不適合品の廃棄
ISO9001通称「品質ISO」は、品質管理システムの国際規格だ。厳密な定義は手に余るが、「顧客満足」「トレーサビリティ」が主たる柱と目される。平たく言うとお客様に変な商品をお届けしないことが主眼だ。自らの支配下にある倉庫から、不適合品を外部に出荷しないことに心が砕かれる。「不適合品の判定」「不適合品の別管理」「不適合品の廃棄」が事細かに手順化される。
この「出荷」を「出版」と読み替えることはとても興味深い。仮に作曲を終えても自らの手許に楽譜を留め置く限り、作品は世間に認知されない。出版という手続きを経て初めて、自作を世に問う形式が整うことになる。万が一ろくでもない作品を出版してしまったら、いわゆる「顧客満足度」が下がることになる一方で、出版さえしなければ加筆修正が思いのままという訳だ。ヴァイオリンの魔神パガニーニは、自らの作曲したヴァイオリン協奏曲の楽譜を出版しなかったという。曲に盛られた演奏のテクが漏れるのを防ぐ意図は明白だ。録音録画の無かった時代においては、出版さえ差し止めればある程度の機密保持は出来たものと思われる。出版こそが作品を世に問う行為であったと推定出来る。
ブラームスが「出版によって世に出た作品が全てである」という命題を肝に銘じていたことは想像に難くない。だからブラームスは、作品の完全性を突き詰めた。出版結果によって作曲家が評価されることを潔く受け入れ、逆にそれ以外の発信を封印した。極端な話、出版さえされなければ無かったも同然なのだ。出す以上は「優」が欲しいのだ。「可」の作品を後世に残すくらいなら単位を落とす方がましだとブラームスは考えているに相違ない。
だからこそ運命の分かれ目とも言うべき出版について、可否判断の手順が高い水準で確立されていた。本人がまれに見る完全主義者だったことに加え、クララ・シューマンが出版前に楽譜に目を通し第三者として意見していた。当代最高のピアニストにしてロベルト・シューマンの妻による承認がシステムとして確立していたことになる。さらにヨアヒムやビューローを筆頭とする演奏家や、音楽的素養の高いアマチュアも必要に応じてブラームスをサポートした。ブラームスが作曲家として確固たる地位を獲得して後は、ブラームスを囲むこうした体制で、相応しくない作品、つまり不適合品の廃棄が体系的に行われていたと解したい。
作品の「はずれの無さ」「打率の高さ」は、こうした体制の賜物であると思われる。
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