筆耕者クプファー
筆耕とはいい言葉だ。ここでは写譜に近い。ウイリアム・クプファーはブラームスと同郷のチェリストで10歳年下だった。父同士が音楽仲間という間柄。ブラームスより3年遅れてウイーンに新出してキャリアを積んだ。
ブラームスの晩年の10年間、専属筆耕者の地位にあった。作品で言うなら第三交響曲以降だ。1886年11月29日のチェロソナタ第2番の試演にブラームス自ら招待の手紙を送っているほどの関係だ。
当時、ブラームス作品は出版前の初演が当たり前だったが、そのときに使うパート譜の作成はクプファーの尽力によるところが大きい。
写譜の正確性、見易さはクプファー自身の音楽的見識が反映していたと見るべきで、ブラームスの信頼は厚い。
クプファーは息子にヨハネスと名付け、ブラームス自身がその代父となったほどの間柄だ。
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