カントルの職務
1879年ライプチヒ・トマス教会は、ヨハネス・ブラームスに対しカントルへの就任を打診する。「トマスカントル」と通称されるこの職務は、誤解を恐れずにう~んと易しく申せば教会付属音楽学校の校長でもあり、ライプチヒの教会音楽の総責任者という側面もある。
トマスカントルと言えばバッハがその後半生を捧げたことで名高い由緒ある地位だが熟考の末ブラームスはこれを辞退した。
トマスカントルの職務をもっと詳しく調べる。バッハの伝記には詳しく書かれていることが多い。1723年に就任したバッハからざっと150年経過していることに目を瞑ればおおよその目安にはなると思われる。
- 年間59日ある祝日に市内の主要4教会に対して、教会音楽を供給すること。
- トマス学校の寄宿生の監督教育。
- 葬儀、婚姻等に関わるミサへの出演。
気にかかるのは上記1番だ。バッハは就任から最初の2年間、全ての祝日用に自作のカンタータを用意した。まさにその研究が、バッハのカンタータ研究の礎になっている。何故ならカンタータの初演日は当時の教会暦上の祝日と完全に一致するからだ。その祝日の分布は1年の間に満遍なく分布している。大雑把に申して毎週だ。春夏秋冬ほぼ一定のペースで教会の祝日がやってくる。
もしブラームスがトマスカントルを引き受けたら、夏に避暑地へ赴くことは出来なくなる。壮年期以降ほぼ5月から9月までに及ぶ避暑地での滞在が、多くの傑作を生んだこと周知の事実だ。そうして生み出された作品が秋から始まる演奏会シーズンで次々にと演奏されるというルーチンが出来上がっていた。トマスカントルの職務と壮年期以降のブラームスの生活パターンは真っ向から対立すると考えてよい。
辞退の理由をこのあたりに求めてみたい。
本日はバッハのお誕生日だ。
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