ライン初の架橋
ローマ対ゲルマンの国境線としてのライン川の位置付けの高さは既に何度も言及した。このライン川にはじめて橋を架けたのはカエサルだという。ローマの執政官でガリアを征服した男だ。優秀な政治家なのだが、かなり腕の立つ文筆家でもあった。彼が征服の苦労を「ガリア戦記」に残したおかげで今から2000年以上前のフランスやドイツを一部含むガリアの様子が判る。
紀元前52年頃、カエサルはライン川に橋を架けた。川底に木製の杭を打った木造橋だが、わずか10日で完成したらしい。ゲルマン人に対する示威行為で、大軍を渡河させて征服戦に打って出ることはしなかったが、ゲルマン人はこれを警戒したと思われる。すぐに火をつけて焼き払ったとされている。ライン川を防衛の最前線というカエサルの考えを裏付ける話だ。
はっきりとした場所は不明で、コブレンツあたりというのが定説らしい。当時の川幅は500m、あたりの水深は最大でおよそ8mとされている。
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