アダージェット考
「Adagietto」と綴る。「ブラームスの辞書」には収録されていない。つまりブラームスは作品中で「Adagietto」を用いていない。
意味を考える。語幹はイタリア語「Adagio」だ。形容詞あるいは副詞か。「ゆっくりと」を意味するメジャーな単語である。あくまでも「遅い」側の意味だ。
問題は縮小辞「etto」が付与されていることだ。イタリア語特有の言い回し。たとえば「Spago」は「紐」を意味する。これに縮小語尾「etto」が付くと「Spagetto」だ。スパゲッティはこの複数形である。
「意味の縮小」とは、語幹に据えられた単語の意味を弱めることだ。「Adagio」+「etto」となれば、「Adagio」(ゆっくり)の意味を弱めることに他ならない。「ゆっくり」の度合いを弱めるのだから、「Adagietto」は「Adagio」より速いことになる。
さて困った。マーラー作曲の交響曲第5番第4楽章「Adagietto」の冒頭にはドイツ語で「Sehr Langsam」と書かれている。「非常にゆっくりと」だ。縮小語尾により「ゆっくりと」の意味が弱められているはずなのに、ドイツ語では「Sehr」(非常に)がついて意味を強めている。
「Adagio」の意味の再考を迫られる。「ゆっくりと」というテンポ規定機能という解釈では限界が露呈する。「Adagio」を名詞と考えるのだ。「ゆっくりな楽章」つまり「緩徐楽章」を意味する名詞機能を想定したい。「小さな緩徐楽章」の意味だ。
マーラーの標準的な緩徐楽章より、小さな編成、短い演奏時間だ。
5番に先行する4つの交響曲の緩徐楽章の演奏時間を比べると、5番が極端に短いわけではない。ハープと弦楽5部という編成の小ささと合わせて「ちいさな緩徐楽章」と位置付けたい。
今一つの解釈は「縮小語尾」を付与することによって、親愛の情を表すことがある。第5交響曲の第4楽章が妻アルマの音楽的肖像であるとする解釈を肯定すれば、縮小語尾によって親愛の情を込めたという解釈も捨てがたい。
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