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2016年10月23日 (日)

秋の季語

古来日本人は季節のうつろいを愛でてきた。

花はいろいろあるのに黙って花といえば「さくら」だし、月はいつでも眺めることが出来るのに黙って「月」と言えば秋だ。そうした感性は長い年月を経て蓄積されて、歳時記となった。

日本で長くブラームス愛好家を続けていると、時として「ブラームス」が秋の季語ではなかろうかという錯覚に陥る。ブラームスやブラームスの作品が秋と結びつけて語られる機会が多いと感じている。ドイツやオーストリアでも同様な現象が起きているのだろうか。楽壇を2分する論争の渦中にいたブラームスだから、古来作品を巡る論争にさらされてきたが、伝記や解説書を読んでも「秋とブラームス」を結びつけた例にはお目にかかれない。

もしかするとこれは日本独自の現象なのかもしれない。日本人が秋とブラームスを結びつけている原因を楽譜の上に求めることが出来るのだろうか。楽譜がどうなっていると日本人は秋を感じるのだろう。

実は興味深いことに全てのブラームス作品が皆秋と結びつけて語られるかというと、どうも濃淡があるように思う。定性的な話で恐縮だが、一部の作品に限られていると感じる。たとえば「秋はブラームスに限る」と言いながら子守歌やハンガリア舞曲を聴く人には出会ったことがない。だいたい下記の通りと思うが、秋と結びつけて語られることが多い作品の統計など取りようがないから始末が悪い。また、仮にそれが出来ても実際には曲の最初から最後までベッタリと秋を結びつくわけではあるまい。

  1. 晩年のクラリネット入りの室内楽
  2. 作品番号にして116から119のピアノ小品の一部
  3. 交響曲なら3番か4番
  4. ヴァイオリンソナタ第3番

晩年の器楽曲だ。皆さんご存知のあのブラームスの晩年の作品ということが、秋のイメージ想起に関わっていると感じる。

ブラームスのイメージや伝記を既に持っている人が、先入観で秋を結びつけている可能性も捨てきれまい。とすると楽譜上にその痕跡を求めることは徒労でしかない。ブラームスはもちろん秋を作品に盛り込む意図など無かったと思うが、作品の受け手が曲を聴いて膨らませるイメージに介入しない立場だから、きっとニコニコ笑っているだけだろう。

これは日本人が解明するしかない問題には違いないが、一年中ブラームスばかり聴いている私には荷が重い。

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