イシュルの恋
我がブログで「イシュルの恋」などと申せば、ブラームスのロマンスかと紛らわしい。
1853年夏の出来事だ。ブラームスにとってもシューマン邸宅を訪ねる直前の夏、レーメニーと決裂したブラームスは、ゲッティンゲンにヨアヒムを訪ねすっかり意気投合した後、ライン地方に徒歩旅行を企てたのが8月だった。
その8月16日に欧州のセレブが集結する避暑地イシュルでオーストリア皇太子は見合いにのぞんだ。お相手はバイエルン・ヴィッテルスバッハ家の王女でヘレーネといった。見合いの席に王女の妹エリザベートも同席したのが運命の分かれ道だ。皇太子はその妹に一目ぼれした。シシィである。母親どうしが姉妹だから2人はいとこ同士だった。
翌17日夜の舞踏会で、皇太子がダンスに誘ったのは妹のシシィだ。王室の作法を無視してシシィは皇太子の誘いを受ける。当時のしきたりで舞踏会最後の「コチュン」をシシィと踊る皇帝がいた。つまりそれは破格の待遇で、実質的なプロポーズだった。
明くる18日は皇太子の23歳の誕生日。皇太子は母である皇后ゾフィーに、ヘレネではなくシシィを妃にと告げた。驚く母を尻目に話はトントン進む。
19日朝、シシィの結婚承諾書が皇太子のもとに届く。シシィ母娘の滞在するホテルに単独で乗り込んでシシィに接吻を贈る。皇太子にとって最高の誕生日プレゼントはシシィだ。
ヨアヒムと会ってようやく運が回ってきそうなブラームスが、一人ライン地方を単独で徒歩旅行をしていた頃、のちのオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の恋もまた花開こうとしていた。このことに言及するブラームス関連本は無いと申してよい。エッヘン。
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