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2016年11月30日 (水)

希少価値

「めったに無いこと」「手に入れにくいこと」需要と供給のバランスが極端に需要側に振れてていること。主に良い意味で使われる。

単に世の中に存在する絶対量が少ないこととは区別しなければならない。単に在庫が無いだけでは欠品とは呼ばれず、在庫が無い状態のところに注文が舞い込んで初めて欠品と呼び得るのと似ている。世の中の絶対量が少ないにも関わらず、多くの人がこれを求める場合に希少価値が生まれる。

無理矢理ブラームスにこじつけながらの記事が4500本に近づいた。今後も毎日1本の割合で増えて行く。先の定義に従うなら、世の中に放出する記事の数が毎日増え続けるのだから、希少価値を減ずることにつながりかねない。記事の本数でいうとそういうことだ。

ところが、一人の素人が飽きもせず延々とブラームスネタを吐き出し続けているブログという切り口で見ると、記事の本数がたまればたまるほど世の中に2つと無い確率が高まって行く。こうしてみると希少価値が増加するとも言える。

少ない方が有り難みがあるだろうと言って更新が年に1度だったら、誰も振り向いてはくれなくなるから、ブログの存在価値はやはり記事の放出にある。記事一個一個の相対的な重みを減じてしまうことにつながるかもしれないが、記事更新の手を止めることは出来ない。難しいのはその場合の記事の水準の維持である。

世の中に2つと無いブラームスネタの宝庫に10000の記事が堆積しているなどということを想像すると楽しくなる。

2016年11月29日 (火)

合格ライン

合格と不合格の分かれ目のこと。これには以下の2種類がある。

  1. 試験のレギュレーションの中に、合格に必要な得点が設定されている。
  2. 合格者の定数が設定されている。

上記1は、一定の点数がとれれば皆合格だ。受験者全員合格ということもある。自動車の運転免許もこのパターンだ。

上記2は、受験者を得点の多い順に並べて上から数えて定数に達したところまで合格になる。高校受験は大抵これだ。合否判定の作業は公開されない。だから予備校など受験産業に携わる人たちは、合格者の顔ぶれと彼等の過去の模擬試験の成績から、合格ラインを推定している。

我々現代の愛好家の手許には、おびただしいブラームス作品が残されているようにも見えるが、それらは原則としてブラームス本人が出版に同意した作品である。つまりブラームスの内部に存在した基準に適合した作品ということだ。「ブラームスの辞書」が目指すのは、基準適合品を精査する中から、ブラームスの内部基準を類推することだ。予備校の担当者が行っている合格ラインの算出と根っこが同じと思う。彼らは合格者と不合格者の顔ぶれが比較できる分だけ、推定の精度があがるに違いない。

ブラームスは基準に満たなかった作品の出版を拒絶しただけでなく、廃棄も完璧だったから、後世の愛好家は不合格者を見ることが出来ない。合格者の顔ぶれから合格ラインを判定するのはとても難しいのだ。

だから「post.」の文字が添えられた作品は貴重なのだ。ブラームスの真作であることが確実でありながら、本人が出版に同意しなかったからだ。つまりこれらは不合格者だ。合格者と比較することで、合格ラインをよりリアルに想像することが可能になる。

例外は「オルガンのための11のコラール前奏曲」op122だけだ。

2016年11月28日 (月)

廃棄の自主基準

やりとりされた手紙の内容や、友人知人の証言から、ブラームスが10代の頃から作曲を始めていたことが確実視されている。交響曲、ヴァイオリンソナタ、弦楽四重奏曲において、現在第1番として流布する作品以前に、少なくとも一曲以上作曲されていたこともよく知られている。

ところが、実際に作品を見ると10代の頃作曲した作品はほぼ残されていないと断言出来る。伝記では大抵「厳しい自己批判の結果廃棄された」と書かれていることが多い。10代の頃作曲したそばから廃棄していたこともあるだろうし、シューマン夫妻やヨアヒムとの交流後に知り得た知見に照らして、廃棄を決断したこともあるだろう。そこにブラームス独特の自主基準が存在したことは疑うことが出来ない。

廃棄を免れた作品と廃棄された作品の間に、決定的な違いがあるに決まっている。

現在我々の目の前にある作品は、そうした自主基準に照らして合格判定の出された結果で横たわっていることになる。その自主基準とはいかなるものだったのだろうか?基準に満たぬ作品は容赦無く廃棄されたという自主基準を見てみたいと言うのが愛好家の本音に違いない。恐らく明文化などされてはおるまい。ブラームス自身の本能の命じるままなのだろう。楽想をひねり出すブラームスと、その結果を冷静に吟味し、非情な判断をも示してみせるもう一人のブラームスがいたことになる。

何よりも素晴らしいことは、そこで下された判断が限りなく的確だということだ。使用された自主基準も的確なら、それに照らして下された可否判断も的確だったことに他ならない。残されているブラームスの諸作品が獲得している高い評価がそれを裏付けている。

とはいえ自主基準を満たすことが出来ずに廃棄された作品の中に、素晴らしい作品が無かったとは断言できない。ブラームス個人としては不満でも、我々愛好家を驚喜させる作品が存在した可能性は、少なからず残っていよう。もったいないことだ。「無様な作品をけして残すまい」というブラームス独特のプライドに心から賛同するものの、もったいないという気持ちが無いと言ったらウソになる。

2016年11月27日 (日)

感動のセンサー

作曲家はブラームスに限らず、自らの作品が聴き手を喜ばすことを目的にしていると信じている。演奏家も同じだ。作曲家が作品を出版する以上、後世の聴き手あるいは一部の弾き手を喜ばせたり、感動させたりすることが目的でないとしたら少々異常だと思う。

作曲家は、感動させるという目的に照らして十分と判断した作品を世に問うているのだ。ブラームスが公表を決意し作品番号を付与して出版された作品は、そうした基準に合致していると考えていい。「こうすれば聴き手や弾き手を感動させられる」という確信があるに決まっている。その部分に不安が残る作品を潔く廃棄するという点で、ブラームスは出色の存在だ。

そのような手順を経て出版されたブラームスの作品を聴いて、高い確率で感動するセンサーが私には備わっている。ブラームスの作品全てで深く感動するとまでは断言できないが、私の「感動のセンサー」はブラームスの作品を聴くと高い確率で感動する構造になっている。そのことは、ブラームスが出版の可否を判定するために用いた基準と、私のセンサーの感応基準が非常に似ていることを意味する。他の作曲家の作品を聴いても感動することはあるし、ブラームス作品中でも感動に濃淡があるけれど、ブラームスがこれでよしとばかりに世に問うた作品を、すばらしいと感じる自分がいることが嬉しい。

2016年11月26日 (土)

記事の長さ

毎日毎日記事のネタがありはしないかと考えている。ところが、記事のネタになりそうなことを見つけるための根気に比べると、個々の記事の長さには無頓着だ。

心がけていることのひとつには「あまり長い記事は読むほうも疲れるだろう」というほんやりとした基準がある。またその日のテーマを出来るだけ少ない文字数で伝えたいとも思っている。一旦書きあがったものを読み直して、表現が回りくどいところや、重複しているところをカットするのはもちろん、テーマ2本に分けたほうが良い話題が、無理やり1本の記事に詰め込まれていないかについて、注意している。

画面右端のスクロールバーが長いこと、つまり記事が長いことは読み手にとってストレスになりはしないかと恐れている。よっぽどの名文なら別だが、素人のブログだからサクッと読み切れる小回りのよさこそが大切だろう。

短か過ぎるのも愛想がないが、長過ぎてもいけないバランスが肝心だ。つまりは、無頓着なようでこだわっているということかもしれない。

2016年11月25日 (金)

日々の記憶

結婚記念日を忘れられてヘソを曲げる妻と、謝る夫。作劇上よくあるパターンだ。

人間の記憶とは抜けが多い。どんなに記憶力に自信がある人でも、ほとんどの日は特定な記憶と結びついていない。先ほどの例で申せば結婚記念日を忘れた夫にヘソを曲げていた妻も、その前日や翌日に何があったかなど覚えてはいるまい。それどころか昨年の結婚記念日の朝食に何を食べたかも忘れているだろう。

クリスマス、誕生日、結婚記念日など人生は記念日によってメリハリが付けられているが、ほとんどの日は何もない日として忘れ去られるのだ。逆に申せばだから記念日はありがたいのだ。

ブログ「ブラームスの辞書」は、放置すれば忘れ去られるばかりの何も無い日を、毎日1本更新される記事によって規定する機能がある。あの日何をしたかは判らぬが、何を考えていたかは痕跡として残る。そこを追求するなら単なる日記にすれば良いのだが、それではつまらない。どんなブラームスネタにこじつけたかによって、何でもなかった日を記憶の渕に止めるのだ。あるいはブラームスネタへのこじつけに失敗した日として記憶されることもあろう。

ほとんどの人にとってどうでもいいこと。

2016年11月24日 (木)

コメント

ブログにコメントをもらえることがある。ブログやホームページの管理人をしている人はご承知と思うが、これがなかなか嬉しいものである。

このところブログ「ブラームスの辞書」にもまれにコメントが付くようになった。毎日とは行かぬが、うまく行けば月に1つくらいもらえているように思う。常連さんもいれば、行きずりさんもいる。皆さん大人の対応をしていただけていると見えて、クレームやお叱りのコメントは無い。ブログ「ブラームスの辞書」を読んで否定的な意見を持つにいたった人が大人の対応をしてくれているお陰で「炎上」の憂き目には遭っていない。

嬉しいコメントばかりをいただけているのだから、当然コメントに対するお返事を欠かさぬように心がけている。失礼の無い表現で、的確なタイミングで、すっきりと後味良くがモットーだが、これがなかなか難しい。常連さんはともかく初めてのコメントの場合、臆病になってしまいがちである。痒いところに手の届かぬコメントになってしまっているかもしれない。

それからブログ「ブラームスの辞書」の雰囲気から大きくはずれないようにというバランス感覚も大事にしている。こうしたやりとりまでも含めてブログの雰囲気が決まって行くと考えているからだ。

行きずりのつもりだった人が思わず常連さんになりたくなるような気の利いたお返事が理想であるが、実は記事を書くより数段難しい。

2016年11月23日 (水)

Volkstrauertag

「ドイツ国民哀悼の日」とも訳されようか。1993年に制定された。毎年11月第三日曜日となる。戦没者やナチスの犠牲者を追悼する日と定められている。

だからなのだ。先の日曜日に習志野霊園にドイツ大使館付の武官を迎え、第一次大戦で俘虜となって習志野に収容されたままスペイン風邪で落命したドイツ将兵たちの慰霊祭が行われた。この慰霊祭は22年も続いているという。

次女の後輩たちがドイツ国歌の伴奏と歌で参加した。今年の春ドイツに行った生徒と、再来年の春ドイツ公演に参加する予定の生徒たちが、演奏を披露した。

2年に一度ドイツで演奏を披露することもあって、ドイツはなじみの国だ。日ごろの授業では第一次大戦と習志野俘虜収容所を取り巻く事情を学習していることもあって、演奏を披露する生徒たちの表情は確信に満ちている。ドイツを好きになればこそ、ドイツ公演の準備に心が込められるというまっすぐでシンプルな動機だ。帰国直前に落命した三十数名の将兵たちの無念が自分事になっている。慰霊という式典の性格を顧慮してか、彼女たちのトレードマークである笑顔こそ、抑制されていた代わりに、真心が特盛にされている。

演奏の出来以前に彼女らの立ち居振る舞いがすでに式典の雰囲気を引き締めている。リハーサルから静溢で敬虔な雰囲気が立ち込め始めていた。本番を待つ間もこれ以上望みようのない態度。

ハイライトのドイツ国歌斉唱はいきなりやってくる。楽器をもって伴奏するのは2年生、歌うのは1年生とおおまかな分担ができている。歌も伴奏も当然のごとく暗譜だ。正面の慰霊碑をただただまっすぐに見つめた演奏だ。先のコンクールに比べればギラギラした意思は影をひそめ、参列者を祈りで包み込むかのよう。そりゃもうすごい演奏。あの世のドイツ兵たちも浮かばれるだろう。この間、大使館付武官の空軍大佐は、渾身の敬礼を将兵の霊に捧げている。身じろぎもせぬ迫力と乙女たちの歌声が妙にシンクロしている。すごいなドイツという国はと思わざるを得ない。高校ナンバーワンオケの演奏だと同席の空軍大佐夫人に英語で耳打ちをしておいた。念のためである。彼女のリアクションは印象的だった。いわく「エモーショナル」「エレガント」「ピュア」という単語だけ聞き取れた。

式典の最後に、一人ひとりが慰霊碑に献花した。彼女たちは両親はもちろん、祖父母でさえまだまだ元気に存命中の世代であることを思うとき、慰霊碑に献花して一心に手を合わせる姿は、ただただ感動的だ。惜しむらくはこの時のBGMが録音の再生だったのが心残り。ここのBGMまで生徒たちの演奏だったらなお趣が深まったはずだ。演奏を続けながら交代で献花するなんぞ、彼女たちにとっては朝飯前のはずだ。

敬虔な時間。人のために祈るという喜びに満ちた時間だった。前日の雨をピタリと押しやる乙女らの真心は無念の死を遂げたドイツ兵たちに届いたに違いない。

彼女たちの式典への参加は今年で3回目だというのに、もはや乙女たちの演奏と歌声は式典に不可欠の様相を呈している。清楚な制服姿と、その立ち居振る舞いは、式典の華と見えた。式典後の記念撮影をする彼女たちに、いつもの笑顔が戻っていた。そこにおらぬ限り、あの空気感は伝わらぬ。ブログの下手な文章は失笑のキッカケに過ぎまいが、言わずにはいられぬ因果な性格だ。

2016年11月22日 (火)

樹海

樹海の定義って何だろう。森と違うのだろうか。森は散歩の対象だが、樹海という言葉には近づき難いニュアンスを感じてしまう。迷い込んだが最後という仄めかしが脳味噌に刷り込まれている。

我がブログ「ブラームスの辞書」も創業4000日を超え、記事の本数は本日の記事で4242本となった。定期的にアクセスしていただいて日常のアクセントとしてご愛顧いただく分には、何ら支障はないものと思う反面、何かの調べ物となると厄介だ。

記事が密林状態だから、お目当ての記述に容易にたどり着けないと想像する。ブログ内検索をやっても、キーワードの選び方によっては膨大な記事がヒットしてしまうこともある。カテゴリーから目星を付けるにしても同様だ。

それも一興として記事の乱雑な錯綜振りをお楽しみいただける方々には、存分にお楽しみいただけばいい。もし急ぎの調べ物がある場合には、メールかコメントでお知らせいただければ喜んでお手伝いしたい。オタクな依頼があれば記事のタネにもなる。管理人として記事をエクセルで別管理しているから、一般のヴィジターよりは検索が速いと思われる。もっと大事なのは、言及したことが無いネタはたちどころに判る。書いた覚えが無いからだ。このことは重要だ。悩ましいのは未公開の記事の中に答えがある場合だ。3年後に公開予定の記事にお求めのネタがあっても読者が困るだけだ。空気を読みつつ記事公開の予定を早めることも考えねばなるまい。

2016年11月21日 (月)

お客様相談室

顧客からの問い合わせ窓口に対して企業が与えるネーミングの上位に来るだろう。質問の受付もあるが、クレームの受付窓口という性格も強い。こうした部署を舐めていると手痛いしっぺ返しがあることは明らかだ。

約300冊の「ブラームスの辞書」が世の中に出た後、ユーザーの皆様からの質問や苦情に対応する窓口を残しておかねばならない。つまりお客様相談室だ。著書が世の中に出たとは言っても、ネタの源泉はブラダスにある。ブラダス全てを著書に反映させたわけではないから、「ブラームスの辞書」を読んで興味を持ったユーザーからの質問があればそれに対応するのも務めの一つだと思う。

2016年11月20日 (日)

クーリングオフ

通信販売や訪問販売に関連するトラブルから消費者を守るしくみのことだ。一消費者とすればありがたくて頼もしい制度だと思っていた。自分が本を売る立場になってしまった現在少々見方が変わってきた。

元々クーリングオフは深く考える時間を与えられないまま無理やり締結させられてしまった契約の解除が一定期間無償で出来てしまうという制度だ。消費者保護の代表格であるのだが、消費者自らが店舗に出向いた場合や、ネットショップに自らアクセスした場合には適用されないことになっているらしい。衝動買いのなんちゃって制度ではないのだ。一部の強引な売り手から消費者を守るための制度なのだろう。

我が「ブラームスの辞書」は強引な販売をしないので今まで売れた中ではクーリングオフされたことはない。注文が入ると「著者は専門の音楽家ではないので内容もそれなりですが、それでもいいのですか?」とお尋ねするという手順を欠かしていない。今までに数名の方がそうしたやりとりの中から注文を取り下げて下さった。これまで返品が無いということにはそうした対応も貢献している。

返品されても発生した送料は返って来ない等、返品のマイナス面はいくつか挙げられようが、「実際に届いてみたらさほどの本じゃなかった」ということかもしれないと思うと背筋が寒い。

そういう行き違いを最小限にするための工夫が実はブログ「ブラームスの辞書」なのである。

2016年11月19日 (土)

平常営業

今年の2月に9か月の長きにわたった特集「室内楽ツアー」を終えた。2015年5月のブログ開設10周年記念企画だった。それ以降、ブログ運営系の記事を意図的に堆積させながら、「軍隊行進曲」「伝記」などの小さな企画をちりばめてきた。

実はこうした姿こそブログ「ブラームスの辞書」の平常営業だ。期間が半年、1年となるような大型企画はむしろ例外だ。大型企画は、その期間中の突発イベントに対する反応が難しい。緩い企画を連発し、小型企画をそこに織り交ぜるという程度が、具合がよろしいということだ。

企画ものが途切れると落ち着かないのも事実だが、ブログ本来のスタンスも忘れていない。

2016年11月18日 (金)

目から鱗

何かをキッカケに物事の実態がわかるようになることのたとえだ。

思うにブロガー喜ばせ用語の筆頭格だ。書籍やブログの読者からこの言葉が発せられるとたとえお世辞とわかっていても舞い上がってしまう。つまり「あなたのブログをきっかけでブラームスについての知識が深まりました」の意味で用いられた場合、やたらにうれしいのだ。毎日ブラームスについてネチネチ考えを深めていた甲斐があるというものだ。

面白いのはその言葉の発信されるタイミングだ。こちらが力を入れて満を持して発信した記事には反応がなくて、何気ないつなぎの記事に対して寄せられるケースが少なくない。喜んでいいのか悪いのかな現象である。

2016年11月17日 (木)

操作ミス

ブログを初めて5年以上経っているから、管理画面の操作には慣れてきた。

それでも唖然とするような操作ミスをしてしまう。マウスが壊れたので新しいのに変えた頃、マウスの感度が微妙に違っていて、カーソルが身に覚えの無い挙動を示した。これが思わぬ操作ミスに繋がる。大抵は大事に至らぬが、一度凄いことがあった。

備蓄中のブログの記事は、最適な公開タイミングを狙って凍結されているようなものだ。クリック1個で解凍して公開している感覚だ。マウス操作のミスで先付け公開予定の記事が、公開されてしまったことがある。このミスは苦労してセッティングした公開順序を台無しにしてまうし、ネタバレの可能性もある。

保存ボタンを押した後の画面の挙動が違うからすぐに気付いた。幸い誰もアクセスしていなかったから、すぐに非公開に戻したが冷や汗をかいた。

ブログ記事の備蓄が膨らんで行くと、この手の操作ミスの可能性が高まる。備蓄をせっせと進める方針に変更は無いが、注意が必要である。有効な対策は無い。ただただ目視確認である。

2016年11月16日 (水)

自費出版

著者自腹で出版すること。読んで字の通りだ。誤解の余地など無いと思うのだが、世の中うまくいかない。

私の「ブラームスの辞書」も自費出版だ。版組み、校正、印刷、製本の費用は全て著者である私が負担した。完成後の本の保管費用もある。その他経費も含め私が負担した。その代わり売れれば売上は全部私のものだ。

出版社が私の原稿に目をつけ、売れると判断すれば通常の出版ということになるが、ワールドカップで日本がブラジルに勝つよりかなり可能性が低い。出版社にすれば、売上の中から経費はもちろん利益もひねり出さねばならないから、そのあたりの見極めはシビアだ。著者が有名人でもなく、さしたる話題作でもないアイデアをどうしても本にするとなると、選択肢は自費出版しか残らないのだ。

もちろんブラームス自身の作品は本人の厳しい自己審査を経て全て通常出版された。自費出版は一つもない。ブラームス作品は出版社から見ればドル箱なのである。

ブラームスがハンブルク時代の恩師マルクゼンへの感謝の印にピアノ協奏曲第2番を献呈したことはよく知られている。1882年のことだ。実はその翌年マルクゼンの音楽家生活50周年を祝って粋なプレゼントをした。マルクゼンの「民謡による100の変奏曲」を自費出版したのだ。自作が印刷されたのを見てマルクゼンは大いに喜んだという。麗しい師弟愛だ。

ところが、このエピソードはガイリンガーの大著「ブラームス」と、音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻ホイベルガーの記述が食い違っている。自費出版の事実はあるようだが、前者はマルクセンの生前の出版としているのに対して後者は没後の出版としている。

私と違ってブラームスの経済力は大したものなのだ。当時の彼の影響度を考えると、出版社に圧力をかけてマルクゼンの作品を正式に出版させることだって出来たと思う。しかし彼はそうしなかった。ジムロック等の出版社と友達づきあいをしていたブラームスは、出版社側の事情にも精通していたからマルクゼンの作品が出版社のロジックから見ればけして出版されないと判っていたと思う。

だからブラームスは自費出版を選んだのだ。

そのあたりの事情もろもろ全部含めて美しい話だと感じる。

2016年11月15日 (火)

定石とひらめき

将棋が好きだ。もっぱら観戦だけだけれど好きである。81マスの宇宙で繰り広げられる読み合いが面白い。先手側の初手のケース、駒の動かし方は30通りの可能性がある。歩は各1通りで角や桂馬は初手に関しては打つ手がない。この調子で数えると可能性としては30通りになるのだ。現実に打たれるのはこのうちの2種が圧倒的である。飛車先を突くか角道を開けるかである。このほかの28種類はあまり選択されない。後手にとっても初手の条件は同じだ。先手が打った手を加味するが種類としては30からの選択だ。

大げさに言えば初手から投了まで全ての局面で、プレイヤーは全ての可能性から1つを選択しているのだ。とはいっても各々の局面でいちいち全ての可能性を吟味するのは大変だ。持ち時間は無限ではない。そこで思考の節約、時間の節約のためにあるのが定石、あるいは手筋なのである。「どうしたら勝てたか」あるいは「どうやったら負けたか」についての経験則の積み重ねを体系化した代物と言い換えてもいい。

さて作曲に話を移す。誤解お叱り覚悟で極論を申し上げる。作曲とは詰まるところ、無限の可能性の中から次の音を決定する作業だ。決定の対象は「音の高さ」と「長さ」である。どの楽器に弾かせるか、テンポをどうするか、アーティキュレーション、音のニュアンスをどうするかは最後の仕上げに過ぎまい。将棋指しならぬ作曲家が次なる音を決定する際にも定石が存在する。「和声法」「対位法」「管弦楽法」と呼び習わされている。

肝心なこと。将棋名人ほど定石とひらめきのバランスが絶妙だということだ。完璧に定石通りに指しても負けては仕方かが無い。相手棋士も定石を知っている訳だから、最後に雌雄を決するのは裏のかきあいだ。本当の勝負所でものを言うのは定石ではなくひらめきだというケースもあるらしい。ひらめくかどうかは、経験と天性だ。

楽典をはじめとする音楽の様々な定石を完璧に守ったつまらぬ曲が存在するのと似ている。決まりを完璧に守り通しても名曲になるとは限らない。「名曲」という概念は勝ち負けに比べれば数段曖昧な概念だが、クラシック音楽として淘汰されずに残った作品を「名曲」つまり勝ち組と位置づけてもいいだろう。どうすれば耳に心地よいかという経験則の積み重ねが楽典をはじめとする諸ルールだが、勝負所では耳が頼りなのだ。

定石とひらめきの違いは意外と簡単だ。「定石」は勉強することで習得出来るが、ひらめきは多分に天性である。ひらめかない奴がいくら勉強してもいっこうにひらめかないらしい。

さてさて定石とひらめきのバランスと申し上げたが、はたしてどれくらいの比率が理想なのだろう。これには決まった答はない。「ひらめき100%・定石不在」の名作もあり得る。強いて言えば「ひらめき不在・定石100%」という作品は勘弁願いたい。ブラームスも「霊感無しには1行も作曲すべきではない」と言っている。

2016年11月14日 (月)

メンデルスゾーン総集編

思ったほど記事数が伸びず年内で息切れ。

  1. 2016年10月16日 イタリア交響曲
  2. 2016年10月18日 メンデルスゾーン
  3. 2016年10月19日 それは神の思し召しのままに
  4. 2016年10月20日 メンデルスゾーン 管弦楽作品集
  5. 2016年10月21日 改宗
  6. 2016年10月25日 我ら人生の半ばにありて
  7. 2016年10月26日 本当の狙い
  8. 2016年10月27日 M.B.
  9. 2016年10月28日 交響曲ハ長調
  10. 2016年10月29日 マタイを贈られる
  11. 2016年10月30日 フィンガルの洞窟
  12. 2016年10月31日 怖い物を見たい
  13. 2016年11月01日 残念なこと
  14. 2016年11月02日 あてつけ
  15. 2016年11月03日 交響曲はお嫌い
  16. 2016年11月04日 メンデルスゾーン忌
  17. 2016年11月06日 庭師
  18. 2016年11月07日 カルタは無理
  19. 2016年11月08日  Letzte  Gluck
  20. 2016年11月09日  Im Waldes
  21. 2016年11月10日 銀行家パウル
  22. 2016年11月11日 会見の記録
  23. 2016年11月12日 メンコンの記憶
  24. 2016年11月14日 本日のこの記事。
昨日、同時多発テロから1年。フランスのために祈る記事を捧げた関係で一日遅れの総集編となった。特集と銘打ってたったの24本とはあんまりな惨状である。

2016年11月13日 (日)

フランスという国

ブラームスの伝記を隅々まで読んでもフランスについての記述は少ない。

1871年普仏戦争の記述はむしろ例外だ。この対仏勝利により、ドイツ帝国が成立した。立役者はプロイセンだ。ブラームスはこれをたいそう喜び、「勝利の歌」が成立する。特にビスマルクに首ったけだったようだ。

この他にフランスについての記述は甘い。生涯フランスの地を踏まなかったから無理もない。英国と違って海があるからという言い訳も出来ない。ブラームスはサンサーンスやベルリオーズとは会ったことがあるし、クープランの作品にも興味を持っていたとは言え、フランスとの関わりは希薄だ。

ところが、どうもブラームスの葬儀にパリが代表を送り込んだらしいのだ。ガイリンガーのブラームス伝にそう書いてある。一方音楽之友社刊行、日本ブラームス協会編「ブラームスの実像」の最終章には現れない。会葬者の名前を個人団体の別なく克明に記述しているのにパリらしき記述が無い。国葬ではないから国の正式な弔使ではないから記録漏れがあるのかもしれない。

パリが代表を送ったら送ったで少し意外な気もする。普仏戦争をフランス側から見れば負け戦だ。これによりアルザス・ロレーヌ地方がドイツに割譲の憂き目を見た。負けた側の遺恨は四半世紀が経過しても残っているものだ。現に後世の歴史家の中には、この時の遺恨がさらに20年近く後の遠く第一次世界大戦にまで繋がっていると指摘するほどだ。

考えさせられた。

詳しい経緯は不明だから、芸術に国境がないとか、ブラームス作品の偉大さのなせる業とか、ベタな落としどころに安易に持って行くことは避けたい。

少なくともブラームスの作品に敬意が払われていたことを疑うことは出来ない。懐が深い気がする。私が言うのも変だが、ひとまず「ありがとうフランス」。

だからという訳でもないが、がんばれフランス。

2016年11月12日 (土)

メンコンの記憶

大学に入ってからオケに入団して、ヴィオラを始めた私のオケデビューは、冬の定期演奏会だった。入学から9ヵ月後の1979年1月7日のことだ。メインプログラムのブラームス第二交響曲が私のオケデビュウだ。

当時は中学時代から続いていたベートーヴェンラブの真っ最中だったので、「デビューがブラ2」という事実でさえ淡々と受け流していた。苦労もしたけど本当に感動した。でも「ベートーヴェンだったらもっと面白いはず」と真面目に思っていた。
大学オケの次の定期演奏会は6月。メインプログラムにベートーヴェンのエロイカ交響曲が選ばれたときはまじめに嬉しかった。このときオープニングに決まったのがブラームスの大学祝典序曲だった。これが運命を分けることとなる。練習を積み重ねていく過程で大学祝典序曲の面白さに気づいた。一方エロイカは不完全燃焼に終わった。この演奏会をきっかけにブラームスへの傾斜が決定的になった。
さて前置きが長くなった。この時のオープニング「大学祝典序曲」と、メイン「エロイカ」に挟まれたサブプログラムが「メンコン」つまりメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲だった。知らぬもののない超有名曲なのだが、ビギナーにはフィナーレのシャープ4個が厄介だった。
独奏ヴァイオリンは加藤知子先生。第一楽章の第二主題の下地に敷き詰めるヴァイオリンの伸ばしの美しさに呆然とした。
メンデルスゾーン特集が一度もメンコンに言及せずに終わるところだった。

2016年11月11日 (金)

会見の記録

ブラームスの伝記を読んでいると著名な作曲家との面会が記述されている。いわゆる大作曲家同士のそうした会見は、後世の愛好家にとって大変興味深い。

  1. フランツ・リスト 1853年6月12日。リスト作品演奏中に居眠りというエピソードあり。
  2. ロベルト・シューマン 1853年10月1日デュッセルドルフにシューマンを訪問。ブラームスの人生の転換点。1856年7月28日に臨終に立ち会う。
  3. ルイ・エクトル・ベルリオーズ 1853年秋おそらく11月ライプチヒにて。
  4. リヒャルト・ワーグナー 1864年2月7日にただ一度実現。
  5. ヨハン・シュトラウス 初対面は意外にわからない。1866年夏バーデンバーデンかもしれぬ。
  6. カミーユ・サンサーンス 1870年ミュンヘン。「ニーベルグの指環」前半の公演の会場で会った可能性がある。
  7. アントン・ブルックナー ウィーンのレストラン「赤いハリネズミ」にて。
  8. アントニン・ドヴォルザーク 1879年秋おそらく9月プラハにて初対面。
  9. ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー 1888年1月2日ライプチヒにて初対面。1889年3月12日ハンブルクにて再会。
  10. エドワルド・グリーク 1888年1月2日ライプチヒにて初対面。 
  11. リヒャルト・シュトラウス 1885年秋おそらく10月マイニンゲンにて初対面。
  12. グスタフ・マーラー 1893年夏イシュルにて初対面。

バッハ、ベートーヴェン、ハイドン、ヘンデル、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパンには会っていない。当たり前だ。しかし、ブラームスの伝記においては、会ってもいないこれらの作曲家への言及が目立つ。実はこのことがブラームスの特長の一つになっていると感じる。

2016年11月10日 (木)

銀行家パウル

フェリックス・メンデルスゾーンがハンブルクの裕福な銀行家の長男だということはよく知られている。しかし彼は家業を継がなかった。しからば誰がという疑問に答えるのが本日の主眼だ。

それはフェリクスの3つ年下の弟パウルだった。チェロの達者な弾き手でもあった。1854年2月ロベルトの投身により苦境に陥ったクララに真っ先に経済的援助を申し出た。銀行家らしく小切手を送ったのだ。間もなく生まれる夫妻の末子が、兄の名前を背負ったことも含め、兄フェリクスと夫妻の交友をよく知っていたものと思われる。

その後欧州中を駆け回って演奏会に明け暮れるクララは、銀行家パウルの顧客だったという。

2016年11月 9日 (水)

Im Waldes

メンデルスゾーンの作品47冒頭の1番。

いやはやおすすめ。美しいとしか言いようのないメロディ。ロマン派歌曲の頂点とも目される。人の声の美しさを再認識。時々出てくるウムラウトの美しさは特筆モノ。プラーテンの作によるテキストに情感を積み上げ。
声楽アンサンブルSingerPurの演奏で聴いている。

2016年11月 8日 (火)

Letztes Gluck

アルバム「SOS」でポップなドイツ民謡を聞かせてくれたヴォーカルアンサンブルSinger Purにはまっている。本日のお題「Letztes Gluck」は、彼らのアルバムのタイトルだ。このCDはなかなか意地悪で、ジャケットに収録曲が書いていない。購入しないと曲がわからぬ仕組みだ。ドイツロマン派の歌という副題と、ブラームス、シューマン、シューベルト、メンデルスゾーン、レーガー、Rシュトラウスという作曲家名の表示にとどまっている。しかしこのタイトルはブラームスの合唱曲op104-3に一致する。先般のアルバム「SOS」の出来映えがあまりに鮮烈だったこともあって思い切って購入した。

帰宅してブックレットをめくる。案の定ブラームスのop104-3が収録されていた。マックス・カルベックのテキストによる合唱曲だ。Singer Purというグループは、男声5名にソプラノ1名の総勢6人のアンサンブルだから、オリジナル合唱曲を重唱として聞かせてくれるということだ。

聴いてみる。これまた大当たりだった。

全22曲のうちブラームスが6曲収められている。これはメンデルスゾーンの8曲に次ぐ数だ。おまけに先般紹介したシューマンの「野ばら」も聞かせてもらえる。野ばら観が変わる位の衝撃だ。それからロマン派の御大たちに混ざってジルヒャーも「ローレライ」を含む3曲が採用されている。

このあたりのロマン派のアカペラ重唱はただただ美しい。

2016年11月 7日 (月)

カルタは無理

2010年1月6日の記事「カルタのノミネート」で今後カルタになりそうな人物を予想した。その中に第10位ながらメンデルスゾーンが入っていた。メンデルスゾーンで作れるくらいならば、ブログ「ブラームスの辞書」ゴールの2033年までの記事確保は安泰だと述べた。

「メンデルスゾーンいろはガルタ」を元日にアップできればカッコいいのだが、正直なところ無理だ。生煮えのまま無理矢理数を合わせてもお里が知れるだけだ。

ネタの源泉となる情報が決定的に不足している。愛情の不足も疑わねばならない。カルタを作りきってしまったドヴォルザークはよっぽどのことなのだ。

2016年11月 6日 (日)

庭師

記事「フィンガルの洞窟」の中で作品17に属する4曲の合唱曲について、その珍しい編成について述べた。

その周辺を調べていてお宝情報を発見した。先日言及した「フィンガルの洞窟」op17-4のひとつ前に「庭師」という作品がある。アイヒェンドルフによるこの作品のテキストはメンデルスゾーンの女声合唱曲と同じものだ。

作品17は女声合唱の伴奏をハープと2本のホルンにさせていることが特色だが、メンデルスゾーンとの関連を疑わせる作品が2つも混入していた。

2016年11月 5日 (土)

108年ぶり

アメリカの野球の話。11月2日にシカゴカブスが108年ぶりにワールドシリーズを制覇した。

前回の優勝は1908年だという。同チームの創立は1871年で、最古参のチームであるばかりか、創設から本拠地が変わっていないことも特筆される。1871年といえばブラームス存命どころかまだ30代で交響曲が書かれる前だ。これをカブスの歴史が古いととるか、ブラームスって意外と最近なのねととるか迷うところだ。もちろん1891年創設のシカゴ交響楽団より古い。

本来昨日真っ先に記事にすべきなのだが、昨日11月4日はメンデルスゾーンの命日ということでやむなく一日遅れの言及とする。

2016年11月 4日 (金)

メンデルスゾーン忌

1810年生まれのメンデルスゾーンがなくなったのは1848年11月4日だ。つまり今日は命日。

ブラームス愛好家にとって11月4日は特別な日でもある。1876年11月4日にカールスルーエで第一交響曲が初演されたからだ。

メンデルスゾーン特集の期間中にこの日が訪れるようささやかな配慮が心地よい。

2016年11月 3日 (木)

交響曲はお嫌い

ブラームスは3シーズン足かけ4年、ウィーン楽友協会の芸術監督の座にあった。楽友協会主催の演奏会の曲目決定権を持っていた。

1873年1月5日にメンデルスゾーンのカンタータ「もうひとつのワルプルギス」を取り上げ、1875年1月10日には歌劇「カマーチョの結婚」序曲を取り上げた。メンデルスゾーンの作品はこの2曲だけだ。

ヴァイオリン協奏曲も交響曲もさしおいて取り上げるという感覚は、現代の愛好家のそれとは隔たりがある。

この現象はメンデルスゾーンに限ったことではない。交響曲そのものが何故か忌避されている。ブラームス自身の交響曲はまだ1曲も完成する前だから仕方ないとして、ベートーヴェン、シューマン、シューベルト、モーツアルト、メンデルスゾーンの交響曲が全滅だ。彼等の作品は交響曲に限定しなければ取り上げているから、やはり交響曲を避けたのかもしれない。もちろんドヴォルザークもチャイコフスキーもない。唯一取り上げたのがハイドンの44番だけというところが渋い。

この手の渋めのチョイスが当時の聴衆の好みかというと、どうやらそうでもない。ブラームスの選択を水面下で批判する声は大きかったようだ。ブラームスらしく入念に準備された演奏ばかりだったようだが、選曲がこれでは客は呼べないという営業サイドからのブーイングがあったのは確実だ。

2016年11月 2日 (水)

あてつけ

まずは以下の文章をお読みいただく。

メンデルスゾーンは常に純粋な様式の模範であり続け、際立った音楽的個性の持ち主として一般に認められるだろう。その個性はベートーヴェンのような天才の前では確かに見劣りするだろうが、ドイツの職人的音楽家の群れからは遥かに際立っている。

これがどうやらチャイコフスキーのメンデルスゾーン評らしい。チャイコフスキーはおそらく、この文章でメンデルスゾーンを誉めたいのだ。この発言がいつのものなのか確認中だ。

「ドイツの職人的音楽家の群れ」という言い回しが気になっている。ブラームスを念頭に置いた発言のような気がする。

2016年11月 1日 (火)

残念なこと

メンデルスゾーンという作曲家が気になっている。書店を徘徊していて残念な情報を見つけた。メンデルスゾーンのピアノ作品の解説書の中だ。

作品解説に先立つ総論があって、その一部で古今の作曲家とメンデルスゾーンの関係が書かれている。その中に目を疑う記述があった。

「ブラームスはメンデルスゾーンを顧慮していなかった」というものだ。

婉曲な表現ではなくほとんど断言されている。しかも困ったことに根拠らしい根拠も示されていない。それ相応の専門家が、書籍という開かれた媒体で断言するからには、荒唐無稽な妄想ということはないだろう。根拠を是非ともお聞かせいただきたいものである。

私個人は、シューベルトに先立ってメンデルスゾーン取り上げたくらいなのだが、どうも水を差された感じだ。

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