1拍で感じて」と言うのは容易だが、これを「vivace」のテンポに乗って「p leggiero e ben marcato」で駆け抜けねばならないのだ。

「難儀だ難儀だ」というニュアンスで書いたが、実はこれはブラームス節を強く定義付ける現象だ。ブラームス好きたるもの、このあたりを疎んじてはなるまい。

2015年8月 9日 (日)

逆転の3度進行

3度好きのブラームスにあっては、旋律が3度でパラレルに進行することは珍しくない。おいしい場所であることは折り紙付きだが、あまり頻繁に見かけるので、さすがに「ブラームスの辞書」でも全部を数えるなどという芸当は出来ていない。

さて3度で旋律を進行させる場合、3度を形成する各々の声部にどのような楽器をあてがうかも興味深い。一般通念上低いとされる楽器が上の声部を担当するケースがしばしば出現して、マニアを狂気させている。

もっとも有名なのが第2交響曲第1楽章の82小節目だ。いわゆる第2主題といわれる部分。チェロの3度下にヴィオラが潜り込んでいる。「This is Brahms」という表現がピッタリの芳醇な響きがする。おまけにどちらのパートにも大変珍しい「Cantando」という言葉が奉られていて、ここが並みの場所でないことが明示されている。上で旋律を弾くチェロもだろうが、チェロの下に潜り込むヴィオラの快感もただ事ではない。

まだある。弦楽四重奏曲第2番第1楽章の第2主題だ。46小節目で初めて提示されるときには両方のヴァイオリンが3度で進行する。もちろん上の声部は第1ヴァイオリンだ。62小節目で提示の確保が行われるときには、旋律はオクターブ下に移されてヴィオラが奏することになるが、ヴィオラを3度下から支えるのは一回目と同じく第2ヴァイオリンなのだ。同じ旋律が響きを微妙に変えて提示されていて興味深い。まさに逆転の3度を味わうためにある部分なのだ。

ヴィオラがチェロの下に潜っては大騒ぎ、セカンドヴァイオリンの上に出たと言っては大はしゃぎの、いけないヴィオラ弾きである。

2015年8月 8日 (土)

やらかし話

テオドール・ビルロートは、知る人ぞ知る高名な外科医。世界で初めて胃がんの摘出手術に成功した。それでいてブラームスのお友達だ。弦楽四重奏曲第1番と2番をブラームスから献呈されているほどだ。

ところが、彼ビルロートにもやらかし話がある。

ブラームスからもらった弦楽四重奏曲第2番の手稿譜の最初の1行を切り取って、額に入れて部屋に飾るという挙に出た。ある日それがブラームスの知るところとなり逆鱗に触れたのだ。もちろんビルロートに悪気なんぞあるはずもないが、名うての古楽譜収集家であるブラームスからすれば「何しよんねん」てなものだ。

手稿譜をそのまま額に入れるならともかく、一部を切り取るとるとは。

ビルロートは高名な外科医だ。さては切り取りにはメスを使いましたというオチか。

2015年8月 7日 (金)

弦楽四重奏曲第2番

卒業間もないOBにとって、サークルの居心地はいい。顔見知りの後輩が現役でいる間の3年間は少なくとも居心地が保証される。ノリは解り合えているし、話題もあう。

私もそうだった。就職後いきなり大阪に配属になったというのに頻繁に帰省してはオーケストラに顔を出した。自宅が大学の近所というのはこの点何にも増して便利だ。故郷、配属先、母校が離ればなれになっていたら、事情は違っていたと思う。

たびたび部室を訪ねてはメンツを集めてカルテットを楽しんだ。一番多く取り組んだのが、本日のお題、ブラームス作曲弦楽四重奏曲第2番イ短調op51-2だ。第1ヴァイオリンは1コ下の男性で、第2ヴァイオリンとチェロが2コ下の女性というメンツ。みんなソコソコ弾けるので私が一番のネックみたいな感じだった。

はっきり言って私の好みが反映した選曲。しかも無謀。全楽章はとても無理だから、両端楽章だけ取り組んだ。それでもかなり無理目。ヴィオラに関して申せば個人練習の段階ですでに座礁気味。みんなと合わせると転覆である。難所の砂漠の中を数少ない旋律をオアシス代わりにという感じだ。フィナーレはもっと悲惨。意地悪がたくさんしくまれた音のパズルだ。それがブラームスの醍醐味と頭では判っていてもテクがついて行かない。

それでも1楽章だけは何とか止まらずに通るようになった。

だから今でもこの曲を聴くと脳味噌が甘酸っぱい液で満たされる。

2015年8月 6日 (木)

作品番号の相乗り

同じ作品番号に複数の作品が収まっているケースは少なくない。歌曲では全てこの形だ。歌曲1曲で一つの作品番号を占めている例はない。管弦楽付きの合唱曲だとさすがに作品一つに一つの番号という例が現れる。声楽曲の場合、演奏時間が長い大作や編成の大きい曲が「1曲1番号」になっていると断言してよさそうだ。

ところが器楽曲は少し事情が変わる。ベートーヴェン、ブラームスでは交響曲協奏曲全て「1曲1番号」 になっているが、室内楽や独奏曲では対応が割れる。ベートーヴェンの初期では複数の作品が同一の番号に押し込まれていることが多い。作品1にはピアノ三重奏曲が3つ入っているし、作品2にはピアノソナタが3つ属している。作品18は弦楽四重奏曲が6個だ。エロイカに始まる傑作の森に突入すると頻度は減るものの、作品59にはラズモフスキー四重奏曲が3つもてんこ盛だ。その後も作品70、102と続く。

ブラームスにもそうした例がある。晩年のピアノ小品は皆その手である。毛色が違うのは作品21だ。自作の主題による変奏曲とハンガリーの歌による変奏曲が同居している。これなど作品番号が2つに割れても不思議ではない。また弦楽四重奏曲第1番と第2番が作品51を共有しているし、ヴィオラソナタ第1番と第2番は作品120を共有している。弦楽四重奏曲第2番を作品52にしなかったのは何故だろう。あるいは変ホ長調ヴィオラソナタを作品121にしなかったのは理由があるのだろうか。単なる出版の都合なのかも知れぬが、気持ちが悪い。データベース化するときに作品番号の下にハイフンを振って枝番管理をするものとしないものが混在するのは少々厄介なのだ。

作品番号には、理屈では説明の出来ない神秘的なものを感じるから、出来れば「1曲1番号」の方がイメージを膨らませ易いのだが。

2015年8月 5日 (水)

工事完了報告

室内楽ツアー開始早々に宣言した作業が終わった。→こちら。室内楽25曲1つ1つに独自カテゴリーを付与する作業のことだ。過去の記事を1件1件あたって、該当のカテゴリーを紐付ける作業が昨日までにほぼ終わった。

左サイドバナーに並んだ曲名カテゴリーをクリックすると過去の関連記事にたどり着ける。

いやいや、難儀なようでこれがまた楽しい作業だった。

昨日までに9番目の室内楽「弦楽四重奏曲第1番」への言及が終わったと言いたいところだが、同曲は2番イ短調と作品番号「51」を共有しているので、メリハリがつきにくい。

2015年8月 4日 (火)

ロマンツェ

ドイツ語では「Romanze」と綴られる。手許の音楽事典では、「地域、時代によって様々の楽曲に用いられていて特定の内容や形式を定義できない」とある。元来「ロマン語による俗謡や詩」を意味したから恋愛歌が主流だが、ドイツでは叙情的な気分の器楽曲に用いられている。

ブラームスでは以下の通りの実例がある。

  1. リートとロマンツェ作品14(どの作品がリートでどの作品がロマンツェか不明)
  2. ティークのマゲローネのロマンツェ作品33
  3. 弦楽四重奏曲第一番作品51-1第二楽章ロマンツェ
  4. バラードとロマンツェ作品75(どの作品がバラードでどの作品がロマンツェか不明)
  5. ロマンツェとリート作品84(どの作品がロマンツェでどの作品がリートか不明)
  6. ロマンツェ作品118-5

器楽に出現するのが3番と6番で、残りは声楽だ。声楽に出現する場合、複数の作品をまとめている場合が多く全曲がロマンツェと解される作品33を除くと、どの楽曲がロマンツェなのか推定が難しい。たとえば作品14の全8曲の場合、どれがロマンツェなのか特定が出来ない。内容が恋愛ものかどうかで単純に判断していいものかどうかも確信がもてない。どの曲がロマンツェなのかさえ特定出来ない事情のためにロマンツェの性格を深く吟味することが出来ない。

作品84の5曲は全て対話体のテキストを持っている。「母と娘」あるいは「男と女」である。「男と女」の対話になっている作品がロマンツェなのではないかという推定が成り立つ。つまり作品84-4「甲斐なきセレナーデ」と作品84-5「危機」がロマンツェである。前半がリートで後半がロマンツェという訳である。ところが作品84のタイトルは「ロマンツェとリート」という具合にロマンツェを先に出している。作品14の「リートとロマンツェ」のようにリートを先に出す形になっていなければなるまい。

器楽に出現する2例についても何故この2つだけにという疑問は残る。

曖昧で輪郭がはっきりしないというのが最大の特色かもしれない。

2015年8月 3日 (月)

ハ調の刻印

ベートーヴェンの器楽作品を眺めてみる。

32曲残したピアノソナタ、16曲書いた弦楽四重奏、そして9曲ある交響曲。この3つを創作の柱と位置づけても、お叱りが殺到することはあるまい。後世の作曲家たちの規範となり今日に至っている。ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンを列挙して語られることの多い「ウィーン古典派」の到達点を示す作品群だ。

後に続くロマン派の作曲家たちは、これら偉大な到達点から出発し、ある者は継承しある者は解体し、ある者は迂回した。

ブラームスも書いた。ピアノソナタを3曲、弦楽四重奏を3曲、交響曲を4曲だ。

<ピアノソナタ>

  1. ハ長調op1
  2. 嬰ヘ短調op2
  3. ヘ短調op5

<弦楽四重奏>

  1. ハ短調op51-1
  2. イ短調op51-2
  3. 変ロ長調op67

<交響曲>

  1. ハ短調op68
  2. ニ長調op73
  3. ヘ長調op90
  4. ホ短調op98

また、しょうもないことを考えている。ベートーヴェンのホームグランドとも言えるこれらのジャンルの1番を見て欲しい。全部ハ調になっている。ベートーヴェンへの敬意か、はたまた偶然か。

2015年8月 2日 (日)

祝70万アクセス

おそらく昨夜遅く、開設以来のアクセスが70万に達した。

室内楽ツアー真っただ中、昨日7番目の室内楽・ホルン三重奏曲への言及が終わったところで、ピタリと通算70万アクセスに到達するとは、日ごろの信心の賜物に違いあるまい。創設3717日目なので、一日平均188アクセスなのだが、この平均値にはあまり意味がない。開設当初は閑古鳥が大挙して住み着いていたからだ。

2015年8月 1日 (土)

ファウスト

我が家にはホルン三重奏曲のCDが5種類ある。このうち2種類がバルヴホルンによるものだ。あとはホルンパートをチェロで演奏したもの、トロンボーンで演奏したものが各1種あり、もう1種がナチュラルホルン版である。ヴィオラ版を探しているのだがなかなか見つからない。

イザベル・ファウストというドイツの女流ヴァイオリニストがテウニス・ファン・デル・ツヴァルトというホルン奏者と組んで録音している。ナチュラルホルン版ホルン三重奏目当てで購入したら、ヴァイオリンソナタ第一番も素晴らしい演奏だったのでお買い得だった。さらに作品116のピア小品も収められている。3人の奏者がかわるがわる主役を演じるという凝った構成だ。使われている楽器にも主張がある。
  • ヴァイオリン ストラディヴァリ 「スリーピングビューティー」 1704年
  • ナチュラルホルン ロレンツ 1845年
  • ピアノ ベーゼンドルファー 1875年
ナチュラルホルンで聴くと、本当に響きが多彩だ。三重奏には聞こえない。音によって音色がガラリと代わるナチュラルホルンの特性を、ブラームスが利用しているとわかる。ホルン1本で2つの楽器の掛け合いにも聞こえる。ナチュラルホルンの特性を知り尽くしていて、フレーズ毎に音色が代わるよう工夫されている。
バルヴホルンの演奏に慣れてしまっていると最初のうちは戸惑うが、ブラームスの意図があとからじんわりと判ってくる。
惜しむらくは、このCDジャケットに強烈な誤植がある。凝り性丸出しの選曲や楽器の選択など、気合とやる気が伝わってくるほか、ディスクやジャケットのデザインも美しいだけに、誤植だけは残念だ。

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