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2016年11月28日 (月)

廃棄の自主基準

やりとりされた手紙の内容や、友人知人の証言から、ブラームスが10代の頃から作曲を始めていたことが確実視されている。交響曲、ヴァイオリンソナタ、弦楽四重奏曲において、現在第1番として流布する作品以前に、少なくとも一曲以上作曲されていたこともよく知られている。

ところが、実際に作品を見ると10代の頃作曲した作品はほぼ残されていないと断言出来る。伝記では大抵「厳しい自己批判の結果廃棄された」と書かれていることが多い。10代の頃作曲したそばから廃棄していたこともあるだろうし、シューマン夫妻やヨアヒムとの交流後に知り得た知見に照らして、廃棄を決断したこともあるだろう。そこにブラームス独特の自主基準が存在したことは疑うことが出来ない。

廃棄を免れた作品と廃棄された作品の間に、決定的な違いがあるに決まっている。

現在我々の目の前にある作品は、そうした自主基準に照らして合格判定の出された結果で横たわっていることになる。その自主基準とはいかなるものだったのだろうか?基準に満たぬ作品は容赦無く廃棄されたという自主基準を見てみたいと言うのが愛好家の本音に違いない。恐らく明文化などされてはおるまい。ブラームス自身の本能の命じるままなのだろう。楽想をひねり出すブラームスと、その結果を冷静に吟味し、非情な判断をも示してみせるもう一人のブラームスがいたことになる。

何よりも素晴らしいことは、そこで下された判断が限りなく的確だということだ。使用された自主基準も的確なら、それに照らして下された可否判断も的確だったことに他ならない。残されているブラームスの諸作品が獲得している高い評価がそれを裏付けている。

とはいえ自主基準を満たすことが出来ずに廃棄された作品の中に、素晴らしい作品が無かったとは断言できない。ブラームス個人としては不満でも、我々愛好家を驚喜させる作品が存在した可能性は、少なからず残っていよう。もったいないことだ。「無様な作品をけして残すまい」というブラームス独特のプライドに心から賛同するものの、もったいないという気持ちが無いと言ったらウソになる。

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