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2016年3月31日 (木)

ハンス・ミリエス

ハンス・ミリエス(Hans Millies1883-1957)は、ヴァイオリニスト、指揮者、作曲家の肩書きを持つ音楽家。ベルリン高等音楽院に学んだというだけでもありがたいのに、ヴァィオリンをヨアヒムに師事したとあっては、そのご利益たるや半端ではない。

1910年、彼は上海租借地のオーケストラにコンサートマスター兼副指揮者として招かれる。1914年には第一次大戦の勃発とともに青島に出征するがそこで、租界オケの仲間4人とともに捕虜になってしまい日本にやってくる。やってきた先は千葉県習志野市にあった捕虜収容所だ。仲間は散り散りになるが、徳島坂東に送られた2人が第9交響曲日本初演に携わることになる。

おそらく1000名程度の捕虜が1919年まで収容されていた習志野で彼は弦楽四重奏団を組織し、やがてオーケストラも出来上がる。習志野捕虜オーケストラの指揮者あるいはコンマスとして運営を取り仕切った。確認されているだけでの10回くらいは演奏会を開いている。

このオケがブラームスを取り上げた事実がなかなか確認できないが、ヨアヒムの直弟子が指揮者だったというだけで満足した気になっている。

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コメント

これはこれは、貴重な情報ありがとうございます。

ハンガリア舞曲もブラームスにはかわりありません。

残念ながら習志野の収容所演奏会では、“大衆名曲”ハンガリア舞曲5番・6番が、1918.11.17の第2回コンサートで演奏され、1919.10.01の第2回芸術家コンサートで再演されていることしか確認できていません。もちろんすべての演奏記録が発見されているわけではありませんから、習志野ではブラームスをやらなかった、と決めつけることもできませんが…。
なお、ミリエスは習志野で、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏していますが、そのカデンツァはもちろん「ヨアヒム版」となっています。
それにしても、100年前の習志野の空に、こういう音楽が響いていたかと思うと愉快ですね。

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