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2016年11月13日 (日)

フランスという国

ブラームスの伝記を隅々まで読んでもフランスについての記述は少ない。

1871年普仏戦争の記述はむしろ例外だ。この対仏勝利により、ドイツ帝国が成立した。立役者はプロイセンだ。ブラームスはこれをたいそう喜び、「勝利の歌」が成立する。特にビスマルクに首ったけだったようだ。

この他にフランスについての記述は甘い。生涯フランスの地を踏まなかったから無理もない。英国と違って海があるからという言い訳も出来ない。ブラームスはサンサーンスやベルリオーズとは会ったことがあるし、クープランの作品にも興味を持っていたとは言え、フランスとの関わりは希薄だ。

ところが、どうもブラームスの葬儀にパリが代表を送り込んだらしいのだ。ガイリンガーのブラームス伝にそう書いてある。一方音楽之友社刊行、日本ブラームス協会編「ブラームスの実像」の最終章には現れない。会葬者の名前を個人団体の別なく克明に記述しているのにパリらしき記述が無い。国葬ではないから国の正式な弔使ではないから記録漏れがあるのかもしれない。

パリが代表を送ったら送ったで少し意外な気もする。普仏戦争をフランス側から見れば負け戦だ。これによりアルザス・ロレーヌ地方がドイツに割譲の憂き目を見た。負けた側の遺恨は四半世紀が経過しても残っているものだ。現に後世の歴史家の中には、この時の遺恨がさらに20年近く後の遠く第一次世界大戦にまで繋がっていると指摘するほどだ。

考えさせられた。

詳しい経緯は不明だから、芸術に国境がないとか、ブラームス作品の偉大さのなせる業とか、ベタな落としどころに安易に持って行くことは避けたい。

少なくともブラームスの作品に敬意が払われていたことを疑うことは出来ない。懐が深い気がする。私が言うのも変だが、ひとまず「ありがとうフランス」。

だからという訳でもないが、がんばれフランス。

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