ホーエンシュタウフェン朝
12世紀から13世紀にかけて神聖ローマ皇帝6名を輩出した家柄。もっとも名高いのはフリードリヒ1世、人呼んで「赤ひげ王」だ。第3回十字軍の総司令官でもある。
彼に限らず歴代の神聖ローマ皇帝はドイツ王でありながら、イタリアにこだわる。「神聖ローマ帝国の盟主」という自覚からか肩に力が入った人が多い。赤ひげ王は5回イタリア遠征を試みている。ローマ教皇との摩擦もさることながら、お膝元ドイツの経営がおろそかになるので、ロクなことは無い。
ホーエンシュタウフェン朝は、シチリア王国の経営には一応成功していたからましなほうだが、イタリア本土までもと色気を出すとうまく行かない。
1266年シチリア王コッラディーノ(コンラーディン)は、ローマ教皇さしまわしのシャルル・ダンジューに破れナポリで処刑される。ホーエンシュタウフェン朝はこれで途絶えるが、歴代の王はシチリア島パレルモの大聖堂に祀られることとなった。そしてドイツ史上異例の緊急事態である大空位時代が始まる。
ブラームスは1893年最後のイタリア旅行でシチリアを訪れた際、ホーエンシュタウフェン朝ゆかりのパレルモ大聖堂に参拝したと同行の友人ヴィトマンが証言している。ヴィトマンはブラームスのドイツ史への造詣に感嘆している。
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