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2015年8月24日 (月)

ラスカー

ドイツの政治家。ビスマルクに対する反対勢力・国民自由党左派の領袖だ。ドイツ帝国成立後ビスマルクの政策にことごとく反対した政敵でもある。国民自由党の党首ではない。

さて、音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻173ページに大変興味深い記述がある。チャールズ・スタンフォードの証言だ。彼は1876年当時、完成したばかりのブラームス第一交響曲を英国で、作曲者本人に指揮させようと画策していた。ケンブリッジ大学からの学位授与とも関連するタイミング。彼の証言は貴重だ。ブラームスはヨアヒムやクララの説得の甲斐あって、渡英する気になっていたのだ。1877年のタイムズ紙の勇み足までは、その気でいたらしい。

第一交響曲の英国初演を1877年春と定めその準備が進められていた。その最終打ち合わせがベルリンで行われたと証言する。弦楽四重奏曲第3番の演奏の後ベルリンジンクアカデミーで打ち合わせたと明記されている。おお。何を隠そうこれは同四重奏曲の初演だ。この打ち合わせの席で、スタンフォードの隣に座った話好きの愉快な男がラスカーだったと断言されている。

ブラ1の英国初演の最終打ち合わせに帝国議会有力会派の領袖が同席していたということだ。その席にブラームスがいたかどうか明記されていないが、いたと考える方が自然だ。カールスルーエでの第一交響曲の初演のわずか5日前のことなので不安だが、第一交響曲の作曲者にして英国初演の指揮者であるブラームス無しに最終打ち合わせとは考えにくい。

ビスマルクに心酔していたブラームスが、ビスマルクの政敵と同席していたかもしれない話。

おっと、今日から12番目の室内楽、弦楽四重奏曲第3番だ。

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