Allegro不在のソナタ
ブラームスの作品において、ソナタ形式と「Allegro」の間に偶然では収まらぬ相関関係を想定していることは、既に何度も述べてきた。ソナタの中に必ず「Allegro」を置くことに関しては、ベートーヴェンよりも数段頑なである。ベートーヴェンにはしばしば「Allegro楽章不在のソナタ」が出現する。有名なところでは「月光ソナタ」「クロイツェルソナタ」が「Allegro不在」である。本能が命じる場合には容赦なく「Allegro不在」に踏み切っている感じである。
ブラームスは、第一楽章に「Allegro」を据えない場合でもフィーナーレでその償いをしているケースがほとんどである。
全35曲のソナタのうちたった1曲、全楽章を通じて「Allegro」が現われない曲がある。弦楽四重奏曲第3番変ロ長調op67だ。
- Vivace
- Andante
- Agitato(Allegretto non Troppo)
- POco Allegretto con Variazioni
見ての通りである。全曲を通じて速いのか遅いのか一見しただけでは判りにくい表現ばかりである。特にヴィオラ弾きの聖域として名高い第3楽章は厄介だ。カッコ入りの捕捉つきとはいえ「Agitato」がプレーンで用いられるのは異例である。さらにカッコの中「Allegretto non Troppo」は難解を極める。「non troppo」で何を抑制するのだろう。縮小語尾「~etto」によって減じられるテンポの幅を抑制している可能性さえある。
大胆な想像をする。この第3楽章のテンポは本来「Allegro」なのではあるまいか?何らかの理由でこの作品中の楽章に「Allegro」と表示したくなかったのではないだろうか。「Allegrettoだけれど遅くしすぎるな」「訳あってAllegroとは書かぬけれども」というメッセージを感じてしまう。
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