オリジナル当て
ハンガリア舞曲の大ヒットが、裁判沙汰を引き起こしたことはよく知られている。。1869年刊行の第1集だ。ブラームス作曲とせずに編曲としていたことが幸いしてブラームス勝訴となった。
1880年第2集11曲の刊行にあたり、ブラームスはさらに用心深くなった。ハンガリージプシーの旋律の編曲というコンセプトは不動だが、いくつかオリジナルを混ぜたというのだ。つまり編曲を編曲と言うだけにとどまらず、自作にまで編曲のレッテルを貼ったということだ。海賊版の出現に備えてのことらしい。
ブラームスの語法にもハンガリーの語法にも精通していたヨアヒムは、この裁判沙汰自体を子供じみていると感じていたらしいが、ブラームスが忍び込ませたオリジナルについて興味深い指摘をしている。
ヨアヒムによれば第2集の中の第11番、第14番、第16番がブラームスのオリジナルだとしている。これら以外の曲については原曲を知っていたからかもしれない。
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