ドイツの吹奏楽
以前、大学祝典序曲の金管アンサンブル版があると書いた。ブラームスが知ったらさぞかし驚いたことだろう。しかし、意外とブラームスは平然と受け流すような気もしてきた。
ドイツ帝国とその前身のプロイセンは名だたる軍楽王国だった。軍楽隊に弦楽器は入っていないから管楽器のアンサンブルだ。そして曲種は当然行進曲である。ドイツには古来軍隊行進曲の伝統に根ざした作品の蓄積があったと見るべきだ。
グルック、ベートーヴェン、ヨーゼフとミヒャエルのハイドン兄弟、ヨハン・クリスチャン・バッハ、ウェーバー、R・シュトラウス、レハール、ズッペなどなどだ。ここにブラームスが入って来ないのが不思議なくらいである。だからブラームスはジャンルとしての吹奏楽を知っていた。現代日本で隆盛を誇るいわゆるブラバンと、完全に一致する概念ではあり得ないが、やはりこれは吹奏楽と名付けられるものだと感じる。
プロイセン王フリードリヒ・ウイルヘルム3世は、音楽好きだった。ベートーヴェンが第9交響曲を献呈したことでも知られている。さらに凄いのは、1817年国内に流布するマーチを収集整理の上印刷するという国家事業に乗り出した。早い話が軍隊行進曲の番号付けだ。AM番号といわれる発番体系がこれでArmeemarscheの略だ。この付番は1871年のドイツ帝国成立後も続き1933年にHM(Heeresmarsche陸軍行進曲)にとって変わられるまで518番を数えたらしい。これがさらに曲想によって3分類されていたというから驚きだ。小学校で習ったタイケ作の「旧友」はHMⅡ150だ。
いやはや何ともドイツらしい。
クラシック音楽の本丸ドイツには、一方で吹奏楽の深い伝統も並存していたことは間違いない。ブラームスはプロイセン大好きだったから、ビスマルクあたりから頼まれれば行進曲の1曲や2曲喜んで書いたものと思われる。
スペシャルコンサート まであと27日。
コメント