足下を見る
相手の弱味を突いた駆け引きをすることだ。交渉を有利に導く常套手段でさえある。
ところが我々小市民は悲しいことに「足下を見られる」という具合に受け身形で用いることが多い。何かと世知辛いのだ。
弱小自費出版本「ブラームスの辞書」が、世間様に打って出ようと思えば、大なり小なり「足下を見られる」ことになる。大部数を印刷してしまって、巨大な在庫プレッシャーがかかると、それに拍車がかかる。訳のわからぬ商品を売りに走れば足下を見られるのだ。
値引きは要求されるは、送料負担や銀行の振り込み手数料こちら持ちも当たり前になる。返品さえも当然のごとく発生する。一定の比率で代金回収不能のケースも現れよう。
そういう意味で、「ブラームスの辞書」の印刷部数300は絶妙だと言わざるを得ない。在庫プレッシャーが全くかからない。それどころか私が生きているうちに品切れになるのは寂しいとさえ思っているくらいだ。この先知り合うことになる音楽系の知り合いに名刺代わりに配るという用法が、販売以上に大切と感じている。
それでも100人の方にお求めいただいた幸福を味わっている。
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