シシィの隣
当時欧州一といわれた美貌の皇后エリザベートは、姑との確執からかウィーンを不在にしがちだったが、1873年は少々事情が違った。開催中のウィーン万博を訪れる外国からの賓客をもてなす席には欠かせない存在だったからだ。
ものさしで量ったように日本から岩倉使節団がウィーンを訪問した。1873年6月8日皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に謁見し明治天皇からの国書を拝呈する。同日皇帝主催の晩餐会が開かれ后妃も出席した。美貌の后妃の隣に座ったのが使節団の団長というべき全権大使の岩倉具視だった。
使節団の公式報告書たる「米欧回覧実記」には、晩餐会のことは詳しく書かれていない。使節団の目的や、公式報告書の位置づけからも、オーストリアの皇后が美人だったとは書きにくいのだろう。ビスマルクの演説を絶賛しているというのに、エリザベート后妃のことは、スルーしている。他国での歓迎晩餐会の様子も似たり寄ったりだから仕方がない。
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