最後のページ
「真実なる女性 クララ・シューマン」という書物がある。クララ・シューマンの伝記の老舗だ。我が家にあるのは1980年出版の第7版だ。
クララファンはもちろんシューマンやブラームスの愛好家の帰依を勝ち取ってきた。そりゃあ伝記だから、美化も誇張もあるだろうが、ロマン派真っ只中を駆け抜けたクララの伝記だけに登場人物が華麗で飽きが来ない。
このうちの18章が「ヨハネス・ブラームス」とタイトリングされている。1853年のブラームスによるシューマン家訪問のことが描かれる172ページのことだ。
この本によれば、クララとロベルトの初対面は1828年だ。結婚が1840年で、死別が1856年。16年の結婚生活だ。初対面からカウントしてもシューマンとのおつきあいは28年ということになる。
一方ブラームスとの初対面は1853年で、クララが没したのが1896年だからその交友期間は43年にも及ぶのだ。クララ側はともかくブラームスの人生の後ろ3分の2はクララとの交友に支えられていたことになる。
先の「真実なる女性 クララ・シューマン」という本は277ページで結ばれる。そこに置かれているのはクララ・シューマン没の記事ではない。クララの死から1年も経ずして没したヨハネス・ブラームスの記事である。クララ・シューマンの伝記はブラームス臨終の記事で結ばれているということなのだ。少なくともこの伝記の作者は、クララにとってもブラームスは無視し得ない存在であったと考えていたことは明らかだ。
クララがその死後、ロベルト・シューマンの横に葬られているのに対し、ブラームスはウイーン中央墓地に一人で眠っている。私のようなブラームス愛好家にとっては、切ない事実である。ブラームスがモーツアルトやシューベルト、ベートーヴェンと並んで葬られているにしてもだ。
残した音楽が世界中から愛されていることと引き換えだとしても、合点がゆかない。しかし、その手の理不尽を一手に引き受ける度量もブラームスの魅力のうちである。少なくとも残された作品のたたずまいからそう推定出来る。
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