日々の記憶
結婚記念日を忘れられてヘソを曲げる妻と、謝る夫。作劇上よくあるパターンだ。
人間の記憶とは抜けが多い。どんなに記憶力に自信がある人でも、ほとんどの日は特定な記憶と結びついていない。先ほどの例で申せば結婚記念日を忘れた夫にヘソを曲げていた妻も、その前日や翌日に何があったかなど覚えてはいるまい。それどころか昨年の結婚記念日の朝食に何を食べたかも忘れているだろう。
クリスマス、誕生日、結婚記念日など人生は記念日によってメリハリが付けられているが、ほとんどの日は何もない日として忘れ去られるのだ。逆に申せばだから記念日はありがたいのだ。
ブログ「ブラームスの辞書」は、放置すれば忘れ去られるばかりの何も無い日を、毎日1本更新される記事によって規定する機能がある。あの日何をしたかは判らぬが、何を考えていたかは痕跡として残る。そこを追求するなら単なる日記にすれば良いのだが、それではつまらない。どんなブラームスネタにこじつけたかによって、何でもなかった日を記憶の渕に止めるのだ。あるいはブラームスネタへのこじつけに失敗した日として記憶されることもあろう。
ほとんどの人にとってどうでもいいこと。







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