ゲッティンゲンの7人
女性の王位継承を認めないサリカ法のせいで、ヴィクトリア女王はハノーファー王位に就けなかった。代わりにとハノーファー王になったのがエルンスト・アウグストという人物。ヴィクトリア女王の叔父にあたる。同国は英国の影響もあって民主的な政治が行われており、ブラームスが生まれた1833年には新憲法が採択されていたほどだ。
ところが、1837年の即位早々の王エルンスト・アウグストがこの新憲法の破棄を宣言してしまったことから、世論が沸騰する。迂闊に抵抗できない市民に代わってという形で、ゲッティンゲン大学の教授7名が、抗議書を公表した。これがゲッティンゲン7教授事件である。このとき抗議書に署名した7人を「ゲッティンゲンの7人」という。ドイツ語では「Gottinger Sieben」と呼ばれている。西部劇「荒野の7人」がこれに影響されていはいないか真剣に考えているところだ。大学関係者が尊厳をかけて権力に抵抗する事件があると、これにちなんだ言い回しをされることがアメリカでも起きているから西部劇への影響も突飛とは言えまい。
この7人の中にグリム兄弟がいた。
世論は7人に共感したが、皆失職の憂き目にあう。グリム兄弟のライフワーク「ドイツ語辞典」は失職中に構想されたものだが、1840年プロイセン王フリードリヒ・ウィルヘルム4世によってベルリン大学に招聘される。
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