創作力の衰え
1890年11月11日ウィーンにおいて弦楽五重奏曲第2番ト長調op111が初演された。op111の初演が11月11日とは芸が細かい。
出来映えはいつも通りの素晴らしさだったが、本人は創作力の衰えを感じて、今後大作の創作をやめ、過去の作品の整理に没頭しようと思いつめる。この決定はやがて翻意されるが当時は真剣だったと見える。
ドヴォルザークにおいては、弦楽四重奏曲第13番変イ長調をもって、いわゆるブラームス型の絶対音楽の創作を打ち切る。これ以降創作の軸足はオペラに移るが、傑作を生み出せぬまま8年を過ごしてこの世を去る。ドヴォルザークの伝記の中でさえ、この時期を評して「創作力の衰えが伺える」とする論調も多い。
私のような素人には伺い得ぬ感覚があるのだと思う。作曲家は創作力の衰えを自覚するものなのだろうか。
その疑問に迫るための実験を思いついた。
今私はブログ「ブラームスの辞書」のための記事を溢れるように思いつく。無論ブラームスやドヴォルザークほどの普遍性は持ち合わせていないが、私自身はそう感じている。小さな波はあるが、記事の着想が途絶えることがない。この先この状態がいつまで続くのか自分で自分を見守りたい。
衰えの兆候は、記事の質に現われるのか、単位時間当たりの着想量に現われるのか、そしてそれがいつなのか自分で見極めたい。難しいのは質だ。量の衰えと時期は明確に自覚できるが、質は難しい。あるいは質の劣化に気付かなくなる感性の衰えは客観的な測定が難しかろう。
読者に指摘されて気付くか、ブログのアクセス減として思い知らされることもあろう。その最初の兆候に気付くのが自分であって欲しいと心から思う。
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