ラッパ信号規定
ブラームスに限らず伝記作者の一番の資料は手紙や日記である。本人直筆であれば尚更価値が高い。ブラームスは家族や友人との情報交換のほかに、出版や演奏に関するこまごまとした打ち合わせを手紙で行った。後世の研究家にとってこれが宝のヤマである。あまり語られないことだが、当時の欧州の郵便の充実には目を見張るものがある。
道路事情や治安の向上により、郵便の信頼性は見違えるばかりになる。駅伝式のリレーによって、急行便なるものも生まれスピーディーな対応も可能になる。19世紀はそういう時代だった。郵便馬車が交換駅に近づくと、それを遠方から伝えるためのラッパが吹かれる。次の馬車を予め用意してもらうためだ。そうした場合の合図の音形が法律で定められるところがいかにもドイツっぽい。1828年プロイセンではじめて「ラッパ信号規定」が制定された。目的別に12種類の音形が決められた。プロイセン近隣の諸邦にまたたくまに広まった。1839年のバイエルンの規定音形を作曲したのがRシュトラウスの父だとされている。
つまりこれがポストホルンだ。
プロイセンの12のうち6つがドイツ帝国に引き継がれて20世紀まで存続した。
- 騎馬便の出発と到着
- 急行便の出発と到着
- 特急便の出発と到着
- 至急便の出発と到着
- 駅逓馬車の出発と到着
- 緊急信号
一説によれば、ベートーヴェンはカールスバートで聞いたラッパ信号を交響曲第8番の第3楽章に取り入れたという。
スペシャルコンサート まであと16日。
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