M.B.
1809年にメンデルスゾーンが生まれたのはハンブルクだ。申すまでもなくブラームスの故郷でもある。だからという訳ではないがブラームスはもちろんメンデルスゾーンを知っていた。直接会ったことは無いと思われるが、作品を通じて親しんでいたと見るべきだ。
さらに1853年にデュッセルドルフを訪問してシューマン夫妻に会い、しばらく滞在した間、メンデルスゾーンの友人でもあったシューマンから情報を仕入れたに決まっている。おそらくブラームスはメンデルスゾーンに好意的な印象を持ったと思う。
明くる年1854年の春。ロベルト・シューマンの入院との前後関係は不明だが、ヨアヒムに全2集からなるピアノ小品集を贈った。タイトルは「ある音楽家の日記から」といい、ヨハネス・クライスラー作曲とされている。第2集には現在op9になっている「シューマンの主題による変奏曲」から10番目と11番目の変奏が抜けたものが入っていたらしい。興味深いのはこの第1集の最後4曲目に「M.B.の想い出」というロ短調の小品が置かれていたことだ。この「M.B.」は「Mendelssohn Barthordy」の頭文字である。ブラームスなりのメンデルスゾーンの印象が作品に反映されていたことは確実だ。
この曲集をヨアヒムに贈ったことはとても興味深い。ヨアヒムの才能を発見したのは他ならぬメンデルスゾーンだ。ヨアヒム10代の頃ロンドンに同行したこともあるという。自分にシューマンを紹介してくれた恩人ヨアヒムはメンデルスゾーンとも深い親交があったということだ。「私はあなたの恩師メンデルスゾーン先生を、シューマン先生と同様に尊敬しています」というメッセージが込められていたと感じる。
1848年に38歳の若さでこの世を去ったメンデルスゾーンだが、もし少々長生きしていたら、ヨアヒムはきっとブラームスを恩師メンデルスゾーンに紹介していたと思う。
残念なことにこの曲集は現存していない。
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