ゲオルク2世
ブラームスの伝記ではおなじみの人物。マイニンゲン公として登場することが多い。正確にはザクセン-マイニンゲン公だ。彼の宮廷の楽団にハンス・フォン・ビューローを招聘し、その実力が急速に高まった。ビューローを介してブラームスとも交流があった。出世前のブラームスがヨアヒムの紹介で御前演奏したゲオルク5世は、ハノーファー王なので紛らわしいがもちろん別人。
この人1866年普墺戦争で、オーストリアに加担したために退位に追い込まれた父の後をついで即位した。チャキチャキの親プロイセンというより、プロイセン王、後のドイツ皇帝ウィルヘルム1世のお友達だ。普仏戦争での勲功厚い武闘派なのだが、ドイツ帝国成立後は芸術に傾倒する。その過程でビューローやブラームスとも親しくなったという仕組みだ。
1886年1月13日。森鴎外の「独逸日記」にドレスデン・ザクセン王宮での舞踏会の様子が描かれる。鴎外が律儀に出席者を列挙する中に、ザクセン・マイニンゲン公子ベルンハルトがいる。ゲオルク2世の長男で、後のベルンハルト3世だ。
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