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2015年11月30日 (月)

ハウスマン

ロベルト・ハウスマンRobert Hausmann(1852-1909)のこと。ヨーゼフ・ヨアヒムが主宰するヨアヒム四重奏団のチェリストだ。当時欧州最高の四重奏団の栄誉をほしいままにしていた団体のチェリストだ。相当の腕前であった。

ブラームスのチェロソナタ第2番を作曲者のピアノで初演したのは彼である。それからヨアヒムとともヴァイオリンとチェロのための協奏曲の独奏を受け持った。このほかクラリネット三重奏曲の初演の際には、ミュールフェルトとともにブラームスのお供をしている。

さらに下記諸作品の初演を担当したのがヨアヒム四重奏団だから、チェリストがハウスマンその人あった可能性が高い。

  • 弦楽四重奏曲第2番
  • 弦楽四重奏曲第3番
  • クラリネット五重奏曲

要するに只者ではないのだ。

こうなるとヨアヒム四重奏団の第二ヴァイオリンとヴィオラの奏者だってきっとそれなりの名人だったと思わざるを得ない。ヨアヒムやハウスマンに比べると話題にはならない。

2015年11月29日 (日)

筆耕者クプファー

筆耕とはいい言葉だ。ここでは写譜に近い。ウイリアム・クプファーはブラームスと同郷のチェリストで10歳年下だった。父同士が音楽仲間という間柄。ブラームスより3年遅れてウイーンに新出してキャリアを積んだ。

ブラームスの晩年の10年間、専属筆耕者の地位にあった。作品で言うなら第三交響曲以降だ。1886年11月29日のチェロソナタ第2番の試演にブラームス自ら招待の手紙を送っているほどの関係だ。
当時、ブラームス作品は出版前の初演が当たり前だったが、そのときに使うパート譜の作成はクプファーの尽力によるところが大きい。
写譜の正確性、見易さはクプファー自身の音楽的見識が反映していたと見るべきで、ブラームスの信頼は厚い。
クプファーは息子にヨハネスと名付け、ブラームス自身がその代父となったほどの間柄だ。

2015年11月28日 (土)

予行練習

チェロソナタ第2番は特異な調性配置で異彩を放っている。

  • 第1楽章 ヘ長調
  • 第2楽章 嬰ヘ長調
  • 第3楽章 ヘ短調
  • 第4楽章 ヘ長調

浮きっぷりという意味ではとりわけ第2楽章の嬰ヘ長調だ。調号で申せばシャープ6個になる。前後はフラット系の楽章に囲まれているから目立ちまくりだ。ちゃきちゃきの遠隔調で、古典派の伝統からみれば、逸脱もいいところだ。

さらにその浮きまくる第2楽章は、20小節ほど進んだところにある複縦線を境にフラット4個のヘ短調に転ずる。複縦線のアウフタクトのチェロは、FナチュラルからDesに飛躍する。同時にピアノはと見ると「Cis-Eis」を放ち嬰ハ長調で第一部を終えている。何のことはない。ピアノの放つ「Eis」は、実音「F」だ。

ピアノの放つ「Cis-Eis」をチェロの側では「Des-F」という具合に異名同音的に読み替えている。20小節目の冒頭、チェロが「Des」にたどり着いた瞬間、ピアノには休符が与えられ調の決定が保留されているように見える。主役のチェロはすぐさま2拍目に半音下の「C」にたどり着くのだが、今度はピアノの左手が「Des」に移ってしまう。気まぐれな追いかけっこのせいで、すっきりと調が確定しない。

この時点で意図も効果も曖昧ながら「フラット4個のFmoll」を見せておくことには、重要な意味がある。次の第3楽章ヘ短調への予行練習の意味がある。

2015年11月27日 (金)

余白の調節

現在継続中の室内楽ツアーは、作曲家ブラームスの人生に大きな空白もなく生涯にわたり、満遍なく配置される24作品を作品番号順に顧みることがコンセプトになっている。

総数で122に及ぶブラームス作品のうち、最初の室内楽op8のピアノ三重奏曲ロ長調から、最後の室内楽op120-2クラリネットソナタ第2番まで偏りがない。作品番号の空白は最大で10にとどまる。

  1. ホルン三重奏曲op40と弦楽四重奏曲第1番op51の間
  2. 弦楽四重奏曲第3番op67とヴァイオリンソナタ第1番op78の間
  3. 弦楽五重奏曲第1番op88とチェロソナタ第2番op99の間

これら3度、すべて中10作だ。わざとかっていう感じ。おバカな偶然収集家。

2015年11月26日 (木)

パガニーニヴァリエーション

正式には「パガニーニの主題による変奏曲」だ。クララ・シューマンをして魔女の変奏曲といわしめた難曲中の難曲。上下2巻から成立するブラームス変奏曲の極致で、これを最後にピアノ用の変奏曲は書かれなくなる。

初演は1865年11月25日だから昨日が初演150周年。チューリヒにてブラームス本人の演奏だった。つまりブラームスはこれが弾けたということだ。

昨日は私の25回目の結婚記念日と重なっていたので、一日遅れで言及する。

2015年11月25日 (水)

架空銀婚式

もし妻が生きていたら、我々夫婦は今日銀婚式を迎えることになる。入籍の日ではなくて披露宴の日だ。

あと25年後の金婚式は、ブラームス生誕200年より後になるから今回キッチリと言及しておく。

2015年11月24日 (火)

記事配置のパズル

ブログの立ち上げが5月だったのだから、10周年の記念企画を5月に立ち上げるは自然なことだ。自然と言えば自然なのだが、悩ましい問題もあった。ブラームスの新作の初演が秋から冬に集中しているからだ。

5月に立ち上げてから秋が来るまでに言及される室内楽は、その初演日が言及の期間に収まらないということになる。次女の名づけに関与しているヴァイオリンソナタ第1番への言及記事を2か月強引っ張ったおかげで、初演ラッシュの11月に間に合った。

それでも1882年12月29日に同時に初演されたピアノ三重奏曲第2番と弦楽五重奏曲第1番は、言及期間にならなかった。そこの調整は本当に難しいのだが、パズルのようなやりがいもある。

今日11月24日は1886年にチェロソナタ第2番がウィーンで初演された日だ。ブラームスのピアノにハウスマンのチェロだった。

2015年11月23日 (月)

知らぬが仏

マッコークルに目を通すことが増えたお陰で、困った情報も目にするようになった。

ブラームスが他の作曲家の作品を編曲した作品のうち、現在まで伝えられていないものが列挙されている。ブラームスと知人の手紙等で言及されているので存在が推定されていながら、楽譜が失われているケースだ。

この中にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番ハ長調「ラズモフスキー第3番」の第4楽章のピアノ編曲がある。中学高校とベートーヴェン大好き少年で、大学に入ってヴィオラを始めた初心者にとって、この楽章は夢の楽章だ。ベートーヴェンらしい長大なフーガがヴィオラによって開始されると、昨日言及した通りだ。

室内楽のフィナーレで、長大なフーガをヴィオラが先導するといえば、弦楽五重奏曲第1番がある。こちらはヘ長調だが、イメージだけは似ている。

ブラームスによるピアノ編曲があったとは驚きだ。けれども現実には伝えられていなくて出来映えを確認出来ないのは拷問に近い。こんなことなら知らない方がましだ。

もっとある。

シューマンのピアノ五重奏曲のピアノ連弾用編曲だ。同じシューマンでもピアノ四重奏の方はキッチリと伝えられていて、CDも出ている。五重奏も聞きたかった。

いっそ何も知らなければ平和だったのだが。

2015年11月22日 (日)

ラズモフスキー

ベートーヴェンから弦楽四重奏を献呈されたロシアの貴族。中学高校とベートーヴェンにのめりこんだ末、大学でヴィオラを始めた私にとって、とりわけ3番が憧れの対象だった。3番ハ長調の終楽章は、長大なフガートになっていて楽章冒頭はヴィオラが延々とソロを張る。

実は実は、ブラームスはまさにその終楽章だけをピアノに編曲したとされている。出版はされていないのが残念だ。カルベックの報告だけが唯一の根拠で、彼がブラームス研究の第一人者であることだけが頼みの情報。他の研究者は誰も報告しておらず、クララやヨアヒムなど知人たちの手紙にも言及が無い。その編曲の時期は一切不明で、手がかりもない。

室内楽の終楽章が長大な長大なフガートになっている点、それを先導するのがヴィオラである点を考慮すると、すぐ思いつくのが弦楽五重奏曲第1番ヘ長調だ。その参考のために研究した可能性が否定できない。

2015年11月21日 (土)

移調の狙い

弦楽五重奏曲第1番ヘ長調op88の話題。第二楽章冒頭には、1854年春にデュッセルドルフで作曲された「2つのサラバンドWoW5-1」イ短調が引用されている。同楽章の中間部には1855年春に作曲された「2つのガヴォット」WoW3-2」イ長調が出現する。弦楽五重奏曲への採用にあたり、ガヴォットの方は原調のままのイ長調なのに対し、冒頭を飾るサラバンドは、イ短調から嬰ハ短調に移調されている。

ヘ長調の第一楽章に嬰ハ短調の緩徐楽章が続くのは、斬新だ。しかも冒頭のE音にいきなりシャープ付着しているので、事実上嬰ハ長調が鳴る。ここいらへんの調性採用の感覚は凡人の理解する域を超えている。そのままイ短調(事実上イ長調)でも不自然ではないのに、わざわざ嬰ハ長調を採用するとは。

出版に立ち至らなかった若い頃の作品を、容赦なく廃棄するブラームスなのだが、このサラバンドは美しい例外を形成している。特に後半9小節目の美しさは、身を引きちぎられる思いだ。弦楽五重奏でなく、原曲のピアノ独奏で聴くのも味わいが深い。

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2015年11月20日 (金)

無言ドルチェ

「dolce sempre piu」という表現をブラームスは生涯で2度使用している。

  1. ティークのマゲローネのロマンスop33-9の111小節目
  2. 弦楽五重奏曲第1番op88第1楽章189小節目の第一ヴァイオリン

1回目は全長138小節の歌曲だ。要所を締めるかのように6度「dolce」が出てくる。問題の111小節目は7度目なのだ。つまり「既に6回出たdolceよりもっとdolceで」という解釈ですっきりする。

問題は上記の2番だ。189小節目以前に同楽章に「dolce」は出現しないのだ。「既に出現したdolceよりもっとdolceで」という解釈はたちまち限界を露呈する。先行する「dolce」無くいきなり「piu dolce」が出現するのだ。「dolce」を修飾しないケースにまで目を向けると「piu」という用語は、しばしばこうした使われ方をしている。

著書「ブラームスの辞書」では、この状態を解釈するために「無言ドルチェ」という概念を想定している。「表示は無くてもある程度dolceだった」という考え方である。単に「dolce」とせず「piu」を付加したブラームスの気持ちを思いやる瞬間だ。

2015年11月19日 (木)

元祖逆オクターブユニゾン

記事「逆オクターブユニゾン」で、第二ヴァイオリンが第一ヴァイオリンのオクターブ上を弾くという現象が、ト短調ピアノ四重奏曲の管弦楽編曲の中にあると指摘した。シェーンベルク編曲だ。場所は第3楽章の冒頭である。異例な扱いの理由は第一ヴァイオリンの楽譜上に存在する「sul G」だと推定した。

実は実は、弦楽五重奏曲第1番ヘ長調op88の冒頭に「逆オクターブユニゾン」が存在する。冒頭主題は「4小節+4小節」の端正な形式だ。冒頭の芳醇な旋律はヴァイオリンG線上の「C」から「F」への4度跳躍で始まる。ヴィオラ以下の楽器が豊かな和音を敷き詰めている中、第一ヴァイオリンの見せ場だ。第二ヴァイオリンには4小節間休符が当てられているが、気の毒と思ってはいけない。5小節目から、第一ヴァイオリンのオクターブ上から旋律をかぶせるための準備と思った方がいい。

そこから4小節の間、「逆オクターブユニゾン」が起きる。その後、第一主題第2句に行く場面では、また第一ヴァイオリンのみの演奏にもどるが、今度は2小節後にまたまたオクターブ上で旋律を重ねる。

シェーンベルクのケースとノリは同じだろう。「sul G」でピッタリな音域だ。ピアノ四重奏曲第一番を管弦楽に編曲する際、第3楽章冒頭に「逆オクターブユニゾン」を設定したシェーンベルクは、ヘ長調五重奏曲冒頭の効果を知っていた可能性がある。

2015年11月18日 (水)

秋の深まり

ブログ「ブラームスの辞書」の開設10周年を記念する「室内楽ツアー」だから、5月立ち上げになるのは順当なところだ。次女の二十歳の誕生日がある9月にはヴァイオリンソナタ第1番を特集することも、日程構成上の必須事項であった。

しかし今少し想定外の寂しさに悩まされている。

ヴァイオリンソナタ第1番特集を終えるのに11月上旬までかかったから、あたりは秋だ。元々「ブラームスの室内楽は秋に」と思われているせいもあって、諸作品への言及は秋の深まりとパラレルに進むことになる。これは非常にさびしい。企画がエンディングに向かって走り出しているのが身に染みる。

企画のエンディング自体は年明けになるから、そのころには気分も変わるに違いないが、今は何かとさびしい。

2015年11月17日 (火)

減七の味付け

ピアノ三重奏曲第2番ハ長調の話。

第3楽章冒頭には「Scherzo」と明記された8分の6拍子。調号としてフラット3つが奉られている。8分の6拍子のスケルツォがいつもハ短調になるというブラームスの癖通りの展開だ。「pp」が「sempre」でと念押しされながら、ヴァイオリンとチェロがユニゾンで、「C→Es→G」という具合に、ハ短調主和音を刻みながら登って行く。テンポがPrestoということもあって何やら神秘的な感じがする。

ピアノパートに目を転ずる。そこには「pp sempre」に「leggiero」が追加される。小節の前半6個の16分音符を見るといい「C→D→Es→Fis→A→C」になっている。最初の3つはともかく、ラストの3つ「Fis→A→C」から小節後半の「Es」にかけての並びは「Cm」から減七和音に逸脱している。1小節目と2小節目は、小節の途中で減七和音に揺らぐということだ。ダイナミクスが「pp」な上に、テンポが速いので聴き手がはっきり確信出来ないまま通り過ぎてしまう。「8分の6拍子のスケルツォは、いつもハ短調」というブラームス自身の癖を逆手に取るスパイスだ。

こうした揺らぎの構造は、フィナーレの冒頭1~2小節でも保存される。小節後半に減七和音への揺らぎが見られる。

2015年11月16日 (月)

ユニゾンの効果

ピアノ三重奏曲第2番の話をする。まずは以下のリストを黙ってご覧いただきたい。

  • 第一楽章 12小節目の途中まで
  • 第二楽章 23小節目まで
  • 第三楽章 5小節目の途中まで
  • 第四楽章 10小節目の途中まで

各々の楽章の冒頭から、上記の位置まで、ヴァイオリンとチェロがオクターブユニゾンになっている。4つある楽章全てにおいて、ヴァイオリンとチェロのオクターブユニゾンで曲を立ち上げているということだ。きわめて異例だ。ブラームスの24の室内楽で、こうしたケースはもちろんこの曲だけだ。

ブラームスのひらめきとしか、言いようが無い。オクターブユニゾンの緊張感を欲したものとおもわれる。他の作品にだってオクターブユニゾンは現れる。しかし、毎楽章必ずオクターブユニゾンで立ち上げるほど徹底されてはいない。

2015年11月15日 (日)

最後のスケルツォ

ブラームスが楽譜上に明記したという意味において、ピアノ三重奏曲第2番op87の第3楽章が最後のスケルツォとなる。op99のチェロソナタの第3楽章には「スケルツォ」と明記されない。

ブラームスがシューマンらとともに合作したFAEソナタでスケルツォを担当して、ハ短調8分の6拍子でスケルツォを書いて以来、もはや伝統となった「ハ短調のスケルツォ」の最後の作品である。
以下に8分の6拍子のスケルツォを列挙する。
  1. FAEソナタ第3楽章 ハ短調8分の6拍子
  2. ピアノソナタ第2番第3楽章 ロ短調8分の6拍子
  3. ピアノ四重奏曲第1番 ハ短調8分の9拍子 インテルメッツォに改名
  4. ピアノ五重奏曲第3楽章 ハ短調8分の6拍子
  5. ピアノ四重奏曲第3番 ハ短調8分の6拍子
  6. ピアノ三重奏曲第2番 ハ短調8分の6拍子
  7. チェロソナタ第2番 ヘ短調8分の6拍子 スケルツォと明記されない。
見ての通り、ハ短調のスケルツォはいつも必ず8分の6拍子になる。興味深いのは上記3番だ。ピアノ四重奏曲第1番の第三楽章には元々「スケルツォ」と書いてあったのだが、現在流布する楽譜では「インテルメッツォ」と差し替えられている。これがもし、放置されていたら「ハ短調のスケルツォはいつも8分の6拍子」という命題が偽となっていた。
さらに上記の表の作品は全て短調だし、全てピアノ入りの作品となっている。FAEソナタはブラームス自身出版に同意していないからノーカウントとして、ピアノソロ、二重奏、三重奏、四重奏、五重奏に各1種ずつだ。

2015年11月14日 (土)

人騒がせな断言

音楽之友社刊行「作曲家別名曲解説ライブラリー」第7巻ブラームスの251ページ末尾から252ページにかけて、興味深い記述がある。ピアノ三重奏曲第2番ハ長調の第1楽章第一主題についての記述だ。以下に原文のまま引用する。

この主題は、ガイリンガーも指摘しているとおり、弦にあまりにも適合しているので、その後もほとんどつねに弦だけでうたいだされている。しかし、この主題の性格から、この楽章に対してわかりやすい印象をあたえる代わりに、第2主題の魅力的なのにもかかわらず、人を引きつける情熱的なものにいくぶん不足しているともいえる。

以上だ。

わかりにくい。一読しただけでは何を言っているのかわからない。解説になっていない。以下に不可解な点を列挙する。

  1. まず、不必要な平仮名の多用が理解の足を引っ張る。「つねに」「うたいだされている」「わかりやすい」「あたえる」など漢字書きにしてもらいたい。
  2. 第一主題自体は弦楽器にピッタリと評しているのはよしとして、その結果楽章の判りやすい印象をあたえているという趣旨なのに、何故逆説の接続詞「しかし」挟まれるのか理解に苦しむ。
  3. 「弦楽器に適合した第一主題が、わかりやすい印象をあたえるかわりに」つまりわかりやすい印象をあたえることと引き換えに」というトーンで「人を引きつける情熱的なものにいくぶん不足している」と評している。その間「第二主題が魅力的にもかかわらず」というニュアンスが付加されている。それをいうなら「情熱的なものに」ではなく「情熱的なものが」であるべきだ。
  4. 「いくぶん不足している」という断言をせずに「いくぶん不足しているともいえる」と婉曲に婉曲を重ねていて、何が言いたいかはっきりしない。
  5. 同解説冒頭の第一楽章第一主題については「完全にベートーヴェン的な性格の、しかものちの発展の可能性を十分に予知させる」とポジティブな形容をしていることと整合しない。
  6. おまけに、これら主張のどこまでがガイリンガーの主張で、どこまでが筆者の主張なのかはっきりしない。

入門者初心者にとって必要な情報なのか理解に苦しむ。この第一楽章に対する筆者の冷めた見方だけが十分に伝わってくる。不足しているのは、執筆者の愛情ではあるまいか。

2015年11月13日 (金)

根源的な疑問

よく言われる話である。「秋はブラームス」。「枕の草子」にでもありそうなフレーズ。あちらは「夕暮れ」だったか。「秋はブラームス」とりわけ「室内楽」というフレーズをうなずきながら聞く人は多分多い。私は一年中ブラームスだからよくわからぬが、どうやらそれが世の中主流だと見受ける。

大疑問がある。
「秋はブラームスが聴きたくなる」という人々は、他の季節には何を聴いているのだろう。他の季節もどうせブラームスを聴いているのに「とりわけ秋は」ということなのだろうか。やはり他の季節は別の作曲家の作品を聴いているのだろうか?
どうでもいいと言えばどうでもいいが、これで1本記事が書けるならと取り上げた。

2015年11月12日 (木)

「con anima」再考

記事「con animaの処理」で、「con anima」を「animato」と同義と位置づけた。それが直接テンポをいじる指示ではないという認識も披露した。それを演奏に転写する手段としてテンポアップが採用されるとも書いた。我が家所有のCDの演奏振りからそれを検証しようと調査を続けた結果、テンポアップの実態も明らかになったが、それ以上に演奏家による処遇の差を印象付けられる結果となった。

調査中、心に引っかかっていた疑問がある。はたして本当にブラームスは「con anima」を「animato」と同義だと考えていたのだろうか?
同じなら何故書き分けたのだろう。この種の用語を考えもなしにズルズルと提示することはブラームスにおいてはありえない話だ。ましてこの36小節目はとっておきの旋律だ。普通以上の注意深さで置かれたに決まっている。
「con」は英語でいう「with」だ。「anima」は「魂」だ。その原点に立ち返ることがヒントになりはしないか。「魂とともに」である。「con anima」は、同義とされる「animato」より使用頻度がかなり低い。気軽に使われる「animato」よりは、「とっておき感」が深いのではあるまいか。「副詞」と「副詞句」だから同義という一見正論のような解釈こそが落とし穴ではあるまいか。
「魂とともに」は魅力的な角度だ。
ごつごつしているから、言い換える。「心とともに」「心を添えて」かもと。良い日本語を思いついた。「心をこめて」だ。語感としては「espressivo」より深い感じ。「animato」と同義とされるより説得力がある。
先に分類パターン314を本調査のひとつの結論と位置づけた。しかし本日はその根底を揺るがす話だ。テンポの変動など表層に過ぎない。テンポ変化による訴求は、楽曲構造上再現部では採用が難しいという点も、「心をこめて」であればすんなりはまり込む。ヴァイオリンソナタ第一番第一楽章の「con anima」に関する限り、「animato」と同義という解釈を放棄し、「心を込めて」と捉えなおす立場を採りたい。お叱りは覚悟の上だ。
本日をもって「雨の歌」ツアーをお開きとする。

2015年11月11日 (水)

厄介なランク付け

記事「ドキドキの告白」で、ブラームスの室内楽で一番好きなのは「ピアノ四重奏曲第3番」であると述べた。その次はなんだろう。そしてまたその次はと我ながら好奇心が膨らむ。

実は2番手もほぼ決まっている。ヴァイオリンソナタ第1番だ。若いころは断然3番だったのにどうしたものかと、心境の変化に戸惑う。3番手は弦楽六重奏曲第1番だ。第二楽章のヴィオラのひのき舞台を除外してもこれが3番手だ。

この先にはなかなか順位が付けにくい。

2015年11月10日 (火)

止まない雨はない。

ブラームスのヴァイオリンソナタ第1番は、そのフィナーレ第3楽章が歌曲「雨の歌」から引用された旋律から立ち上がることをもって、「雨の歌」と通称されている。なるほど、打ち続く16分音符が、聴きようによっては雨だれの描写とも思われる。

けれども「Piu Moderato」で調号がシャープ1個に変わるあたりから、止む気配が充満し始める。そうだ。ト長調に転じていることに加え、キラキラと下降する旋律がピアノにもヴァイオリンにも現れて薄日も差してくる。

葉っぱの上にはまだしずくが残っているけれど、雨は上がる。

テンポを落とす指示が立て続けに現れ、もはや16分音符による急き立てる感じも影をひそめる。ヴァイオリンが高い音域で、「E-G-Fis-E-D」の4分音符をスラーで繋いでアーチを作る。

ああ、これはきっと虹に違いない。

2015年11月 9日 (月)

アンバランスの言い訳

12番目の室内楽「弦楽四重奏曲第3番」への言及を終えるまでにかれこれ3ケ月半を要した。記事の本数にしておよそ100本強。これでもそこそこの厚みなのだが、それに続く13番目の室内楽「ヴァイオリンソナタ第1番」に関するネタ公開に2ヶ月を費やした。12作品で3ケ月半なのに「雨の歌」1作で2ヶ月とはアンバランスが過ぎる。

ヴァイオリンソナタ第1番は我が家の次女の名づけに密接にかかわっている。3人目の子供が、どうやら女の子と判明したときから、「どんな名前にするか」に心を砕いた。元々大好きな作品だった上に、そうした事情が重なった。今回は「雨の歌オプショナルツアー」と位置付けてそれらの事情に深く言及してきた。だからほとんど第一楽章の話ばかりで記事が膨れ上がった。第二楽章や第三楽章ネタをまともにとりあげたら、あと1ヶ月はほしいところだ。

そしてその公開のタイミングは、次女の20歳の誕生日を含む時期とした。今回の「室内楽ツアー」の折り返し点にしてクライマックスだ。

2015年11月 8日 (日)

切り上げ時

次女の名付けに関与しているからと、言い訳を重ねつつ展開してきたオプショナルツアー「雨の歌」は、間もなくお開きとなる。何故今日この記事なのかは、ささやかなこだわりだ。

1879年11月8日ボンにおいて、ヴァイオリンソナタ第1番が初演された。9月に始めたツアーを本日まで引き伸ばしたのはまさにこのため。
室内楽に限らず、管弦楽曲などの器楽は、作曲するそばから初演された。夏に作曲された新作が、秋から始まる演奏会シーズンに入ると、出版を待たずに手書き譜で初演されるというルーチンが出来上がっていた。5月に「室内楽ツアー」を始めたから、12番目の室内楽である弦楽四重奏曲第3番までは、ブログでの言及が初夏から夏になり、言及の期間に初演日がやってこない。
これ以降初演日が、室内楽ツアーでの立ち寄り期間の中にやってくる曲が出てくる。その都度華々しく紹介することにする。

2015年11月 7日 (土)

歌曲の初演

押しも押されもせぬシューベルトの後継者ブラームスの歌曲なのだが、それぞれの作品の初演はとなると、いささか心もとない。ピアニスト一人、歌手一人で演奏が成立してしまう歌曲は、初演の定義が難しい。

「完成後初めて通して演奏した」が初演の定義で、聴衆の有無は問わないとすると、ゲネプロはどうなるのか。管弦楽や室内楽はともかく小規模の作品は、公開の初演以前に全曲の通し演奏はあるに決まっている。あるいは、友人宅に集っての試演などは、初演にはカウントされない。だから仕方なく「初演」は「公開の初演」としないと座りが悪い。
ところが、その定義だと歌曲などはぎょっとする事態も起きてくる。
ヴァイオリンソナタ第1番の第3楽章に旋律がそっくり引用された歌曲「雨の歌」(Regenlied)は、1873年には完成している。ヴァイオリンソナタ第一番の6年前だ。さっさと公開の席で初演されたソナタに対して、歌曲「雨の歌」op59-3の公開の初演は1896年3月20日ウィーンを待たねばならない。作曲から実に23年だ。歌曲「雨の歌」はクララお気に入りだ。作曲から23年間一度も演奏されなかったはずがない。が、公式記録とは味気ないものだ。

2015年11月 6日 (金)

それぞれの番号

書籍「ブラームスの辞書」は印刷部数300部のささやかな自費出版。少部数ならではの工夫として、すべてに通し番号を打った。opus1から300までの個体番号を巻末にシールを貼り付けることで表示する。1から122まではブラームスの作品と番号によって紐付されることになる。マニア心理をくすぐる仕組みだ。おもな番号の所蔵先を以下に挙げる。

  • 001 栄えある1番は長女だ。
  • 002 亡き妻の妹に。
  • 053 長男。ブラームスの作品53「アルトラプソディ」にちなむ。
  • 078 次女。ヴァイオリンソナタ第一番にちなむ。
  • 122 ドイツ国立図書館に寄贈。
  • 124 私自身。誕生日にちなむ。
  • 300 母。最大の番号は母。

何故、次女がop78の所有者なのか、すでにおおかた説明を終えている。

2015年11月 5日 (木)

室内楽菓子舗

ここ10年くらいずっと贔屓にしている和菓子のお店。「桃六」という。和菓子は何でもおいしい。お昼時のお弁当も自家製でおいしい上にお値段も手ごろなので重宝している。店主を筆頭によい人ばかりなので母も気に入っている。

もっと凄いことがある。
このお店、店内のBGMが必ず室内楽だ。音量控えめなのだが決まって室内楽。ブラームスのときもある。割と頻繁にブラームスが鳴っている気がする。店主の好みに決まっているが、本当に優雅だ。
雨の日にヴァイオリンソナタ第1番がかかったりするなど、「さてはわざとか」などど勘繰りたくなる。

2015年11月 4日 (水)

CDに込める意図

CDに収録される曲の選択やその順序には、しばしば誰かしらの意図が込められる。演奏者の意図、ディレクターの意図、スポンサーの意図などさまざまな階層の関係者の意図が込められるのが普通だ。

ブラームスのヴァイオリンソナタの場合、全3曲を1枚に収めるというパターンが大変多いが、このパターンの場合は多くが、スタジオ録音だ。ライブにしても全3曲が同じステージでということは少ない。ブラームスヴァイオリンソナタ全集を意図するケースだ。

その他には、3曲から1つまたは2つが取り上げられ、他の作品と組み合わされることがある。この場合にもやはり何らかの意図の反映だが、聴き手には伝わらないことも多い。

その意図がうれしいくらい明確なCDにであった。ブラームスのヴァイオリンソナタ第1番に続いて収録されているのが、ヨアヒムの「3つの小品」。さらに続けてグスタフ・イエンナーのヴァイオリンソナタ第一番だ。

ヨアヒムはブラームスの親友で19世紀最高のヴァイオリニスト。作品だって残っている。イエンナーはほぼ唯一といっていいブラームスの作曲の弟子だ。ブラームスに関係浅からぬ人物の作品がおさめられているということだ。

しかも、ジャケットには、元になった歌曲「雨の歌」のテキストが掲載されている。

思わず記事にしたくなるくらい嬉しい。

2015年11月 3日 (火)

半音の効果

昨日記事「経過音」でヴァイオリンソナタ第一番第一楽章冒頭の8小節間で、たった一箇所あるダイナミクスの揺らぎについて、お叱り覚悟の私見を披露した。今日は懲りずにその続き。

身をよじるようなピアノ左手の「Gis」を話題にした。その「Gis」は続く8小節目の冒頭で「A」に解決する。イ長調の主音して最低部に収まるから座りがいいと思ったらそうでもない。ピアノ右手の最高音には前の小節から引き続いて「D」が残留する。いわゆる「繋留」として次の拍で「Cis」に落ち着く。
そして9小節目の冒頭ではさらに半音下がって「C」となる。おそらく「D7」の第7音だ。8小節目の頭からピアノ右手を観察すると「D→Cis→C」という半音進行が浮かび上がる。ヴァイオリンが8分音符の下降が始まるその瞬間だ。静謐な第一主題の提示からの舞台転換が始まる場所。
次の展開を期待させる「C」、疑問形の響きだ。このときヴァイオリンは「H」だ。八分音符なのだが、この「H」をテヌート気味に強調する演奏が多い。ピアノの終点「C」と同時だから不協和音なのだが、音高が離れているから決定的な衝突とは聞こえず、むしろ心地よいスパイスと映る。
ここから風雲急を告げつつ11小節目を目指す。

2015年11月 2日 (月)

経過音

昨日の記事「作品の気分」で、ヴィオリンソナタ第一番第一楽章冒頭の8小節で、作品の気分が規定されていると書いた。冒頭8小節の間、ピアノのパートには付点2分音符以外は現れない中、繋留によって和音の移ろいがぼかされヴァイオリンが第一主題を奏でるという枠組みに言及した上で、そうした動きすべてがダイナミクス「p」の範囲に収まっているとしておいた。

本日はその続きだ。

実は唯一7小節目にダイナミクスの揺らぎが指示されている。いわゆる松葉「<>」だ。松葉の頂点はヴァイオリン側の7小節目の後半、2つ振りした2拍目に置かれている。いったいこれは何ぞやと自問して、はたと思い浮かんだことがある。

7小節目の前半の右手は低い方から「D-A-D」で、左手が奏でる「Fis」のオクターブによりニ長調の和音だとわかる。続く後半、右手は同じく低いほうから「D-Fis-D」になる。ヴァイオリンは「H」を出すから、ひとまず「ロ短調」だ。先の松葉「<>」の頂点がまさにこの「H音」の発音の瞬間に設定されている。何故この瞬間の「H音」を軽く強調せねばならぬのか。

そのヒントはピアノの左手にある。ピアノの左手は臨時記号♯が付与されることで「Gis」が指示される。上で鳴るのはロ短調なのに「Gis」は和音外もいいところだ。こういうときはそのピアノ左手の前後の音を調べる。一つ前の音から「Fis→Gis→A」となる、和声が「D/Fis→Hm/Gis→A」と進行する中、ベースが「Fis→Gis→A」と動く。学問的にはこれが「経過音」だと思われる。

理屈は置いておくがいい。

耳を澄ますことだ。このGisには深い深い味わいがある。不安とも憧れともつかぬ、身をよじるような情緒がこの1音にこめられている。ヴァイオリン側に付与された松葉「<>」は、ヴァイオリンの発する「H音」の強調であると同時に、ここが軽い不協和音であることを仄めかす意図がある。

2015年11月 1日 (日)

雨の気分

ヴァイオリンソナタ第1番の第一楽章冒頭から8小節間、いや正確には9小節目の最初の音までの話をする。ここでブラームスは主題提示とともに、作品の持つ気分をじっと説明する。長調だというのに開けっ放しの明るさではないと。

まずはヴァイオリン。第一主題はいきなりオクターブを段抜かしに下降する。3小節目から上行に転じはするものの、一気に駆け上ることは控えられている。5小節目と7小節目には印象的な6度の下降が配置されて、気分をクリップするかのようだ。2回の6度下降に続く8分音符は、時折微妙な臨時記号が挟まれて、すかっとした上行にはなっていない。しかもこの間のダイナミクスは、ほぼ揺るぎなく「p」の枠内に留まっている。
続いてピアノに耳を転じる。この8小節全て同じパターンが維持される。すなわちスタカート付きのスラーで付点2分音符が結ばれた音形だ。先に述べたヴァイオリンの動きを際立たせることに徹しつつ、和音を塊として提示することで、この場面の気分を規定することに貢献している。
まずは冒頭の右手だ。下から「D-G-H」となっている。ここだけを取り出すとト長調和音の第二転回形いわゆる「46の和音」だ。ブラームスは弟子イエンナーに「46の和音」の特性を語っている。「耳に優しく響くから、霊感に乏しいときこの和音に逃げ込みがちだ」と警鐘を鳴らす文脈だ。なるほどやさしい響きがする。「46の和音」に限らず、最高音に「主音」、ここでいうなら「G音」が置かれないと、同じ主和音でもやさしく感じられる。
1小節目も2小節目も鳴らされる和音は「G」なのだが、肝心な「G音」が最高部に来ないのでチャーミングでやさしい印象になる。
3小節目で和音が「C」に移行するのだが、話題の最高音は「D」に留まっている。周囲は「C」の和音に移行したというのに遅刻した感じだ。難しく申せば「繋留」というらしい。次の音が「C」に下がることでめでたく周囲の和音に追いつく。繋留された「D」は確かに和音外音ではあるのだが、「E」を鳴らすヴァイオリンは小節の頭が休符なので決定的な衝突には聞こえない。小節毎の和音の移ろいの継ぎ目が巧妙にぼかされている。テンポ通りに律儀にサクサクと和音が移ろわないということだ。
こうした繋留はまた次の4小節目でもおきている。いやいや6小節目も8小節目も小節の頭は繋留されている。ヴァイオリンはその瞬間いつもスラーの終点か休符になっているから、和音外音といえども衝突には至らない。
無論ブラームスは全て計算づくだ。
この8小節間ピアノの和音の移ろいがソナタ「雨の歌」の気分を規定していると感じる。

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