無言ドルチェ
「dolce sempre piu」という表現をブラームスは生涯で2度使用している。
- ティークのマゲローネのロマンスop33-9の111小節目
- 弦楽五重奏曲第1番op88第1楽章189小節目の第一ヴァイオリン
1回目は全長138小節の歌曲だ。要所を締めるかのように6度「dolce」が出てくる。問題の111小節目は7度目なのだ。つまり「既に6回出たdolceよりもっとdolceで」という解釈ですっきりする。
問題は上記の2番だ。189小節目以前に同楽章に「dolce」は出現しないのだ。「既に出現したdolceよりもっとdolceで」という解釈はたちまち限界を露呈する。先行する「dolce」無くいきなり「piu dolce」が出現するのだ。「dolce」を修飾しないケースにまで目を向けると「piu」という用語は、しばしばこうした使われ方をしている。
著書「ブラームスの辞書」では、この状態を解釈するために「無言ドルチェ」という概念を想定している。「表示は無くてもある程度dolceだった」という考え方である。単に「dolce」とせず「piu」を付加したブラームスの気持ちを思いやる瞬間だ。
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Y.N.さま
随分昔の記事に気合いのコメントありがとうございます。貴重なご指摘歓迎します。「p」の解釈も、「弱く」ばかりではないという点、同感でございます。
投稿: アルトのパパ | 2016年9月 6日 (火) 06時00分
大変興味深く読ませていただきました。一点だけ、弦楽五重奏曲第1番第1楽章ですがdolce sempre piu なる指示は62小節のやはり第1ヴァイオリンに既出です。189小節は再現部であり、提示部の同様の箇所に既にあったということです。無言のドルチェとはまさにおっしゃる通りだと思いますが、私見では提示部なら50小節、再現部なら177小節のいずれも第1ヴィオラがおおもとのドルチェの箇所だろうと思われます。主題旋律がクレッシェンドしていってふっとピアノになって短調に転じるこの箇所とても印象的ですが、ブラームスは当然ドルチェというつもりでいて敢えて書かなかったのでしょうか。ちなみに「ピアノ」という語には「弱く」のほかに「優しく」というニュアンスも含まれていると思っています。もう一つこの第2楽章は嬰ハ短調(おっしゃる通り事実上嬰ハ長調ですが)に始まっているにも関わらず、最後は調号はそのままにイ長調で終止しているのは原曲のサラバンドの投影ではないかという気がいたします。長々と失礼いたしました。
投稿: Y.N. | 2016年9月 5日 (月) 16時27分