分身
演奏家にとって楽器は分身。私だってそうだ。
1981年夏、大学4年だった私は現役最後の演奏会のために楽器を購入した。それまでは2年生になるときにかったチェコ製の楽器だった。その楽器を下取りに出した上に、バイトで貯めたお金をはたいて1979年製のヴィオラを買い求めた。その後長男の生まれる直前1992年に今愛用の楽器を買った。このときは下取りに出さずに持っていた。
その楽器で臨んだ演奏会は、私の大学オケ最後の演奏会で、亡き妻の大学オケデビューだった。メインプログラムはマーラーの第五交響曲で、アンコールに演奏されたのが、その第4楽章のアダージェットだった。
我が家でひっそりと置かれるばかりだった楽器を、次女の後輩たちのオケに予備楽器としてお貸ししていた。だから今回のドイツ公演に帯同させてもらえた。彼女たちが演奏中、ヴィオラプレイヤーたちの楽器にもしものことがあったとき、出番が回ってくる。最後尾のヴィオラ奏者の脇、ほとんどコントラバス奏者のつま先の位置に演奏中ずっと置かれた。
ドイツに同行できない私の代わりに分身が乙女たちと行動をともにした。あろうことか聴衆の面前、子ども達が演奏を披露するその同じ舞台にいることが出来た。凄いことだ。
まだ統一前の西ドイツ製だったから、今回次女たちの後輩ともにドイツに渡ったことにより、37年振りの里帰りが実現したことになる。
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