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2016年3月31日 (木)

ハンス・ミリエス

ハンス・ミリエス(Hans Millies1883-1957)は、ヴァイオリニスト、指揮者、作曲家の肩書きを持つ音楽家。ベルリン高等音楽院に学んだというだけでもありがたいのに、ヴァィオリンをヨアヒムに師事したとあっては、そのご利益たるや半端ではない。

1910年、彼は上海租借地のオーケストラにコンサートマスター兼副指揮者として招かれる。1914年には第一次大戦の勃発とともに青島に出征するがそこで、租界オケの仲間4人とともに捕虜になってしまい日本にやってくる。やってきた先は千葉県習志野市にあった捕虜収容所だ。仲間は散り散りになるが、徳島坂東に送られた2人が第9交響曲日本初演に携わることになる。

おそらく1000名程度の捕虜が1919年まで収容されていた習志野で彼は弦楽四重奏団を組織し、やがてオーケストラも出来上がる。習志野捕虜オーケストラの指揮者あるいはコンマスとして運営を取り仕切った。確認されているだけでの10回くらいは演奏会を開いている。

このオケがブラームスを取り上げた事実がなかなか確認できないが、ヨアヒムの直弟子が指揮者だったというだけで満足した気になっている。

2016年3月30日 (水)

落ち着かない

ブログ開設10年を記念した「室内楽ツアー」を終えてから随分時間がたった。

最近奇妙な感覚に取り憑かれている。ツアーを終えて以来、企画無しの時間を過ごしてきたが、どうも企画発信中の方が落ち着く。企画を開催していない状態の方をイレギュラーと感じるようになってしまっている。 根が凝り性だから致し方ないが、企画を発信していないと落ち着かない。何かお題を決めてそれにマッチしたネタを発信しなければないらないという取り決めが心地よい緊張を生み出す。何ら意図無くポッツリと発信する記事をぬるいと感じることもある。

この時期、落ち着かない理由はほかにもある。

2016年3月29日 (火)

4人救える

本日のこの記事がブログ「ブラームスの辞書」4004本目の記事。アラビアンナイト千夜一夜物語の4倍に相当する。不幸なお姫様を4人救うことが出来る。

アラビアンナイト計画と称して2002本から3003本の間、企画を敷き詰めたアラビアンナイト計画から1000日経ったということだ。

2016年3月28日 (月)

合唱版アダージェット

次女の後輩たちのドイツ公演の目玉の一つに、マーラー作曲「交響曲第5番」の第4楽章「アダージェット」がある。弦楽5部とハープだけの作品。新妻アルマの音楽的肖像ともうわさされる。全曲を貫く静溢な曲想は、彼女たちの本領発揮にはもってこいだと何度も書いてきた。先の卒業式でも披露され、敬虔厳粛な雰囲気の醸成に一役買っていたと聞く。

手元に驚異的なCDがある。マーラーの「アダージェット」のアカペラ合唱版だ。テノール独唱2、アルト、ソプラノ独唱各1が加わる。つま弾くようなハープのパートまでも合唱で再現されている。演奏はローレンス・エキルベイ指揮のアクセンタス室内合唱団。

テキストはアウグスト・フォン・プラーテン「Kein Deutscher Himmel」(いかなるドイツの空も)だ。ブラームスの生まれた年に没したドイツの詩人で、ブラームスもいくつかの声楽曲にテキストを採用している。

聴いてみる。

いやはや、斬新。弱音ベースでニュアンス1個の出し入れという点ではオリジナルと同じだが、もはや別世界。中間部のソプラノ独唱には息をのんだ。オリジナルよりも敬虔な印象で、よりいっそう祈りが勝つ感じ。その手もあったかという驚きに満ちている。

ただただ祈りたい気にさせられた。

2016年3月27日 (日)

三断ち

一昨日ブログ開設以来の記事が4000本に到達した勢いで、本日は異例の宣言。

次女の後輩たちのドイツ公演の道中無事を祈念して、今日から「三断ち」を決行する。この間大好きなもの3つを断つことと引き換えに演奏会の成功と道中の安全を祈願する。

<断つ物>

  1. ブラームス 期間中ブラームス作品を一切聴かない。ブラームス編曲もだめ。実は2月18日以降、ブログの執筆周辺の記事だけを発信してきたのは、ブラームス断ちの先取りだった。ブログの毎日更新は通常通りとする。
  2. ビール 期間中ビールを飲まない。ノンアルコールビール、発泡酒、第三のビールも含む。
  3. コーヒー 期間中コーヒーを飲まない。

私にしてやれるのはこの程度。好きなもの3つを喜んで神様に差し出す。ただただ元気でと祈るばかり。

ブラームスを聴かぬというのは、割と容易だ。入り込んだ喫茶店のBGMでブラームスがかかる等のアクシデントが心配。バッハさんやドヴォルザークさんにお世話になればいい。

「ビール」はいささかつらい。期末ということもあって期間中、歓送迎会が2つは予定されている。まあつらいことにこそ意味がある。「コーヒー」は、マジ厳しい。黙っていれば1日3杯は固いから、意識を高く持つ必要がある。

2016年3月26日 (土)

ありがとうヨハン

一昨日、元オランダ代表ヨハン・クライフがこの世を去った。

1974年サッカーのワールドカップ西ドイツ大会の決勝戦、中学2年だった私は衛星中継でテレビ観戦した。このときが史上初の決勝戦の生中継だったと後で知った。

西ドイツ対オランダという顔合わせだったが下馬評は、「あっとー的にオランダ有利」だった。当時からドイツ大好きだった私はもちろん西ドイツ押しだったのだが、サッカー部の奴らはみんなオランダにあこがれていた。以下は西ドイツ代表のスタメン。

  •  1 ヨゼフ・マイヤー
  •  2 ベルティ・フォクツ クライフを倒してPKを献上。のちに代表監督。
  •  3 パウル・ブライトナー 同点PKを蹴る。
  •  4 ゲオルク・シュヴァルツェンベック
  •  5 フランツ・ベッケンバウアー 「皇帝」。のちに代表監督。サッカー協会副会長。
  •  9 ユルゲン・グラボウスキー
  • 12 ウォルフガング・オベラーツ 左足の魔術師。
  • 13 ゲルト・ミューラー 爆撃機。決勝ゴール。
  • 14 ウリ・ヘーネス バイエルンミュンヘン会長。
  • 16 ライナー・ボンホフ
  • 17 ベルント・ヘルツェンバイン 同点PKを獲得。

今でもこれをそらんじている。

対戦相手オランダの主将がヨハン・クライフだった。背番号「14」は当時のサッカー少年たちのあこがれだった。

さてさて、「ヨハン」は「Johan」と綴る。ヨハネに由来するこの名前はキリスト教圏では由緒正しき名前だ。バッハと一緒である。「BACH」を数値化する遊びがある。「B=2」「A=1」「C=3」「H=8」だ。これらの和が「14」でクライフの背番号と一致するなどと、無理やり音楽にこじつけてみたが、もっとストレートな落ちがあった。

「ヨハン・クライフ」は通称だ。本名は「ヘンドリック・ヨハネス・クライフ」という。「ヨハン」はミドルネーム「ヨハネス」に起因する通称だった。ブログ「ブラームスの辞書」的にはまたとないオチだ。

合掌

2016年3月25日 (金)

おすすめホテル

森鴎外の「独逸日記」は1884年から1888年にドイツ留学時の記録。超一流の文豪が残したドイツの風物の描写。本日はその中に登場するホテルを抜き出して列挙する。どこか1箇所くらいブラームスも泊まったかもしれないと妄想が膨らむ。

<ベルリン>

  1. 1884年10月12日 Hotel Garni zum Deutschen Kaiser 
  2. 1886年02月19日 Hotel Sansouci 莫愁客館 ホテル・サンスーシか。
  3. 1886年02月20日 Hotel Imperial 帝国客館
  4. 1886年08月09日 Toepfer's Hotel トヨプフェルス客館
  5. 1887年04月16日 Toepfer's Hotel トヨプフェルス客館
  6. 1887年07月17日 Hotel Kronprinz 太子客館
  7. 1887年08月31日 Toepfer's Hotel トヨプフェルス客館
  8. 1887年10月18日 Toepfer's Hotel トヨプフェルス客館
  9. 1887年11月27日 Toepfer's Hotel トヨプフェルス客館
  10. 1887年12月09日 Kronprinzen Hotel 皇太子客館

<ライプチヒ>

  1. 1884年10月22日 Hotel Stadt Rom
  2. 1885年07月30日 Hotel zu StadtDresden 徳停客館 徳停はドレスデンのこと。
  3. 1885年08月25日 Hotel zu Stadt Dresden 徳停客館
  4. 1885年12月23日 Hotel de Russe 魯国客館 

<ドレスデン>

  1. 1885年05月12日 Hotel zu den vier Jahreszeiten 四季客館
  2. 1885年10月11日 Hotel zu den vier Jahreszeiten 四季客館
  3. 1885年10月11日 Hotel de Saxe 索遜客館 索遜は「ザクセン」
  4. 1886年02月17日 Hotel Stadt Peterburg 彼得堡客館

<ネルハウ>Nerchau ザクセン陸軍の演習に臨む。

  1. 1885年08月28日 Gasthof zu Sonne 太陽客館

<グリンマ>Grimma ザクセン陸軍の演習に臨む。

  1. 1885年09月06日 Gasthof zum goldenen Lowen 金獅客館

<ミュンヘン>

  1. 1886年03月08日 Hotel Deutscher Kaiser 独帝客館
  2. 1886年07月28日 Bayerischer Hof 拝焉客館 拝焉は「バイエルン」だ。
  3. 1886年10月15日 Bamberg Hof バムベルク客舎
  4. 1886年12月22日 Grunwaldhof グリュンワルド客館

<シュタルンベルク湖>

  1. 1886年09月03日 Bayerischer Hof 拝焉客舎 ミュンヘンのと同名かも。

<レオニー>シュタルンベルク湖畔

  1. 1886年09月 Gasthof Leoni レオニイ客舎

<ヴュルツブルク>

  1. 1887年09月16日 Hotel National 国民客館

<カールスルーエ>

  1. 1887年09月18日 Hotel Germania 日耳曼客館

<ウィーン>

  1. 1887年09月28日 Hotel Victoria 勝利客館
  2. 1887年09月29日 Tegethof テゲット客舎

ご覧の通り漢堡ハンブルクが無い。よくよく調べると4年の留学期間中に鴎外はハンブルクに立ち寄っていない。またライプチヒに「ホテルドレスデン」がある。誤植ではない。

本日のこの記事はブログ「ブラームスの辞書」開設以来4000本目の記事となる。

2016年3月24日 (木)

ドイツの象徴か

「ハンガリア舞曲」と並ぶブラームスの出世作「ドイツレクイエム」第一曲の冒頭を思い浮かべてほしい。その出だしが「ドイツ国歌」に似ていると感じている。ほんの一瞬だけの瞬間芸だ。

「ドイツレクイエム」の完成は1868年だ。「ドイツの」「ドイツ語の」「ドイツ人の」というような意味を併せ持った普遍性あるタイトルだ。普墺戦争勝利後、統一ドイツへまい進する機運の中で、ワーグナーの楽劇「マイスタージンガー」とともに統一ドイツの象徴とばかりに大衆に受け入れられた。

はたして「ドイツレクイエム」と「ドイツ国歌」の冒頭の類似は偶然以上の何かがあるのか。「ドイツ国歌」の旋律は1797年ハイドンによってオーストリアに奉られたものだ。テキストはファーラースレーベンで、1848年ドイツ三月革命の折に「ドイツの歌」として普及が進んだ。ブラームスは15歳だから、当然その経緯と旋律を知っていた。

似ているのは冒頭の音4個の進行だけだ。そりゃあ異論も山ほどあろう。

  1. 「ドイツ国歌」は移動ドで「ドーレミーレー」なのに対し、「ドイツレクイエム」は「ソーラシーラー」だ。
  2. 「ドイツ国歌」は弱起だ。「ドーレミーレー」のうちの「ミ」が小節の頭にくるのに対し「ドイツレクイエム」は冒頭の「ソ」が小節の頭だ。

理屈では分かっているのだが、どうも釈然としない。レクイエムは冒頭以降でも「ソーラシーラー」が音の高さを変えながら、エコーのように何度も強調される。「ドイツレクイエム」冒頭に「ドイツ国歌」がエコーのように繰り返されても何ら不都合はないと思っている。

2016年3月23日 (水)

作曲家ムゼウム

ドイツ国内にある作曲家たちのムゼウムを一覧化する。

  • Augsburg モーツアルトハウス
  • Bad Kostritz ハインリッヒ・シュッツハウス
  • Bayreuth ワーグナームゼウムとリストムゼウム
  • Bonn ベートーヴェンハウスとシューマンムゼウム
  • Dessau クルト・ヴァイルハウス
  • Dresden ウェーバームゼウム
  • Eisenah バッハハウス
  • Garmisch-Partenkirchen Rシュトラウス協会
  • Graupa ワーグナームゼウム
  • Halle ヘンデルムゼウム
  • Hamburg ブラームスムゼウム
  • Heide ブラームスハウス
  • Kassel ルイ・シュポーアアカデミー
  • Kothen バッハ記念館
  • Leipzig バッハムゼウム、グリーク記念館、メンデルスゾーンハウス、シューマンハウス
  • Lubeck ブラームスムゼウム
  • Meiningen レーガーアルヒーフ
  • Weinstatt-schnait ジルヒャームゼウム
  • Weissenfels ハインリヒシュッツハウス
  • Zwickau シューマンハウス

所在地名をキーにアルファベット順に並べた。見ての通り、ライプチヒには著名作曲家のムゼウムが集中する。ライプチヒを訪問する予定のある方はご記憶を。

2016年3月22日 (火)

卒部優先

昨日、次女の後輩たち38代を盛大に送り出す卒部式があった。次女が部活現役引退をしたスペシャルコンサートのラストで、新一年生を交えてラデツキー行進曲を演奏した。その時の一年生だった子たちの卒部ということで、ひときわ感慨深い。

巣立つ生徒たちは既に学校の卒業式を終えている。そこでは後輩たちがBGMを披露した。後輩の奏でるマイスタージンガーやアダージェットで送り出された。世界最高のオケが学内にあるという幸運を満喫したはずなのに、この卒部にはかなわない。

次女たち36代も同じだが、偶数代の卒部は後輩たちのドイツ公演を目前に控えた時期になる。現役たちはドイツ準備に大忙しの中、先輩たちに花道を用意する。ドイツの直前というシチュエーションが独特の空気を形成する。送り出される生徒たちは、後輩の用意した花道を歩む。メモリアルの演奏もある。顧問特製のサプライズDVDの映写もある。送る方も送られる方も涙にくれる。もちろん親も教師もだ。そしてドイツ公演の経験者でもある卒部生から、ドイツへの熱いエールが発信された。

2016年3月21日 (月)

カントルの職務

1879年ライプチヒ・トマス教会は、ヨハネス・ブラームスに対しカントルへの就任を打診する。「トマスカントル」と通称されるこの職務は、誤解を恐れずにう~んと易しく申せば教会付属音楽学校の校長でもあり、ライプチヒの教会音楽の総責任者という側面もある。

トマスカントルと言えばバッハがその後半生を捧げたことで名高い由緒ある地位だが熟考の末ブラームスはこれを辞退した。

トマスカントルの職務をもっと詳しく調べる。バッハの伝記には詳しく書かれていることが多い。1723年に就任したバッハからざっと150年経過していることに目を瞑ればおおよその目安にはなると思われる。

  1. 年間59日ある祝日に市内の主要4教会に対して、教会音楽を供給すること。
  2. トマス学校の寄宿生の監督教育。
  3. 葬儀、婚姻等に関わるミサへの出演。

気にかかるのは上記1番だ。バッハは就任から最初の2年間、全ての祝日用に自作のカンタータを用意した。まさにその研究が、バッハのカンタータ研究の礎になっている。何故ならカンタータの初演日は当時の教会暦上の祝日と完全に一致するからだ。その祝日の分布は1年の間に満遍なく分布している。大雑把に申して毎週だ。春夏秋冬ほぼ一定のペースで教会の祝日がやってくる。

もしブラームスがトマスカントルを引き受けたら、夏に避暑地へ赴くことは出来なくなる。壮年期以降ほぼ5月から9月までに及ぶ避暑地での滞在が、多くの傑作を生んだこと周知の事実だ。そうして生み出された作品が秋から始まる演奏会シーズンで次々にと演奏されるというルーチンが出来上がっていた。トマスカントルの職務と壮年期以降のブラームスの生活パターンは真っ向から対立すると考えてよい。

辞退の理由をこのあたりに求めてみたい。

本日はバッハのお誕生日だ。

2016年3月20日 (日)

バイトの打ち上げ

本日の勤務をもって長女のバイトが終わる。高校3年の2月から続いたバイトだった。販売系の接客、早い話がパン屋の店員。レジ打ち、品出しもするし、清掃もある。店番だ。初めてのバイトだったこともあり、価格や商品知識の習得など苦労していた。

周囲には、いろいろな人々がいる。お客様はもちろんとして、社員さん、フリーター、学生、主婦などのスタッフに囲まれ恐る恐る始まったのだが、3ヶ月もたたぬうちにレジ締めを任され、打ち解けていった。今思うと適職。笑顔できびきびと切り盛りするのはキャラ的にあっていた。人が好きな性格もプラスに働いた。就活を見ていてもバイト先での経験が自信になっていた様子は明らかだった。

何よりも、初バイトが4年間続いたという事実をポジティブに受け止めている。帰宅が遅くなることもあったが、駅への送り迎えの車内がよいコミュニケーションの場になっていた。

既にバイト先の仲間から盛大な送別会で送られていたが、今日が最後の勤務。

社会人になる準備が着々と進んでいる感じ。

2016年3月19日 (土)

アダージェット考

「Adagietto」と綴る。「ブラームスの辞書」には収録されていない。つまりブラームスは作品中で「Adagietto」を用いていない。

意味を考える。語幹はイタリア語「Adagio」だ。形容詞あるいは副詞か。「ゆっくりと」を意味するメジャーな単語である。あくまでも「遅い」側の意味だ。

問題は縮小辞「etto」が付与されていることだ。イタリア語特有の言い回し。たとえば「Spago」は「紐」を意味する。これに縮小語尾「etto」が付くと「Spagetto」だ。スパゲッティはこの複数形である。

「意味の縮小」とは、語幹に据えられた単語の意味を弱めることだ。「Adagio」+「etto」となれば、「Adagio」(ゆっくり)の意味を弱めることに他ならない。「ゆっくり」の度合いを弱めるのだから、「Adagietto」は「Adagio」より速いことになる。

さて困った。マーラー作曲の交響曲第5番第4楽章「Adagietto」の冒頭にはドイツ語で「Sehr Langsam」と書かれている。「非常にゆっくりと」だ。縮小語尾により「ゆっくりと」の意味が弱められているはずなのに、ドイツ語では「Sehr」(非常に)がついて意味を強めている。

「Adagio」の意味の再考を迫られる。「ゆっくりと」というテンポ規定機能という解釈では限界が露呈する。「Adagio」を名詞と考えるのだ。「ゆっくりな楽章」つまり「緩徐楽章」を意味する名詞機能を想定したい。「小さな緩徐楽章」の意味だ。

マーラーの標準的な緩徐楽章より、小さな編成、短い演奏時間だ。

5番に先行する4つの交響曲の緩徐楽章の演奏時間を比べると、5番が極端に短いわけではない。ハープと弦楽5部という編成の小ささと合わせて「ちいさな緩徐楽章」と位置付けたい。

今一つの解釈は「縮小語尾」を付与することによって、親愛の情を表すことがある。第5交響曲の第4楽章が妻アルマの音楽的肖像であるとする解釈を肯定すれば、縮小語尾によって親愛の情を込めたという解釈も捨てがたい。

2016年3月18日 (金)

馬鹿じゃないの

「ブラームスの辞書」を見た私の友人が、しばしば口にする言葉。親しい奴が発するほど「誉め言葉」の意味を色濃く帯びる。関西系の友人の場合「アホちゃうか」に変換される。

著書もブログもなかなか時間が要る。「いい歳をした大人のクセによくヒマがあるよな」という言葉を柱に、「昔と何も変わらないネ」の意味の「成長しないヤツだ」が添えられることが多い。

「これホントに全部書いたのかよ」という反応も嬉しいものである。「書かれてみれば、そうかもって気がする」というのもあった。昔からこういうおバカなことが好きだったということなのだ。

学生時代所属していたオーケストラでも、この手のおバカなことよく考えたりやらかしたりしていた。古くからの友人は、慣れてしまっていて「またか」くらにしか思わない。何事も徹底するのが性分である。もちろん治癒の望みは無い。

2016年3月17日 (木)

読書のためのスコア

iPodにブラームス作品を全部取り込んでいつも持ち歩いている一方で、作品の楽譜も持ち歩きの対象になっている。大判の楽譜ではなくてポケットスコアであることが多い。通勤電車の中など音楽を聴かずにただ、楽譜を眺めていることも多い。お気に入りの文庫本と同じ位置付けだ。文字通り「スコアを読む」のだ。

ソナタ作品であれば第一楽章から通して眺めてみる。提示部、展開部、再現部の順に頭の中で音を鳴らす。大規模な管弦楽曲はもちろんだが、二重奏程度の室内楽でも、かなり頻繁に新しい発見がある。同一の旋律が楽器の組み合わせを変えて提示されたり、音高さやアーティキュレーションに微妙な変化がつけてあったりと退屈しない。頻繁に隠蔽される再現部の冒頭付近は、とりわけ興味深い。

聴き込んだ作品の楽譜が意外にうろ覚えだったりということは珍しくない。ブラームスにおいては、音楽の聞こえと譜面の落差に意外性が宿っていることが多いから、楽譜を読むだけで楽しいのだ。

そしてそれらが全てブログ「ブラームスの辞書」の記事のネタ探しにもなっている。音を出さずに読めるから、周囲に迷惑もかからない。

2016年3月16日 (水)

鬼に金棒

元々手強い人がさらに手強くなること。

耳が良くて、見識があって、腕の立つ演奏家が、作品や作曲家についての知識を持ったら「鬼に金棒」なのだと思う。知識を持っていなかったとしても、立派な演奏が出来る人が、知識を持つことでさらに演奏の幅が広がることは間違いない。持っていない場合には、持っていないなりの演奏しか出来ないが、持っていればそれを演奏に反映させることも出来るし、知識を意図的に無視することも出来る。つまり選択の幅が広がる。知識の量が少ない場合には、大したことはないが、数千の知識にでもなればバカに出来まい。

私が「ブラームスの辞書」で積み重ねているネタは、そうした人たちの「金棒」になりはせぬかと思っている。達者な演奏家に持ってもらえば「金棒」になる知識も、私が持っているだけでは「持ち腐れ」が関の山だ。だから私は「ブラームスの辞書」を書いた。放置すれば持ち腐れてしまう知識の数々を、「鬼の金棒」にするために自費出版をした。

2016年3月15日 (火)

ご加護の催促

次女の後輩たちのドイツ公演を控えて、安全祈願に出かけた。行き先は千葉県習志野市の習志野霊園。1914年第一次世界大戦勃発とともに日英同盟を根拠にドイツに参戦した日本は、中国・青島にあったドイツ要塞を攻略した。抵抗むなしく陥落し、数千名が捕虜となって、日本国内の数か所に分かれて収容された。そのうちの一か所が千葉県の習志野市にあった。千葉県に根を下ろしたオーケストラの伝統や、ビールやソーセージ製造のルーツをこのあたりに求める説もある。

捕虜の扱いは人道的であったと聞いている。しかし、帰国が決定するという時期になって、スペイン風邪の流行によりおよそ30名が落命した。習志野霊園には彼らの慰霊碑があり、毎年11月にはドイツ大使館からも数名の参加のもと、慰霊祭が開かれる。

次女の後輩たちは、昨年11月の慰霊祭に列席し、花を手向けドイツ国歌を演奏した。ドイツ公演を前に気持ちを高めてゆく手順の一環だ。ドイツを好きになることで演奏に心がこめられるからだ。効果のほどは劇的だった。将兵一人一人の名前と階級が読み挙げれて厳粛な雰囲気が充満する中、乙女らのドイツ国歌が心に響いたという声が寄せられたと聞く。大使館関係者のあたりと凛と引き締める敬礼、遠い日本で亡くなった同胞への尽きせぬ思いの深さに心揺さぶられるものがある。

だからというわけではないのだが、13日の日曜日に同慰霊碑を訪問し、花を手向けて子供たちのドイツ公演のためにご加護をと祈った。

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2016年3月14日 (月)

一年が早い

歳をとったせいかと思う。このところどうも時間が経つのが早い。

ピンポイント記事が同じ日に2本発生して、片方をやむなく1年後に回すことも多い。元々1年後のその日に公開予定になっていた記事と差し替える。かくしてその記事は哀れ公開を1年先送りされるというわけだ。

ところが、その先送りされた記事の公開日があっという間に来てしまう感覚だ。つまり1年経つのが早いということだ。

子供のころ1年はもっと長かった。おもちゃをねだって「今度のお誕生日ね」と言われて3ヶ月先だったりすると落ち込んだものだ。

2033年なんか、案外すぐかもしれない。

2016年3月13日 (日)

ブラームス好きにはたまらん

物やサービスの情報が、広告媒体を通さずに人から人へと伝わって行くことを「口コミ」と呼んでいる。一度体験したユーザーが、「これはいい」と感じた場合、他の誰かにオススメするという行動に出る。自分だけのために内緒にしておく層と、誰かに言わずにはいられないという層とが混在するのだとは思うが、直感では誰かに言いたい人の方が多いのだと思う。

口コミの送り手と受け手の仲が緊密であるほど効果は高い。親子、兄弟姉妹、親友、師弟などの関係なら磐石だ。昨今猛威を振るうネット検索は、手軽さでは相当なものだが、その一方で情報量が多過ぎてかえって混乱を招く場合もある。賢い人たちはネット検索と口コミを併用していると思われる。

「ブラームスの辞書」の生命線はこの細々としたブログと口コミだ。「ブラームスの辞書」が口コミに乗ってジワジワ広がって行くことをいつも念じている。そのとき口コミの送り手が「ブラームス好きにはたまらんぜ」くらいのメッセージを発してくれるようなブログになることが理想である。「ブラームス好きには」の部分、「他の作曲家については、からきしだが、ブラームスについてはお墨付き」くらいなニュアンスがこもることが大切だ。

騙されたつもりでブログ「ブラームスの辞書」にアクセスした訪問者が、その次の瞬間口コミの送り手になってしまうような記事を積み重ねたい。

2016年3月12日 (土)

気合の入ったブログ

ブログ「ブラームスの辞書」が何とか続いているせいで、これについての感想をいただくこともある。「気合の入ったブログですね」「よく毎日ネタがありますね」「相当お好きなんですね」というのが代表的だ。概ね好意的なニュアンスが込められている。私の意見に異議のある人たちは、むしろ沈黙していることが多いのだと思う。みんな大人の対応をしてくれているのだと肝に銘じねばならない。

それだけに、わざわざ好意的なメッセージをよこしていただけることはありがたい。

そりゃあ毎日ネタありますよ。好きですから。好きになるってこういうことだと思う。ネタ切れの心配なんかブログ立ち上げ以来したことがない。好きな人がいれば毎日その人のこと考えているのと根っこは同じだ。書いても書いても書くことがある。ふられるリスクが無いだけ恋愛よりは数段ましだ。いつも最悪のシナリオが念頭にあって、おっかなビックリの恋愛よりは迷いが無い。

私がブラームスを大好きだということがブログから伝わればそれでいい。何だかこのところ「ブラームスの辞書」の宣伝ということを忘れがちである

気合をいれている実感はない。これが私の普通である。

2016年3月11日 (金)

あれから5年

東日本大震災から今日で5年。

2016年3月10日 (木)

足下を見る

相手の弱味を突いた駆け引きをすることだ。交渉を有利に導く常套手段でさえある。

ところが我々小市民は悲しいことに「足下を見られる」という具合に受け身形で用いることが多い。何かと世知辛いのだ。

弱小自費出版本「ブラームスの辞書」が、世間様に打って出ようと思えば、大なり小なり「足下を見られる」ことになる。大部数を印刷してしまって、巨大な在庫プレッシャーがかかると、それに拍車がかかる。訳のわからぬ商品を売りに走れば足下を見られるのだ。

値引きは要求されるは、送料負担や銀行の振り込み手数料こちら持ちも当たり前になる。返品さえも当然のごとく発生する。一定の比率で代金回収不能のケースも現れよう。

そういう意味で、「ブラームスの辞書」の印刷部数300は絶妙だと言わざるを得ない。在庫プレッシャーが全くかからない。それどころか私が生きているうちに品切れになるのは寂しいとさえ思っているくらいだ。この先知り合うことになる音楽系の知り合いに名刺代わりに配るという用法が、販売以上に大切と感じている。

それでも100人の方にお求めいただいた幸福を味わっている。

2016年3月 9日 (水)

お客様100人

「ブラームスの辞書」をお金を出して買ってくれた人が、100人に達した。

お世話になった方々に無料で配ったものとは別に、ブログ経由で購入のオファーをいただき、条件提示ののち代金引き換えに「ブラームスの辞書」をお求め下さった方が100名に達したということ。一人で複数冊購入いただいた方もいる。

2005年7月11日の刊行から10年8か月で顧客100名に到達した。今年1月に99名に達しリーチがかかっていたものの、あえて言及を避けていたが、本日100名到達をもってひとはしゃぎする。

素人の自費出版ということや、告知媒体がこのブログだけということを考えると驚異的な売れ行きだ。

2016年3月 8日 (火)

タイトリング

ブログの記事はまもなく4000本に届く。ということはつまり、4000ものタイトルを考えたということだ。「のだめの中のブラームス」や「献本行脚」は複数存在するが、それでも相当な数だ。

記事のネタを思いつく、「マクラ」や「オチ」を含む流れを考える。直前に公開した記事や直後に公開予定の記事とのつながり、類似ネタ記事との時間的へだたりおよびそれらへの言及の仕方などなど考慮すべき事項は多い。それらと同等に重要なのが「タイトル」を考えることだ。タイトルは記事の流れの一環であると断言出来る。

新聞で言えば「見出し」だし、広告で言えば「キャッチコピー」だ。類型的なタイトルを避け出来るだけ多彩なタイトルにすることは、検索エンジンへの反応という面からも効果的だ。

およそブラームスと関係があるとも思えない突飛なタイトルを掲げて、ブラームスとの意外な関係を浮かび上がらせることは醍醐味の一つである。タイトルの意外性も記事のオチを形作る重要なファクターということになる。「マイケル・ジョーダン」「伊能忠敬」「源実朝」などはこの典型だ。

元々ブログのコンセプトが「サラリーマンの日常の描写」ではない。ブラームスという巨木に徹底的によりかかるという非日常性が売りだ。だからこそタイトルにもそこそこの個性を盛り込むべきと考える。その意味ではブログと本に共通する「ブラームスの辞書」というタイトルも思案の賜物である。ナポレオンの「よの辞書に云々」の言い伝えを半ば冷やかし、半ば真面目に受け止めたものだ。実は気に入っている。

常連の人々に「また始まったか」と思われることは本望である。タイトルと本文のこじつけの無理矢理振りも内容の内だ。

2016年3月 7日 (月)

ノリ

糊や海苔ではない。無理やり漢字で表せば「乗り」なのだと思うが自信が無い。物事に対する考え方や姿勢の意味だ。「ノリが良い」とか「ノリが悪い」とか言われる。使われ方から類推して、よりパーソナル、よりアクティブな感じがする。

仕事に対しては用いられないと思う。仕事はノリの良し悪しではない。やっぱり趣味において使われる方がしっくりとなじむ。かといってよくある沈思黙考をノリでは表せない。よりアクティブと申したのはこのことだ。

もっとも大切なこと。ブログ「ブラームスの辞書」のノリは皆様の目にはどう映っているのだろう。古くからの読者は慣れてしまったかもしれない。

どう思われていても記事の継続には影響がないが、内容にはかすかに影響してしまう可能性を否定できない。

もちろん「ノリが良い」と思われたい。

2016年3月 6日 (日)

鵜呑み

取得した情報を、確認無しに正しいと思いこむこと。

誰が見ても好ましくないことと思うが、意外に頻繁に起こっているものだ。

昨今のネット社会、情報の量という面では、従来とは比べものにならないレベルになる。しかも情報の取得にかかる時間は、一瞬でさえある。得られる情報の量や、それに費やす手間よりも、得られた情報の取捨の方が数段重要になってきていると感じる。まさにその取捨の際、情報の信頼度が肝になると思う。

得られる情報が増えれば増えるほど、そこに含まれるノイズも増えてしまう。ノイズ1つに引っ張られて判断を誤ることも起きてくる。

我がブログは素人の駄文の堆積だ。鵜呑みされることが無いように祈るばかりだ。「このオッサン、何いうてんのやろ」というくらいの角度がちょうど良い。

鵜呑みされてもいいように記事の精度を上げて行きたい。

2016年3月 5日 (土)

仕込みにかかる時間

ブログの記事1本を完成させるためにかかる時間の話だ。

まずはネタを思いつくところからだ。ネタを思いつくのは一瞬のことだ。ふとしたはずみで思いつく。思いつくと同時に大抵は文章の流れも閃いている。タイトルや決めゼリフは少し遅れて思いつくこともある。この段階でネタ帳に記入して忘れないようにする。

必要に応じてデータの裏付けを取る。実際の楽譜を確認することが第一だ。次に文献をあたって裏付けを取る。文献を当たるにはもう一つの意味がある。既に同じようなことがどこかで書かれていないかである。書かれていなければ嬉しいし、書かれていれば出典を明示するためにもこの確認は欠かせない。場合によってはエクセルの力を借りる。ブラダスデータを加工して目的のデータを揃えることもある。実はこの段階つまり「仕込み」が一番重要だ。書籍「ブラームスの辞書」でも先にブラダスという基礎データを揃えた。執筆はその後に一気に進めた。何事も仕込みが大切だ。ここまで来れば後は記事にするだけだ。

元日をはじめとする節目に発信される大型イベント記事でも、執筆前にエクセルによる元データを仕上げるので、執筆そのものは30分以内だ。大型イベント記事以外の通常記事ならば10分もかかるまい。書き上がった後の校正は別途行うが、初稿の執筆にはあまり時間をかけない。初稿の執筆の段階でウジウジと時間がかかる記事は、ロクな記事にならないことが多い。

2016年3月 4日 (金)

ppm

ご承知とは思うが念のためお断りしておきたいことがある。「何を今更」に類する話でもある。

ブログ「ブラームスの辞書」は、愛するブラームスのネタ、家族のネタ、ヴィオラのネタが話題の3本柱だ。ブラームス関連ネタとヴィオラネタが何の断りもなく雑魚寝していると、読者が勘違いしかねない。ヴィオラは、学生時代から趣味で始めたもので、腕前は論外のレベルだ。ブラームス関連記事でこねている屁理屈の水準から見れば100万分の1つまりppmのオーダーである。家族以外の人間に聴かせられるレベルではない。家族は諦めている。慣れていると解するのは楽観が過ぎよう。

ブログとは怖い物で、私が出す音をブログに貼り付けられないのをいいことに、いっぱしの記事をヴィオラネタとして発信している。音楽において演奏能力と論評の水準との間に全く相関関係がないという格好の証明になっている。

2016年3月 3日 (木)

ブログじゃ無理

日記帳にペンで書く本物の日記とブログの大きな違いは、他人様に見られるかどうかだ。本物の日記はほぼ誰にも読まれないことが前提だが、ブログは逆に読まれることが前提になる。こうした前提の違いは、実はかなり決定的だ。

他人様に見られる前提ということを少し過激に読み砕くと、「誰に見られているかわからない」という点に簡単にたどりつく。さらにネットの訴求力拡散力たるや大抵は管理人の想定を超えているものだ。軽く見ると大変なことになる。

だからブログじゃ書けないことがたくさんある。ブロガーは皆知っている。ネタ、言葉遣い、タイミングに微妙な不文律があると考えておかねばならない。ブログを長く続けようと思えば尚更である。さらに当「ブラームスの辞書」は本の宣伝が目的という建前があるから、ブログで語り過ぎて売上に差し障ってはいけないと、議論を塗り残すよう心がけてきたが、どうも最近は徹底されていない。

我ながらスゴイと思うのは、こうした「ブログじゃ無理」な記事を取り上げることなく、それでも記事が4000本に届こうとしていることだ。

2016年3月 2日 (水)

内緒のコレクション

古くからのコアな読者にとっては自明のことだが、私には収集癖、記録癖がある。統計癖もだ。それらの結晶が「ブラームスの辞書」だと思っていい。

世の中のネット上に散在する「ブラームスの辞書」への言及記事を集めている。ネット上をうろついていて、「ブラームスの辞書」に言及した記事を発見した時、お気に入りに登録している。書籍かブログかどちらかに言及していれば収集の対象にしている。刊行から10年、随分たまってきた。

本当はブログ「ブラームスの辞書」上でリンク集として発表したいくらい嬉しいのだが、じっと我慢している。それらの記事のサイト運営者へのお伺いも必要になるし、リンク後にサイトが消滅することもあるから細かいケアも発生してしまう。何よりも「お情け頂戴系」の自己満足に堕落しかねない。

ブラームスは、自作が公開の場で誉められることを、歓迎しなかった。もちろん親しい知人からの称賛を心から喜んだが、それがオープンになることを必ずしも喜ばなかった。つっけんどんな反応か、皮肉なコメントで話の腰を折ったという。

真似できる所は真似したいと思う。

私だけの内緒のリンク集のままで、一人で鼻の下を伸ばしていよう。

2016年3月 1日 (火)

RSSリーダー

ネット用語の一つ。ネット上の新着情報を効率的に収集するソフトとでも申せばいいのだろうか。

ネット社会の進歩とともにネット上に存在する情報がふくれあがってきた。悪く言えば玉石混淆だ。膨大な情報から自分にとって有用な情報を手早く収集するニーズはますます大きくなる。目的のサイトを「お気に入り」に登録している程度ではチェックが追いつかない程だ。

その手助けになるのが「RSSリーダー」だということになる。お気に入りのサイトではあってもせっかく訪問したのに新しい記事がアップされていなかったという経験は誰にもあると思う。その場合のがっかりと時間の無駄を避けるツールだ。

私のブログ「ブラームスの辞書」は、毎日更新が売りだ。更新のタイミングも決まっている。午前5時7分以降に訪問いただければ無駄足ということはない。「RSSリーダーいらず」のブログのつもりである。肝心の内容でソッポを向かれることが無いようにがんばりたい。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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