戦線の節約
記事「Limes」で、ローマとゲルマンの境界がライン、ドナウの両大河で形成されると書いた。これに「ローマ版万里の長城」である「Limes」が両者の国境という位置付けだった。ガリアを平定したカエサルは、少なくともライン川を越えて戦線を拡大する意図は無かったと言われている。
ところが、カエサルの養子で後継者のオクタビアヌスは、皇帝アウグストゥスになって以降、別の考えを持っていたようだ。ローマ対ゲルマンの最前線を「ラインドナウ線」から「エルベドナウ線」に押し広げたいと考えていたようだ。乱暴に申せばローマの支配地域を旧西ドイツ1個分増やすということだ。国境が東に遷移する。カエサルが手ごわいと言っていたゲルマン人を本拠地から追い出す戦争をせねばならない。アウグストゥスの妻の2人の連れ子、ティベリウスとドゥルーススの手柄で、ほぼその目論見は達成されていた。少なくとも2回、紀元前9年と紀元5年には、ローマ軍がエルベ川に到達している。
アウグストゥスのプランの裏には「ライン・ドナウ」を国境にするより「エルベ・ドナウ」を国境にする方が、最前線が100km以上短くなるという現実的な動機がある。国境警備に必要な兵員の数は、国境線の長さに比例するから、国境線が短くなれば兵員の数を削減出来る。
さらに現在のボン付近から、レーゲンスブルクまで550kmに及ぶLimesという柵を設けていたが、エルベ・ドナウの国境線にすれば、ドナウとモルダウを繋ぐ距離の柵で事足りる。おおよそ100kmの柵でOKだ。
アウグストゥスのプランはほぼ実現していたと見るべきだ。
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