人騒がせな断言
音楽之友社刊行「作曲家別名曲解説ライブラリー」第7巻ブラームスの251ページ末尾から252ページにかけて、興味深い記述がある。ピアノ三重奏曲第2番ハ長調の第1楽章第一主題についての記述だ。以下に原文のまま引用する。
この主題は、ガイリンガーも指摘しているとおり、弦にあまりにも適合しているので、その後もほとんどつねに弦だけでうたいだされている。しかし、この主題の性格から、この楽章に対してわかりやすい印象をあたえる代わりに、第2主題の魅力的なのにもかかわらず、人を引きつける情熱的なものにいくぶん不足しているともいえる。
以上だ。
わかりにくい。一読しただけでは何を言っているのかわからない。解説になっていない。以下に不可解な点を列挙する。
- まず、不必要な平仮名の多用が理解の足を引っ張る。「つねに」「うたいだされている」「わかりやすい」「あたえる」など漢字書きにしてもらいたい。
- 第一主題自体は弦楽器にピッタリと評しているのはよしとして、その結果楽章の判りやすい印象をあたえているという趣旨なのに、何故逆説の接続詞「しかし」挟まれるのか理解に苦しむ。
- 「弦楽器に適合した第一主題が、わかりやすい印象をあたえるかわりに」つまりわかりやすい印象をあたえることと引き換えに」というトーンで「人を引きつける情熱的なものにいくぶん不足している」と評している。その間「第二主題が魅力的にもかかわらず」というニュアンスが付加されている。それをいうなら「情熱的なものに」ではなく「情熱的なものが」であるべきだ。
- 「いくぶん不足している」という断言をせずに「いくぶん不足しているともいえる」と婉曲に婉曲を重ねていて、何が言いたいかはっきりしない。
- 同解説冒頭の第一楽章第一主題については「完全にベートーヴェン的な性格の、しかものちの発展の可能性を十分に予知させる」とポジティブな形容をしていることと整合しない。
- おまけに、これら主張のどこまでがガイリンガーの主張で、どこまでが筆者の主張なのかはっきりしない。
入門者初心者にとって必要な情報なのか理解に苦しむ。この第一楽章に対する筆者の冷めた見方だけが十分に伝わってくる。不足しているのは、執筆者の愛情ではあるまいか。
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