Volkstrauertag
「ドイツ国民哀悼の日」とも訳されようか。1993年に制定された。毎年11月第三日曜日となる。戦没者やナチスの犠牲者を追悼する日と定められている。
だからなのだ。先の日曜日に習志野霊園にドイツ大使館付の武官を迎え、第一次大戦で俘虜となって習志野に収容されたままスペイン風邪で落命したドイツ将兵たちの慰霊祭が行われた。この慰霊祭は22年も続いているという。
次女の後輩たちがドイツ国歌の伴奏と歌で参加した。今年の春ドイツに行った生徒と、再来年の春ドイツ公演に参加する予定の生徒たちが、演奏を披露した。
2年に一度ドイツで演奏を披露することもあって、ドイツはなじみの国だ。日ごろの授業では第一次大戦と習志野俘虜収容所を取り巻く事情を学習していることもあって、演奏を披露する生徒たちの表情は確信に満ちている。ドイツを好きになればこそ、ドイツ公演の準備に心が込められるというまっすぐでシンプルな動機だ。帰国直前に落命した三十数名の将兵たちの無念が自分事になっている。慰霊という式典の性格を顧慮してか、彼女たちのトレードマークである笑顔こそ、抑制されていた代わりに、真心が特盛にされている。
演奏の出来以前に彼女らの立ち居振る舞いがすでに式典の雰囲気を引き締めている。リハーサルから静溢で敬虔な雰囲気が立ち込め始めていた。本番を待つ間もこれ以上望みようのない態度。
ハイライトのドイツ国歌斉唱はいきなりやってくる。楽器をもって伴奏するのは2年生、歌うのは1年生とおおまかな分担ができている。歌も伴奏も当然のごとく暗譜だ。正面の慰霊碑をただただまっすぐに見つめた演奏だ。先のコンクールに比べればギラギラした意思は影をひそめ、参列者を祈りで包み込むかのよう。そりゃもうすごい演奏。あの世のドイツ兵たちも浮かばれるだろう。この間、大使館付武官の空軍大佐は、渾身の敬礼を将兵の霊に捧げている。身じろぎもせぬ迫力と乙女たちの歌声が妙にシンクロしている。すごいなドイツという国はと思わざるを得ない。高校ナンバーワンオケの演奏だと同席の空軍大佐夫人に英語で耳打ちをしておいた。念のためである。彼女のリアクションは印象的だった。いわく「エモーショナル」「エレガント」「ピュア」という単語だけ聞き取れた。
式典の最後に、一人ひとりが慰霊碑に献花した。彼女たちは両親はもちろん、祖父母でさえまだまだ元気に存命中の世代であることを思うとき、慰霊碑に献花して一心に手を合わせる姿は、ただただ感動的だ。惜しむらくはこの時のBGMが録音の再生だったのが心残り。ここのBGMまで生徒たちの演奏だったらなお趣が深まったはずだ。演奏を続けながら交代で献花するなんぞ、彼女たちにとっては朝飯前のはずだ。
敬虔な時間。人のために祈るという喜びに満ちた時間だった。前日の雨をピタリと押しやる乙女らの真心は無念の死を遂げたドイツ兵たちに届いたに違いない。
彼女たちの式典への参加は今年で3回目だというのに、もはや乙女たちの演奏と歌声は式典に不可欠の様相を呈している。清楚な制服姿と、その立ち居振る舞いは、式典の華と見えた。式典後の記念撮影をする彼女たちに、いつもの笑顔が戻っていた。そこにおらぬ限り、あの空気感は伝わらぬ。ブログの下手な文章は失笑のキッカケに過ぎまいが、言わずにはいられぬ因果な性格だ。
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