広重の死因
東海道五十三次で名高い歌川広重は安政5年9月6日に没した。次女の誕生日かと色めき立ったが、これは陰暦であって新暦に直すと同年10月12日に相当する。
死因はと聞いて驚くコレラ。
2011年6月11日の記事「コレラパンデミック」で、ブラームスが15歳デビューの年にハンブルクでコレラの流行があったと書いた。この流行がユーラシア大陸を横切って日本に到達したのが1858年だと記しておいた。つまり広重は一連のコレラ禍終着点の日本で、そのコレラにかかって亡くなったということだ。
東海道五十三次で名高い歌川広重は安政5年9月6日に没した。次女の誕生日かと色めき立ったが、これは陰暦であって新暦に直すと同年10月12日に相当する。
死因はと聞いて驚くコレラ。
2011年6月11日の記事「コレラパンデミック」で、ブラームスが15歳デビューの年にハンブルクでコレラの流行があったと書いた。この流行がユーラシア大陸を横切って日本に到達したのが1858年だと記しておいた。つまり広重は一連のコレラ禍終着点の日本で、そのコレラにかかって亡くなったということだ。
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