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2016年8月31日 (水)

後出し

ジャンケンにおける反則。参入者が同時に意思表示することで公平性が保たれているから、相手の意思を確認してからこちらの意思を決めるのは反則なのだ。サッカーリーグにおけるシーズン最終戦のキックオフが同時刻とされるのも同時による公平性の確保が目的だ。

「先手必勝」というような言葉もあるが、現実には周囲の出方を見てから身の振り方を決めるという姿勢がしばしば見られる。先に意思表示をすると得てしてそれが恰好の攻撃目標にされるからだ。意思表示が十分に練り上げられていないとき、そうしたリスクは避けられない。

ブログ「ブラームスの辞書」ではブラームスに対する自分の意見を先に表明しているようものだ。「私はブラームスをこう考えています」という具合だ。練り上げが足りないと火だるまということもあり得る。

かといってブラームスにまつわる目から鱗の偶然を、誰かに先に言われるのは悔しい。会社生活における、様子見は嫌いではないがことブラームスに関しては、思いついたらまず発信だ。後発者につけ込まれるようでは、練り上げが足りないということだ。

2016年8月30日 (火)

読者依存シンドローム

ブログも本も「ブラームスの辞書」は譜例が乏しい。ブログでは少ないどころか譜例が無い。これは半ば私のテクニックのせいだ。本においては400ページで173箇所だ。2ページに1箇所にも満たない。こちらはテクならぬ予算のせいだ。

音楽解説関係の書物には不可欠の譜例が無いまま、ディープなブラームスネタを展開しているということになる。無念の措置であることは既に何度か述べてきたが、私の中では既に腹がくくれている。理由はシンプルだ。読者が既に楽譜を持っていることをアテにしているというわけだ。入門書ならば失格だ。少なくとも望ましくはない。

今は後悔していない。ブラームスの入門書であることは諦めている。日ごろから楽譜に接し、楽器に接しブラームスの作品に楽譜からアプローチをしようとする人々のための本であり、またブログであるのだ。炎上覚悟で申せば、ネット検索一発で、差し迫った宿題をクリアしようというニーズには答えぬのが愛情というものだ。

もちろん、先に「ブラームスの辞書」に刺激された読者が、後から楽譜を買いに行くというのも、著者冥利ではあるのだが、それとて読者の持つ楽譜をアテにしている点は同じである。さらに言うなら「どこそこの曲の、第~小節目の、かくかくしかじかの旋律」と記述しただけで、頭の中で「ハハーン」と旋律が思い浮かんでいる人と一献酌み交わしてみたいのだ。

「曲も聴かせず、譜例も見せず」は既にトレードマークと化している。いわゆる「開き直り」である。

2016年8月29日 (月)

後の祭

「後悔先に立たず」を一言で言い切るとこうなる。私の場合かなり頻繁に訪れる。

最近もあった。

「ブラームスの辞書」は300部という小部数の自費出版であることを逆手にとって、1冊1冊に通し番号を打っている。122番目までは図らずもブラームスの作品と紐付けされることに他ならない。ただ付番するだけではなくて数字の前に「opus」を付与することで格段にお宝度が増す。このアイデアはとても夢があってよいのだが、落とし穴があった。123番目以降も同じ調子でopus123とやってしまったのだ。この調子でopus300まで続けてしまっている。

今になって思うことがある。122番まではそれでよいのだが、その次を「opus123」とせずに「WoO1」とすればよかった。「WoO」とは「作品番号無き作品」を意味する「Werke ohne Opuszahl」の略だ。現実のブラームス作品はWoO1のハンガリア舞曲に始まってWoO38までが実在する。どうせならこれらWoO番号も背負わせてあげたかった。「ハンガリー舞曲」「FAEソナタ」「51の練習曲」「ドイツ民謡集」などお好みの向きも多いと思う。

後の祭である。

2016年8月28日 (日)

紙に書く

私が若い頃は、日記と言えば紙に書き留めるものだった。ブラームス本人の日記こそ存在しないもののシューマンやクララの日記も紙に自らが書いている。つい最近までそれが当たり前だった。

パソコンの急速な発達がそうした常識を覆した。

私に限って言えば、美しい文字が書けない。自分で嫌になるくらいだ。だからパソコンは渡りに船だ。

「ブラームスの辞書」36万字の執筆は全てワープロだった。原稿用紙に書くことなんぞ爪の先ほども考えなかった。書き間違いを延々と消しゴムで消すこともストレスだし、線で字消しするのもいやだ。文章の推敲を念入りにと思うほどストレスがたまる。ワープロならばストレスフリーだ。

さらにこのブログも毎日紙に書く形式だったら絶対に続かない。人に見られるという側面は実は余禄だ。

最早文字の上達は諦めているから、このパソコン漬けはきっと一生続くだろう。

2016年8月27日 (土)

思いつくペース

ブラームスについての自分の脳味噌の働きぶりを考える。

この先私が年齢を重ねて行くことになるが、それにつれてネタを思いつくペースが鈍るのかどうか注目される。会社生活の終焉まで4年と少々の間は、現在と変わらぬペースで思いつきそうな手応えがある。

今まで、ブログ「ブラームスの辞書」は次々と頭に浮かぶブラームスネタの備忘メモ代わりとして思いつくままに記事を書き、先付公開記事にしてきた。実は最近それが少々悩ましいと感じ始めている。

私が記事を書けなくなってもしばらく記事がアップされる。その記事にアクセスした読者の反応を見ることが出来ないのは寂しい。内容に自信のある記事ほど読者のリアクションが楽しみなのだ。記事の備蓄が増えることは、生前に公開出来ない記事が増えることに繋がりかねない。全部公開されるまで長生きすると、その間にまた記事を思いつくからイタチごっこだ。だから思いつくペースは緩やかに鈍る方がいいのかもしれない。

2016年8月26日 (金)

管理人の楽しみ

オタクな本を書いて36万字も費やした上に、素人の戯言と開き直って延々とブログを積み重ねて丸10年をやりすごした。長く続けていると嬉しいことも起きる。

記事に対してコメントをいただいたり、別途メ-ルをいただいたりする。ご承知の通り、わがブログは音楽関連記事には必須であるはずの譜例が欠落している。それをとがめ立てするご意見はほとんど無い。それどころか、私の記事を読んで、どれどれとばかりにお手許の楽譜を開き、記事と交互に眺めては「ふむふむ」と頷かれている様子が目に浮かぶようなメッセ-ジをいただくのだ。

これはブログの管理人としては「してやったり」の状態だ。我がブログは元々読者が持っている楽譜をあてにしているから、どんな作品のどの場所であるかの特定には気を遣っている。私のブログを読んで楽譜を取り出してペ-ジをめくり、「ひぃ、ふぅ、みぃ」と小節を数え現場にたどりついている人もいるのだ。そのためにわざわざCDや楽譜を買っている人がいやしないかと心配になる。しかし、現場にたどり着いて、もう一度記事を読み、あるいはCDを聴いたり楽器を鳴らしたりして、「なるほど」と膝を叩いてもらえるならこんなに嬉しいことはない。私がかつてその場所を聴いて感激したプロセスが読者の脳味噌の中で再現出来ているかもしれないからだ。

本当は譜例など無い方がいいのだとも思っている。手軽に見えてしまい過ぎるからだ。救急車ではないのだから現場への到達に少々の苦労があったほうが感動も深まるというものだ。私がブラ-ムスにのめり込み始めた頃は、ネットもCDも無かった。今から比べて不便と言えば不便だが味わいも深かったと思う。

不便を感じさせた挙げ句に、パソコンの向こう側で私と同じ気持ちになってくれる人がいるというのは、管理人冥利に尽きる。

2016年8月25日 (木)

ブロガー

「ブログする人」という意味。「blog」に人を表わす語尾「er」が付着している構造から明らかである。特に断り無く使った場合は、「ブログの管理人」を表わすようだ。日本に何人いるのだろう。ブログだけで飯を食っている層が出現しているのかは不明らしい。

昨今、職業ライターとブロガーの境界が曖昧になってきているともいう。ライターと言うと何だかプロっぽい一方、ブロガーというとプロアマ混在で、ゲリラな香りもそこはかとなく漂っている。読み手の立場に立つ場合、あまり意味のある区別とは思えない。「記事が面白いか」「役に立つか」という切り口が全てだろう。特定のライターが好きで、彼の作品を全部読むというような層は考えにくい。繰り返すが記事が全てだと思う。

記事が全てだと思う一方で、ささやかな矛盾もある。つまらぬ記事の連発で世間から顧みられないブログであっても書き続ける限り、管理人はブロガーだということになる。

ブログ「ブラームスの辞書」の管理人たる私は、どう見てもブロガーの一人ということになる。ブログを書き始めて生活にアクセントが生まれたことは事実である。よい気分転換になってもいるが、始める前と組成が変わったという実感はない。やはり運営するブログが多くの人に読まれながら、長く継続したいと願う平凡なブロガーである。目指しているのは「平凡なブロガーによるオタクなブログ」である。ではあるがその達成度は自分では測れない。ブログへのアクセス状況から推定することが出来る程度である。

2016年8月24日 (水)

その他

分類放棄のおまじない、または免罪符。

分類項目の末尾に添えられているのが普通だ。「その他」があまり多いと分類項目の不備を疑わねばならない。数パーセント以内が妥当だと思う。「その他」の内訳明細が別項で示されているという笑えない資料も見かける。

お気づきの人も多いと思う。ブログ「ブラームスの辞書」のカテゴリーには「その他」はない。新体系はもちろん、旧体系においても存在しなかった。自然科学の観察結果ならまだしも、自分が書いた記事に「その他」などという分類の塗り残しがあってはいけない。その他となる記事が出現しないようなカテゴリーを設定しておかねばならない。

その他が出そうになったらカテゴリー新設の潮時だ。既存カテゴリーの枠内でどうにも窮屈になったら次の改訂を準備しなくてはならない。

2016年8月23日 (火)

ターニングポイント

「転回点」などと申し上げると失笑のキッカケになりかねない。人生のターニングポイントなどという使われ方をする。現実の道路の曲がり角という意味で使われることは希かもしれない。

速球派で一時代を築いた投手が、年齢を重ねて変化球主体の投手になったり、先発完投型の投手がクローザーに転向したりというような配置転換をターニングポイントと表現することが多い。打ち込まれることが多いので中継ぎで様子を見るというケースに用いられることは少ない。

ブログ「ブラームスの辞書」は2005年5月、終盤にさしかかった自費出版の段取りの様子を記録しながら生まれ、刊行後は宣伝媒体・申し込み方法として存在し続けてきた。初めての自費出版本「ブラームスの辞書」の宣伝ツールというのが、本来の趣旨だ。

実は密かにターニングポイントを想定している。300部刷った「ブラームスの辞書」が全部私の手元を離れてしまったら、宣伝の意味は無くなる。いや逆に宣伝してはかえって迷惑をかける。商品の供給が出来ないのに宣伝してはいけないと思う。そうなったらブログ「ブラームスの辞書」は本来の存在意義を失う。

どうしようか。死ぬまでに「ブラームスの辞書」が全部売れなければこういう心配はしなくていいのだが、確かなことはわからない。万が一売れてしまったからといって、そそくさとブログ「ブラームスの辞書」を閉鎖することなど出来そうもない。

技巧派に変身を遂げてしぶとく生き残って行きたい。

2016年8月22日 (月)

次世代も安泰

オリンピックのサッカーは女子には年齢制限がないものの、男子は原則23歳以下に限られている。

開催期間が残りわずかになったリオオリンピック、この週末には男女サッカーの決勝戦が行われた。女子がスウェーデンvsドイツ、男子がブラジルvsドイツ、つまりドイツは男女ともファイナリストになったということだ。先の欧州選手権ではフランスに苦杯を喫したとはいえ、現ワールドチャンピオンのドイツはオリンピックでも盤石に見える。

一発勝負の世界だから1試合では番狂わせもジャイアントキリングもあるし、PK戦にでもなれば理不尽もつきまとう。けれど、世代性別を超えたこの手の安定感に接すると、サッカーという競技のドイツへの浸透度を垣間見る思いがする。

結果は女子が金メダル、男子が銀メダル。

2016年8月21日 (日)

翻訳

文書を異なる言語に変換すること。話言葉の場合は通訳と呼ばれる。

「ブラームスの辞書」の執筆で、マッコークルの「ブラームス作品目録」にお世話になっている。一面ドイツ語で800ページ超の大著だ。私は「ブラームスの辞書」執筆の決意と同時に買い求めた。30000円を少し超えたと思う。当時は痛い出費だったが、今ではその判断に感謝している。文字通り世界最高のブラームス本だと感じる。

マッコークルへの憧れはカテゴリー「611 マッコークル」の中で何度も述べてきたが、この本が和訳されればどんなに素敵だろう。かなりなお値段になるに決まっているが絶対に入手したい。

販売部数がさして伸びるとも思えないから、多くの出版社は尻込みするに違いない。となると自費出版かとも思うが、一個人には少々荷が重い。

音楽の知識に加えてドイツ語の知識が必須である上、ブラームスへの愛着もあるに越したことはない。オリジナルドイツ語版の出版社ヘンレ社との著作権の交渉も発生するに違いない。

2016年8月20日 (土)

辞書との違い

一般に辞書の収録単位は単語である。単語がアルファベットなり五十音の順番に列挙されているのが普通だ。ことわざ辞典を別にすれば単語2つ以上で構成される慣用句は、副次的な扱いになっている。この点については、言語による違いは見られない。音楽用語辞典さえも同じ構成になっている。

ブラームスが楽譜上に記した音楽用語の数は200以内だ。だから私がもし、一般の辞書のしきたりに従って「ブラームスの辞書」を書いていたら、項目数は200以内ですんだということだ。実際の「ブラームスの辞書」の項目数は1170にも達しようかという数だ。1000にも達する膨大なこの差こそが「ブラームスの辞書」のあり様を象徴している。

「p espressivo」のような語句も「p」や「espressivo」という単語と同格の扱いをされているということなのだ。ブラームスの音楽用語使用は、伝統的な語彙の範囲に収まっている一方で、それらを組み合わせることによって微細なニュアンスの差を表現している。

「poco」や「piu」などの微調整語の多用がそれを物語る。「poco」や「piu」という言葉の意味を調べてもブラームスの意図にたどり着きにくい。「poco」や「piu」などはこの後に続く言葉によりニュアンスが縦横に変化してしまうから「poco f」「piu andante」という語句単位で考察することがより効果的である。先の例で申せば「p espressivo」の意味に迫る上で、「p」や「espressivo」だけを引いて考えるのは、どう見ても遠回りなのである。「ブラームスの辞書」では「p espressivo」と引くことが出来る。

そういうことを積み重ねた結果1000もの差が生じてしまったということだ。

2016年8月19日 (金)

辞書のイメージ

辞書の定義について辞書を引いてみるなどということは試みたことがない。私の著書は曲がりなりにも「辞書」を名乗っているのだから、本当は確認が必要なのかもしれない。

辞書は、必要に応じて目的とする語を調べることが主な使われ方だ。最初から通して読む人はほぼいない。読書感想文の対象にもなりにくい。紛れもなく書籍なのだが、読書の対象ではないのだ。ということはつまり「ブラームスの辞書」と名乗った瞬間に、読書の対象からははずれるリスクを自ら負ったということに他ならない。辞書の形態を借りたエッセイを目指したつもりなのだが、世の中甘くない。最初から通して読むことで浮かび上がる論旨も忍び込ませてあるのだが。

辞書と言ってもう一つ忘れてならないのが、重みだ。辞書といえばズッシリとした重量感がつきものである。ペラペラの冊子ではカッコがつかない。重さ厚みがとても重要だ。「ブラームスの辞書」は重さ660g、厚み27mmだ。予算の制約があったとはいえ、辞書としては微妙である。重さ厚みが欲しいからといって、文字を大きくしてページ数を稼ぐのはいただけない。辞書は文字が小さくなくてはカッコがつかないのだ。

もう一つ特徴的なこと。「辞書」という語はナポレオンという人物とセットで語られることが多い。「よの辞書の辞書に不可能はない」というセリフとともに思い出される。実際のナポレオン愛用の辞書がどこかに展示されている話は聞かないなどと食い下がるのは野暮というものだ。単なるたとえ話である。「ブラームスの辞書」は、このたとえ話を真に受けて成立しているのだ。作曲の際に手許において意味を確認したであろう単語・語句をジュラシックパークよろしく復元するというのが譲れないコンセプトになっている。

そしてそして、「ブラームスの辞書」というタイトルを著書と共有するブログもまた、そうした意味合いを持つ。記事が4000本を超えたことで、ようやく辞書たるにふさわしいボリュームがついてきた。簡単に全てを読破することをためらわせる分厚さが、辞書には相応しい。仮にそれが駄文の積み重ねであろうともである。

2016年8月18日 (木)

死角

昨今のアクセス解析の充実は目覚ましい。様々な角度から自らのブログの見られ方が分析出来る。至れり尽くせりの分析レポートだが、解らぬこともある。

その最たるものがアクセスの男女比だ。男女どちらに多く見られているのか見当もつかない。コメントや注文を頂戴すれば判明するのだが、それだけをもって全体を推定することは難しい。

解らぬと言えば年齢構成だ。どんな層の人々が見てくれているのかこれまた見当がつかない。コメントの文体から推測しにくい点、性別よりも厄介だ。

身に余るアクセスを頂戴している管理人としては、「それがネットの匿名性というものだ」と納得もしにくい。

それらが解れば、ここ日本においてブラームス情報がどのような人々に求められているのかをうっすらと推定することも出来る。

2016年8月17日 (水)

非常用備蓄

5年前の震災で、脳味噌の働きが鈍ったことは記憶に新しい。およそ4年分の記事が備蓄されていた安心感、そして5月の連休を利用して何とか復旧したから、更新には支障が出なかったけれど、油断はできない。記事の塊としての企画も少しは備蓄があるとはいえ、本当にネタが涸渇したらどうするのか日ごろ考えておかねばならない。

ひとつの有力な候補がある。書籍「ブラームスの辞書」の総項目数は1167だ。これを毎日1本ずつ記事にするだけで1167本の記事が稼げる。「p」や「f」などの基幹用語なら数本の記事が書けるから1200本は固い。

書物の内容を著者自らネット上で公開するというのは、相当瀬戸際だ。長い目でみれば書籍の販売にはマイナスである上、正規の料金を支払って買い上げてくださった方々には申し訳が立たない。

ゴールに必要な10252本の記事の最後の1200本がこれにならない保証はない。

2016年8月16日 (火)

無駄遣い

ブログ「ブラームスの辞書」は2005年5月30日から7月31日までの63日間に、記事を110本公開していた。記事が多いほうが検索され易いと考えてのことだった。1日1本公開するのに比べ47本多いということだ。開設からの経過日数と公開本数の差「47」は今も続いている。当時は気にもしていなかった。キリ番記事とキリ番記念日が47日ズレてくれるから、各々で記事が書けると喜んでいた。

2033年までの継続を目標に掲げる前だったからだ。

その目標に達するのに必要な記事は総計10205本だ。最早自分の健康との勝負だ。あの47本がダブっていなかったら、記事の備蓄が47本稼げていたことになる。1ヶ月半分だ。検索され易いなどといっても、実質的には大したことはなかったから、今となっては単なる無駄遣いだった。悔しいからこのネタで、こうして1本記事を稼いでいる。

ゴールに必要な記事の確保についてまだ、目途が立っていない。やっと2018年分の確保が終わるかどうかといった段階にとどまっている。

2016年8月15日 (月)

ポケモンGO

いやはやである。

今や社会現象、流行語大賞当確かもの勢い。

我が家の子供たちが小学生だったころ私も一緒にはまっていたから懐かしい。

なじみのある初期のポケモンが出まくるとあってやり始めている私は肯定派だ。

<良い点>

  1. なんだかんだで歩かされる。始めてから100kmを超えた。
  2. 気にも留めなかった小さな祠やモニュメントに気付く。
  3. 娘たちとのコミュニケーションツール。

今図鑑には91種。レベル20目前。取り逃がした2種が恨めしい。

「悪い点」を挙げるのは人様にお任せしてひとまず記事にする。ブラームスへのこじつけが難しいのが難点だ。

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2016年8月14日 (日)

公開と未公開

公開済みの記事4000本少々と800の未公開記事が貯まってきた。

外部から見るとこの「公開」と「未公開」の差は大きいのだと思うが、管理人の私の立場から見ると数ある記事のパラメータの一つに過ぎない感じになってきた。ブログとしては公開と未公開の差はものすごく大きいのに、自分ではそう感じなくなって来ているのだ。合計800本の備蓄記事は週一のコラムなら約18年分にも相当する。これだけの記事が貯まったことに自分でも驚いている。それとともに、悩みの質が変わってきた。「今日の記事をどうするか」から「今日の記事をどれにするか」になってきた。数ある備蓄記事の中から今日に相応しい記事を選んで、公開のパラメータをオンにするだけなのだ。記事の内容はもちろん大切だが、同様に大切なものに公開のタイミングがある。時間を経て眺めると単なる記事の羅列にしか見えなくなるが、公開の瞬間だけは「なるほど」といわれるような意図を込めたい。

そもそもブログ「ブラームスの辞書」のコンセプトは「本の宣伝」が第一で、次が「次々と思いつくブラームスネタの備忘」だから今の状態は望むところである。備忘のために書きためた記事を、日に1本ずつ公開する場がブログであると言い換えることも出来る。毎日アップはしているが、毎日記事を書いている訳ではない点注意が必要である。

今日ならでは記事を毎日発信し続ける悩みは心地よいものである。

2016年8月13日 (土)

ウィット

「Wit」と綴られる英語で「機知」と訳されることが多い。シリアスな議論の中にポツリと添えられることにより、場の空気を和ませる機能がある場合が特に珍重される。場をしらけさせてしまった場合、「ウィット」とは呼んでもらえないのが通例だ。この手の気の利いた切り返しが自然に出来る人を称して「ウィットに富んでいる」と表現する。しばしば「頭が良い」と同義だったりする。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」は、全3巻にこの手のエピソードがてんこ盛りで証言されている。

切り返しが鋭い、目端が利く、当意即妙など証言者によって表現は異なるが根本は一致している。一同腹を抱えて笑ったなどということも多かったようだ。困ったことに、女性に対してデリカシーを欠くとか、あまりに辛辣と言われてしまっていることもある。

一の子分で楽友協会の司書をつとめたマンディチェフスキーは、この手の切り返しが得意だった。ブラームスの込み入った謎かけに対し、ノータイムで気の利いた反応を連発した。これがブラームスにかわいがられた原因だろう。

羨ましい限りだ。ウィットへの憧れは大変なものだ。憧れるあまり、寒いギャグの連発が後を絶たない。

2016年8月12日 (金)

ひとまず信じる

ショップをうろついていて驚くべきCDに出会った。勢いで即買い。

チェロソナタ第一番ホ短調op38について、少し詳しい解説書では、この作品が元来4楽章であったことに言及される。事情があって緩徐楽章が省かれて現在流布する構成になったと説明される。クララや献呈先のゲンスバッヒャーは、本来の4楽章型を知っている。

ブラームス伝の著者カルベックは、省かれた緩徐楽章はチェロソナタ第2番の緩徐楽章に転用されたという説を唱える。2番の緩徐楽章を聴いた、ゲンスバッヒゃーやクララが沈黙している点と、これを主張するのがカルベック一人というのが難点だ。

このたび買い求めたCDは、チェロソナタ第1番本来版の世界初録音と謳っている。チェロソナタ第1番の第一楽章の後に、2番の緩徐楽章がおさめられているのだ。その次に平然とメヌエットとフィナーレが続く。カルベックの主張をひとまず信じて見せたということだ。このレアなCDがバッハの売り場に置かれていては見つけるのは至難だ。

チェリストはJuius BergerでピアニストはOliver Kernという。まあライブならともかくスタジオ録音だと、ありがたみは薄まる。この順で収録したのが世界初であるに過ぎない。古今のチェリストの帰依を勝ち取ってきたブラームスの両ソナタだから、2曲とも録音を残した者はあまたいて、とても世界初録音とは言えまい。

まあしかし、この手の乗りは嫌いではない。

2016年8月11日 (木)

人名辞典総集編

人名辞典総集編をお届けする。

  1. 2016年06月21日 人名事典
  2. 2016年06月22日 人名事典【女性名】
  3. 2016年06月23日 人名事典【男性名】マ行ヤ行ラ行ワ行
  4. 2016年06月24日 人名事典【男性名】ハ行
  5. 2016年06月27日 人名事典【男性名】カ行サ行タ行ナ行
  6. 2016年06月28日 人名事典【男性名】ア行
  7. 2016年07月01日 ヨーロッパ人名語源辞典
  8. 2016年07月02日 カタカナとの落差
  9. 2016年07月03日 コミッショナーの名前
  10. 2016年07月05日 2つのカール
  11. 2016年07月07日 バラモン
  12. 2016年07月08日 カルロス・ブリトー
  13. 2016年07月09日 恋人の名前
  14. 2016年07月19日 ヨハンだらけ 
  15. 2016年07月20日 ヨハネスの由来
  16. 2016年07月21日 ロンメル将軍
  17. 2016年07月22日 ヨハネスコッホ
  18. 2016年07月23日 ヨハネス23世
  19. 2016年07月24日 教皇の名前
  20. 2016年07月25日 教皇の本名
  21. 2016年07月26日 本名ヨハネス
  22. 2016年07月28日 三大ヨハネス
  23. 2016年07月29日 欧州の君主たち
  24. 2016年07月30日 王のあだ名
  25. 2016年07月31日 電話帳から
  26. 2016年08月01日 電話帳の力
  27. 2016年08月03日 聖ゲオルギウス
  28. 2016年08月04日 ゲオルク2世
  29. 2016年08月07日 FAMILIENNAME
  30. 2016年08月08日 著名日本人
  31. 2016年08月09日 苗字辞典の隙間 
  32. 2016年08月11日 本日のこの記事

2016年8月10日 (水)

まとめ読み

夏休み。今年は明日から7連休だ。サラリーマンにとってはありがたい休みである。道路や交通機関の混雑が嫌だからと家に居続ける人には「ブラームスの辞書」のまとめ読みをお薦めしたい。

今日のこの記事で4091本の駄文の堆積だが、バカにしたものではない。読むとなると時間がかかる。1本に10秒かかるとして、全部読むには11時間少々かかる計算だ。この7連休で読み切るには一日約1時間半ほどということになる。

2016年8月 9日 (火)

苗字事典の隙間

先ごろ買い求めたDUDEN「FAMILIENNAME」は20000の苗字が960ページに収められた大著。音楽関係、歴史上の人物、サッカー選手など考え付く限りのドイツの苗字を引いて遊んでいる。大抵載っていてうれしいのだが、むしろ意外な人物が載っていないこともあり、載っていない側も大変に興味深い。

  1. Moltcke 帝国創設の功臣モルトケ元帥が掲載されていない。
  2. Herzogenberg リーズルの嫁ぎ先が載っていないとは。
  3. Hindenburg これもまた戦前の大物政治家。
  4. Hitler 最大の驚きはこれだ。何らかのバイアスを感じる。

2016年8月 8日 (月)

著名日本人

先ごろ入手したDUDEN社「FAMILIENNAME」の巻末には、グローバル化への対応と称して、主要な外国人の苗字も収載されている。その数およそ700だ。ここに3名の日本人名がある。

  1. 大江健三郎
  2. 小澤征爾
  3. 三島由紀夫

この3名を選ぶという選考基準が興味深い。文学音楽の分野での巨匠であることは間違いない。2005年の刊行なので「香川真司」や「沢穂希」は間に合っていないのだ。ましてやドイツでは「ICHIRO」は取り上げられにくかろう。

2016年8月 7日 (日)

FAMILIENNAME

「FAMILIENNAME」とはつまり「苗字」のことだ。ドイツDUDEN社刊行されている「FAMILIENNAME」という書物が今回の人名特集の参照資料の根幹だ。ドイツの苗字がおよそ20000も収録されている。

苗字の起源由来に加え、その苗字を背負った著名人への言及などきめ細かだ。難を申すと全てドイツ語だということだが、電子辞書片手にページをめくっているだけで飽きが来ない。今回の人名特集の基礎資料としても重宝していいる。

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2016年8月 6日 (土)

デパ地下でオリンピック

昨今のデパートの食品売り場のお酒コーナーは、ワイン、焼酎、日本酒に比べて、ビールの品ぞろえが極端に薄い。輸入ビールの売り場があればいいほうで、国産クラフトでお茶を濁されている感じがする。

そのような状況の中、近所の某百貨店は時々面白い品種が入荷するので油断できない。

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右からエストニア、フィンランド、オーストリア、スウエーデン、ベルギーの品種だ。ベルギーはバナナ入りなので発泡酒扱い。その他はIPAありピルスありシュヴァルツありと多士済々だ。極端に高いアルコール度数を敬遠したほかはホクホクと楽しく迷いながら買ってきた。これで2000円を切るから、ワイン三昧よりは安くつく。エキスポート仕様ということで、ラベルに英語併記になっているのが余計なお世話な感じ。

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こちらは、左からロシア、スイス、オランダ、開催国ブラジル。

フランス、イギリス、ドイツ、イタリアなど入っていないという芯をはずした感じが貴重でさえある。ビール界ではベルギーは大国だ。

2016年8月 5日 (金)

気合入らぬ

リオデジャネイロでオリンピックが開幕する。開会式前にサッカー競技が始まるのも見慣れた光景だ。

以前ほどは熱狂しなくなっている。これがサッカーだと日本が出場しない欧州選手権でも気合が入るのだから不思議だ。

長男の中学の同級生が、出場するのが最大の見せ場だ。1年生の時に同じクラスだった女の子だという。

2016年8月 4日 (木)

ゲオルク2世

ブラームスの伝記ではおなじみの人物。マイニンゲン公として登場することが多い。正確にはザクセン-マイニンゲン公だ。彼の宮廷の楽団にハンス・フォン・ビューローを招聘し、その実力が急速に高まった。ビューローを介してブラームスとも交流があった。出世前のブラームスがヨアヒムの紹介で御前演奏したゲオルク5世は、ハノーファー王なので紛らわしいがもちろん別人。

この人1866年普墺戦争で、オーストリアに加担したために退位に追い込まれた父の後をついで即位した。チャキチャキの親プロイセンというより、プロイセン王、後のドイツ皇帝ウィルヘルム1世のお友達だ。普仏戦争での勲功厚い武闘派なのだが、ドイツ帝国成立後は芸術に傾倒する。その過程でビューローやブラームスとも親しくなったという仕組みだ。

1886年1月13日。森鴎外の「独逸日記」にドレスデン・ザクセン王宮での舞踏会の様子が描かれる。鴎外が律儀に出席者を列挙する中に、ザクセン・マイニンゲン公子ベルンハルトがいる。ゲオルク2世の長男で、後のベルンハルト3世だ。

2016年8月 3日 (水)

聖ゲオルギウス

キリスト教の聖人の一人。ゲオルギウスはギリシャ風な表現だ。英国ではジョージだし、ドイツならばゲオルグになる。彼にはドラゴン退治の伝説がある。ある国にドラゴンが住んでいて毎日羊を捧げていたが、とうとう羊がいなくなり人間を捧げねばならなくなった。くじ引きによって王女が次の生け贄になり悲しんでいたところを通りかかったのが、ゲオルギウスだ。「しからばそのドラゴンを退治しましょう」ということになって、首尾良くそれを果たした。人々がこれによりキリスト教を信じるようになるというオチである。

ヤマタノオロチの話に似ている。馬小屋で生まれた聖徳太子といい時々、ぎょっとするような一致があって面白い。

ブログを運営していて感じることがある。時間という怪物がやってきて毎日1本の記事を食いつぶして行くような感じである。毎日必ず1本の記事を捧げることと引き替えにブログ「ブラームスの辞書」の命脈が保たれている感じである。

記事の備蓄が底を突き、加えて私が毎日の記事を思いつけなくなったら、ブログ「ブラームスの辞書」はそこで歩みを止める。

2016年8月 2日 (火)

虹に願いを

一昨日千葉県野田市付近。

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この歳になって初めて経験する完璧な虹。国道16号を走行中に目撃。慌てて側道にそれてパチリ。よく見ると外側にもう一つ輪がある。ほんの15分で消えてしまったから、レアポケモン並みのありがた味だ。

今日、次女の後輩オケが広島県呉市で開催中の「全国高等学校総合文化祭」で、先輩たちが獲得した出場権を堂々と行使する。一足早い乙女たちの甲子園だ。

虹は間違いなく吉兆だ。


2016年8月 1日 (月)

電話帳の力

記事「電話帳から」で、2008年版ドイツの電話帳において姓「Brahms」がどれほどの位置づけかを確認した。同様の手法で著名な作曲家についても考察しておく。

  1. Bach 8968世帯23914名。最多Vornameは「Wolfgang」
  2. Beethoven ゼロ。まさかゼロとは。
  3. Berg 13686世帯36496名。最多Vorname「Peter」
  4. Brahms 210世帯560名。最多Vorname「Johann」
  5. Bruckner 1158世帯3088名。最多Vorname「Peter」
  6. Chopin 7世帯18名。最多Vorname「David」。まさかいるとは。
  7. Dvorak 323世帯861名。最多Vorname「Walter」
  8. Haydn 223世帯594名。最多Vorname「Markus」
  9. Liszt 6世帯16名。最多Vorname「Oliver」
  10. Mahler 3447世帯9192名。最多Vorname「Michael」
  11. Mendelssohn 5世帯13名。最多Vorname「Michael」
  12. Mozart 15世帯40名。最多Vorname「Jana」
  13. Schoenberg 44世帯117名。最多Vorname「Dirk」
  14. Schubert 27479世帯73277名。最多Vorname「Wolfgang」
  15. Schumann 13535世帯36097名。最多Vorname「Wolfgang」
  16. Wagner 83996世帯223989名。最多Vorname「Michael」
  17. Weber 90224世帯240597名。最多Vorname「Wolfgang」

何と言っても「Beethoven」がゼロとは驚いた。モーツアルトやメンデルスゾーンも多くない。作曲家の一般的な知名度とは隔たりがある。

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