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    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

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    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

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2017年2月28日 (火)

ヴュルストハウス

ニュルンベルクの名物ソーセージ屋だ。「ソーセージ」のことをドイツ語では「ヴュルスト」という。ニュルンベルガーは大人の指くらいの形状をしたニュルンベルク特産だ。

旧市街にこれを食べさせる名物店がある。年末年始にぶつかったために賞味できなかった。悔しいので写真だけ。

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2017年2月27日 (月)

業務提携中

もはや説明不要な言葉だろう。

ニュルンベルクでファンショップを訪問した。ここで面白いグッズを見かけて購入した。

1本のタオマフなのに、2クラブ分が中央で折半されている。ニュルンベルクは当然として、今一つの片割れはオーストリアのラピドウィーンというクラブだった。ニュルンベルク単独のタオマフは持っているけれど、この折衷は面白いので入手した。

「なぜラピドウィーンなのか?」クラブがよい関係なのでと説明してくれた。隣国オーストリアのトップリーグの強豪だ。ひとまずは話のタネになる。

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2017年2月26日 (日)

第二副市長

4年前、次女の欧州公演に同行した際、演奏の翌日にニュルンベルク市庁舎を訪問した。一般開放されていない由緒あるホールに通されて、名誉ある時間を過ごした。このとき多忙な市長になりかわって、ホスト役を務めてくれたのが第二副市長のフルターさんである。公演の実現にも力添えいただいていた恩人でもある。次女と訪れた市庁舎で、子供目線におりながらあたたかい挨拶をいただいたこと、よく記憶している。

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その彼が2016年12月26日に逝去した。

お別れの会が30日にあると聞いたが、あいにくプラハに発った後になるから、せめて記帳をさせてもらうため29日に市庁舎を訪れた。せっかくだから長男も記帳した。ドイツ語が並ぶ中、漢字で署名したから目立つことは目立つ。その勢いで気持ちが伝わればいいのだけれど。

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本日は月命日、合掌。

2017年2月25日 (土)

チェコネタ膨張

今回の旅行のメインはチェコだったと書いた。まさにその通りだ。昨日の記事「DOT」をもってひとまず一段落させた。

実質1日半滞在しただけのプラハだというのにインパクトは相当なものだった。大学入学後、団備え付けのヴィオラで始まった初心者ライフが1年を過ぎたころバイトしてためて買い求めたヴィオラがチェコ製だったくらいしか縁のなかったチェコが脳みそに充満してきた。

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↑プラハ城内、ゴールデンゲート

27本の記事をチェコに捧げた。明日からまたドイツの記事に戻る。

2017年2月24日 (金)

DOT

昨日の「BOT」に続いてふざけちらしたタイトルだ。今日は「Dog of Tour」の略、つまり「旅一番のわんちゃん」だ。

ドイツもチェコも大型犬を連れて散歩している人が目立った。出会った中で最高の犬「DOT」にはプラハ中央駅で出会ったルナちゃんに決定だ。

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見ての通りの風格だ。こびない感じ。

2017年2月23日 (木)

BOT

「Beauty of Tour」くらいに定義する。「旅一番の美人」だ。旅の目的は「ビール」だとか「鉄道」だとかカッコをつけていても、そこは男子二人の旅である。

昨日の記事で「DBのキャップ」がおしゃれであるとはしゃいだのだが、それをかぶっていたプラハのバス停の改札係の女性を「BOT」に認定する。

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行きがかり上目隠しする。キャップがおしゃれに見えたのはこの人がかぶっていたからという説もある。マフラーのオレンジとブロンドの髪とのコントラストは完璧だ。気おくれしてしまって記念撮影をねだれなかった。

2017年2月22日 (水)

DBのキャップ

「DB」とはドイツバーン。民営化されているから日本で言うJRみたいなモンだとひとまず理解しておく。

JRも長距離バスを運行しているように、DBも長距離バスがある。ニュルンベルクとプラハを往復したのもDBバスだった。プラハ中央駅からニュルンベルクへの帰路、発車時間近くになって、運転手と車掌が現れ、やがてチケットを改める係員も姿を見せた。若いチェコの女性だと思われる。

寒い中バス停前で乗客のチケットを改める改札係だ。

キャップが大変おしゃれ。オレンジ色はDBのイメージカラーなのだが、この紺色との組み合わせがとても気に入った。キャップの中央「DB」のロゴが全体を引き締める。駅員さんや車掌さんは屋外での仕事ではないせいかかぶっていなかった。

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ドイツに戻って駅のグッズショップで、このキャップやマフラーが売られていないものか探したが見つからなかった。そりゃそうで、公的機関の制服なんぞ売られているはずもなかった。残念。

2017年2月21日 (火)

ルドルフィヌム

カレル橋を新市街に向けて渡っていると、左手下流側にルドルフィヌムが見える。

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見ての通りの威容だ。1885年に完成したコンサートホール。現在のプラハではスメタナホールと並ぶ双璧だ。チェコフィルの本拠地としても知られ、1896年には発足間もないチェコフィルがドヴォルザークの指揮で演奏会を開いた。

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この通り、エントランス前広場のヴァルタヴァ川よりにドヴォルザークの像が建つ。つまりは聖地である。我が家所有の「我が祖国」のCDのうちカレルアンチェル指揮のチェコフィル盤の録音場所がここルドルフィヌムになっている。ここでドヴォルザークやスメタナを聴いたらそりゃあ耳から鱗だろう。

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グッズショップもたいそうな貫録で、あきない。

2017年2月20日 (月)

ボヘミア王国

長男が集めたサッカーグッズの中に、FCボヘミアンズプラハというクラブのタオマフがあった。かの国のサッカー国内1部リーグには、首都プラハに本拠を置くチームが4つある。しょっちゅうプラハダービーがあるということだ。

そのうちのひとつが「ボヘミアンズプラハ」だ。

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言われてみて再認識した。さして強豪とは呼べないこのクラブが掲げる「ボヘミアンズ」という名称は、由緒正しいものだ。今でこそチェコ共和国だが、神聖ローマ帝国の枠組みの中で、ボヘミア王国は無視し得ぬ位置づけにあった。特にボヘミア王にして神聖ローマ皇帝のカレル4世の治世において絶頂期を形成した。昨年2016年は彼の生誕600年のメモリアルイヤーで、プラハにもニュルンベルクにも関連するポスターが目立った。

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2017年2月19日 (日)

カレル橋のヴァイオリン弾き

聞いてはいたが実際に出会えて感激。

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カレル橋の上でのパフォーマンス。雑踏の中清らかな音色に引き寄せられた。演目はなんとなんと「カヴァレリアルスティカーナ」間奏曲。思い入れのある曲だから心にしみた。とても寒いのが左手の手袋でわかる。開かれたヴァイオリンケースの中にコインがいくつかたまっている。コインを入れようと近づくとCDが目に入った。ジャケットを見て演奏者本人のCDだとわかったから即購入。10ユーロだ。内容はよくあるヴァイオリン小品集で、日本の店で見かけても絶対に買わないハズだが、チップ代わりに奮発したら、超よろこんでくれた。

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帰国後再生した。ヴァイオリンの音が太くて暖かい。定番が10曲ほどだがとても癒される。買ってよかった。

2017年2月18日 (土)

カレル橋

プラハ観光の基本。プラハの旧市街つまりお城がある側と対岸の新市街を結び1402年に完成した石橋だ。新旧市街を結ぶ橋としては長い間唯一のルートだった。

旧市街側の橋塔、欄干の聖人像など、見どころは多い。下を流れるのはヴァルタヴァ川別名モルダウであり、絵になる風景には事欠かない。

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↑岸辺から見たカレル橋。

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↑旧市街側の塔。

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↑12月31日にこの人出

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↑ひとまず絵になる。

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↑プラハ城を見あげて。

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↑こんな感じの聖人像。

2017年2月17日 (金)

ウィンウィンの関係

長男のサッカーグッズ収集の話題。

4年前のドイツ旅行の際、ニュルンベルクでドイツブンデスリーガ1部、ニュルンベルク対バイエルンミュンヘンを観戦した。このときスタジアムのショップでニュルンベルクのタオルマフラーを購入したことから、長男のタオマフ収集癖が始まった。

今回のドイツ旅行はこの続きと位置付けていた。

ところがである。仕事の関係で渡欧は年末年始にならざるを得ない。お目当てのグッズショップが営業しているのかが不安のタネだった。案の定スパルタクプラハの本拠地、ジェネラリアレナのファンショップは休業だった。12月30日の午後だから文句も言えないのだが、店内で従業員がいそいそと棚卸をしているのを見て、無念の気持ちが高まった。

プラハ市内、市庁舎近くの土産物ショップでスパルタクプラハのタオマフがまずまずの価格で売られておりこれをホクホク顔で購入した長男はようやく落ち着きを取り戻した。プラハに来た目的はこれでほぼ達せられたからだ。

ところが、ドラマはその先にあった。プラハ城観光を終えてカレル橋に降りる坂道の途中、石壁の前にワゴンを繰り出して土産を売っているおじさんがいた。あれこれゴッタ煮の品ぞろえの中に、サッカーのタオマフが山積みされている。長男の血の気が引いた。

むさぼるように掘り出しすと、出るわ出るわ。プラハに本拠をおく4つのクラブに加え、ピルゼンのクラブを加えた5チームとチェコ代表のもの計6本、価格を聞く前に購入と決めた。6本で65ユーロ、日本円で8190円と聞いた長男が呑み込めずにいる。6本で8190円だから1本1400円を切る。日本で海外物のタオマフを買おうと思えば3500円くらいはとられるから、この価格は驚異だ。しかもだ。さして強豪でもないチェコのクラブのタオマフなんぞ日本では絶対に売られていない。

次は露店の主人が驚く番だ。長男が6本全部くれといったからだ。長男にしたら、あるだけ買うというテンションである。主人の顔に「マジかよ」と書いてある。そもそもチェコの平均的な労働者の月収は1000ユーロくらいだと聞いている。一日33ユーロだ。そのおよそ倍を一人の客が払うのだから、露店の親父からすれば「今日は店じまい」というノリになっても不思議ではない。やけに機嫌よくおまけを奮発してくれた。

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長男からすれば、いいのがあればもっと買っていたはず。スペインの某有名クラブのタオマフもあったが、目もくれずにチェコのものだけを所望した。気のいい主人も長男も両方ハッピーのウインウイン関係だ。そもそもサッカーグッズはオフィシャルショップで買う限り、1つのクラブの分しか取り扱いが無いのが普通だ。5チーム分をそろえようと思ったら、ファンショップ5か所を訪問せねばならない。それが露店1箇所で全部そろったのは幸運を通り越している。

旅の醍醐味。

2017年2月16日 (木)

プラハでバッハ

城壁沿いにカレル橋に向かって舞い降りる坂の途中だった。大みそかだというのに結構な人出。大統領府へのセキュリティーチェックのせいもあり、かなりな人ごみの中、不意に覚えのあるメロディーが流れてきた。「G線上のアリア」だ。

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12月28日に出発して以来、3日ぶりとなったバッハ。「G線上のアリア」は、伴奏のないアカペラなのだが、骨太で清らかなバッハだった。

2017年2月15日 (水)

ハルスキ

プラハ2日目の朝つまり12月31日大みそか、あまりの寒さに長男は前日買ったばかりのスパルタクプラハのタオマフを首に巻いてプラハ城を散策した。これが吉と出た。大統領府のある本丸からゆるやかな坂を下りる途中の広場で露店を冷やかす中、とある露店の主人が、首のタオマフを目ざとく見つけて、長男に話しかけてきた。

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この人だ。何語で話したのか長男は意気投合したようだ。看板にあるハルスキという料理を「食べていけ」とばかりに差し出したそうだ。お金を取ろうとしない。チェコの家庭料理で、ジャガイモとキャベツとひき肉、見た目は「ジャーマンポテト」だが、味はザウアークラウトという説明がピッタリだ。

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ホカホカでまずは温まる。大みそかに日本からの訪問者、しかもスパルタクサポーターとあってのもてなしだろう。心もポカポカしてきた。

2017年2月14日 (火)

Dobrou Noc

「Dobrou Noc」はチェコ語で「おやすみなさい」だろう。まずは以下の写真をご覧いただく。

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「N」が大きく中央にある。これは英語、ドイツ語、チェコ語で共通だ。「Good Night」「Gute Nacht」と併記されているから同じ意味に決まっている。

チェコで宿泊したオペラホテルのベッドサイドテーブルに置かれていたチョコレートだ。地味におしゃれな上に、おいしかった。

何故本日この話題なのかは説明不要だろう。

2017年2月13日 (月)

衛兵交代

「衛兵交代」と言えば英国が有名だがプラハ城にもあった。

カッコいい制服を着こんだ衛兵は、みな同じ身長である上にイケメン。勤務中はみじろぎもしない。瞬きもしない感じ。それはそれで激務と見えて60分で交代だ。

交代の時間になると宮殿の奥から交代要員が並んで行進してくる。チャラチャラした動きではなくカクカクした動き。

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同じ帽子がほしくなった。

2017年2月12日 (日)

プラハ城

新市街地から見てモルダウ川の向こう側一帯の高台にある世界遺産。

プラハ観光の超目玉。市街地からカレル橋を渡った先にあるのだが、高台への上り坂を忌避して、高台の向こう側に行く市電にのって、プラハ城の背後から入場した。

市電を降りると長蛇の列。かなりの人出なのかと思ったらお城の入り口のセキュリティーチェックだった。バッグの中身を見られて金属探知機を当てられる。お城の内部が大統領府になっているせいらしい。

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さすが世界遺産。朝が早いせいか入り口の長蛇の列の割には内部はすいている。

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絶景の連続。見るものみなシャッターチャンス。

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このスタバ、世界一のロケーションに間違いあるまい。

2017年2月11日 (土)

プラハのお宿

プラハではオペラホテルに泊まった。

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外装は堂々たるものだ。価格もドイツに比べると割高。2人で200ユーロだった。26000円程度。一人当たり13000円だ。ドイツの三か所は高いところでも10000円少々だった。それでいてお部屋は狭い。清潔だったのは幸いだった。

ドイツとの比較において極端だったのは、朝食バイキングの内容だ。パン、チーズ、ソーセージの種類が貧弱だ。決定的な差。

しかししかし街のたたずまいはそれを補って余りある。歴史的建造物の存在感は、ドイツをしのぐ。

2017年2月10日 (金)

プラハのクリスマス

日本と違って12月30日だというのに、プラハ市街にはクリスマスツリーがあちらこちらに飾られている。夜になるとことさら美しい。

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これは市庁舎前だ。ツリーの手前はヤン・フス像のシルエット。あまりきらびやかでないのがそれっぽい。赤や青や緑の電球使用が禁じられているかのよう。

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聖ニコラウス教会の内部。

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プラハ城内にあったクリスマスの飾り。

2017年2月 9日 (木)

カテゴリー追加

すでにお気づきの諸賢も多いはずだ。

ブログ「ブラームスの辞書」は久しぶりにカテゴリーを追加した。「003ドイツ旅行②」と「592チェコ」だ。このほどの旅の記録をこちらにまとめた。従来の「002ドイツ旅行」は「002ドイツ旅行①」として存続させ、2012年春の初めてのドイツ旅行の記録を集約することとした。

チェコは今回の旅行の一部でしかないのだが、インパクトの大きさにより追加することとした。

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↑カレル橋の聖人たち

それからもう一つブログ運営系の報告。この記事はブログ「ブラームスの辞書」開設以来4321本目の記事である。

2017年2月 8日 (水)

車内検札

12月30日夕方、プラハ観光1日目を終えてホテルに戻るために地下鉄に乗った。発車間際になって乗ってきた男たちのうちの一人が、私に何かを示しながら「Ticketplease」と言ってきた。とっさに「車内検札」だと直感した私は、「OK」と言いながらすぐにチケットを提示した。

ニコッと笑って「サンキュー、グッドジャーニー、ノープロブレム」と言ってチケットを返してくれた。彼らの袖にはチェコ国鉄のロゴが縫い付けてあった。鉄道職員だったのだ。最初に見せてくれたのは身分証なのだろう。

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写真の左端がロゴ。

ここで不正が見つかれば相当な金額のペナルティを課せられていたはずだ。外国人観光客だとて容赦はされない。経済的なダメージに加え旅の印象が台無しになるところだった。

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地下鉄の駅名表示。

2017年2月 7日 (火)

発車ベル

列車の発車を知らせるベル。ドイツでは何の合図もなくスルリと発車するので注意が要る。だからチェコも似たようなもんだと思っていたら、これがとんだサプライズだった。

構内アナウンスの前にスメタナの交響詩「我が祖国」第一曲「ヴィシェフラド」の冒頭主題が流れた。名高いハープの旋律だ。冒頭4つの音。このモチーフこそが「我が祖国」全体を貫く根幹になっている。人呼んで「ヴィシェフラドの動機」だ。第二曲「モルダウ」の終盤にも現れるから、ご記憶の人も多かろう。

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これだけでチェコ感満載だ。天井の高い旧コンコースの雑踏に鳴り響くさまは「天上の響き」かと。一方地下に広がる新しいコンコースではこの旋律は鳴らないし、地下鉄の駅でも同様だ。プラハ中央駅の発車合図ではなくて、由緒正しい旧駅舎でのみ聴くことが出来る仕組みだ。

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2017年2月 6日 (月)

プラハ中央駅

ドヴォルザークの住まいはジトナ通り10番地だ。プラハ中央駅から歩いてすぐの場所。ドヴォルザークは機関車を見にゆくのに便利ということでプラハ中央駅の近所に住んだ。

我々がDBの高速バスで降り立ったのもプラハ中央駅だ。

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堂々たる風格。この建物の完成はドヴォルザークの没した後だが、構内はドヴォルザーク存命中と変わっていない。

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この感じはドヴォルザークが見たままのはずだ。足が震えた。

2017年2月 5日 (日)

聖ヨハネの急流

スメタナ作曲交響詩「モルダウ」の271小節目から「聖ヨハネの急流」に差し掛かる。333小節目で同名長調に転じて主題が再帰するまでがこれに該当する。音楽的には主題の再帰を準備する手順と解してよさそうだ。打楽器総動員やピッコロのキレキレの高音が印象深い。
スメタナ本人の詞書によれば、この「聖ヨハネの急流」を抜けるとヴィシェフラドに至るとある。やけに詳しい書き方から見て、この急流は実在するとみていいのだが、手持ちCDの解説書に残念ながらダム建設に伴う人造湖に沈んでしまったと書いてあった。

となると今度はその人造湖がどこなのかが気になる。

チェコの人造湖といえば、南部ブジェヨヴィツェの南西およそ40km、ドイツとの国境に沿うように横たわるリプノ湖が名高い。しかしここは、「モルダウ」の音楽の流れと合わない。源流を異にする2系統合流後でないといけない上に、狩猟や岸辺の結婚式よりも後、つまり下流でなければならぬ。狩猟や結婚式はどこでもできると言えばできるのだが、直感としてはリプノ湖では上流すぎるのだ。

源流を異にする2系統の合流は、ビール「バドワイザー」のネーミングの元となったブジェヨヴィツェ市内で起きているから、聖ヨハネの急流はそこよりは下流になる。

ブジェヨヴィツェより下流でプラハよりは上流のどこかでないと具合が悪い。候補はブジェヨヴィツェ北北西60kmのオルニク湖か、そこからさらに40km下流のスラピ湖のどちらかだ。最後の決め手はスメタナの詞書だ。「聖ヨハネの急流」を抜けるとほどなくヴィシェフラドに至るとするなら、後者、つまりよりプラハ・ヴィシェフラドに近いスラピ湖がふさわしい。

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スメタナのこうした詞書は実態に忠実だと思わねばならない。曲の理解を助けるための詞書がでたらめであるはずがない。これを読んだ聴衆が作品を聞いてなるほどと思うからこそスメタナの代表作に上り詰めたのだ。土地勘無視の記述は墓穴を掘るだけだ。

今、交響詩「モルダウ」の世界的な知名度を思うとき、この聖ヨハネの急流が現存していたら、大した観光資源になっていたことは確実だと思うと残念でならない。上の写真は、ヴィシェフラドから上流を望んだものだ。この方向およそ25km一帯に聖ヨハネの急流があるはずだ。

2017年2月 4日 (土)

我が祖国

「我が祖国」は、スメタナ作曲連作交響詩のタイトル。交響詩というジャンルはリストが考案したものだから、スメタナはリストからの影響を色濃く受け継いだ作曲家という認識は間違いとは言えない。ブラームスから見ればあちら側の陣営だ。

我が祖国全体を貫く郷愁は、チェコ人であれば共通のものらしい。モルダウは、それがある種の普遍性を獲得してしまっているかのようだ。

こうした音楽史の基礎知識が一瞬で吹き飛んだ。

念願だったドヴォルザークの墓参りを済ませてそぞろ歩くうちに、緩い坂道を上りヴィシェフラド城の城壁の上にただどりついた。

あまりの絶景に息を呑んだ。

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眼下にはあのモルダウ川。訳もなく脳内にモルダウが鳴り出した。目頭がみるみる熱くなってゆく。

モルダウ川からこちらを見ればおそらく「高い城」に見えるはずだ。「ヴィシェフラド」の地名そのままだろう。

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「我が祖国」という作品はこの絶景が基礎になっているとつくづく感じた。この同じ景色をスメタナもドヴォルザークも眺めたことは確実で、背後の教会に二人とも埋葬されている。

大げさでもなんでもなくモルダウ観を変えざるを得ぬ体験。

2017年2月 3日 (金)

備蓄中間点

ブログ「ブラームスの辞書」は、2005年5月30日の創立だ。その後しばらくして、2033年5月7日のブラームス生誕200年の記念日まで毎日更新を目標に据えた。開設当初1日に複数の記事を更新したこともあり、目標達成には10252本の記事が必要だ。

昨日までに4314本の記事を公開した。昨日、備蓄記事が812本に達した。合わせて5126本となる。つまり2033年5月7日のゴールに必要な本数の半分に到達したということだ。そのことを祝う記事を2019年4月25日に公開タイマーでセットした。

公開を進めるドイツ旅行のレポートに割り込んでまで触れておくべき吉事だ。

2017年2月 2日 (木)

モルダウ経験史

中学3年の秋に、クラス対抗合唱大会で歌ったのがモルダウ体験の始まりだった。ほどなくクラシック愛好家の常識として交響詩「モウダウ」に触れ、連作交響詩「我が祖国」の成り立ちを知識として吸収した。興味の中心はベートーヴェンであったにも関わらず、お気に入り側に属する曲だった。

大学入学後、ヴィオラを始めて、やがてブラームスに傾斜していったが、4年の現役の間に何度か定期演奏会の候補曲になったこともあり、ヴィオラのパートを中心に細部を研究した。
ヴィオラおいしくて難しいというのが当時の感想だ。フルートが走り出してヴァイオリンがピチカートを添える冒頭から数えて24小節目でG線第一ポジションの「H音」を放つ瞬間が大好きだった。せせらぎだったモルダウ源流が、深さと幅を増す描写とみて間違いあるまい。ほどなく16分音符単位での「C音」との交代による波立ちも始まる。
やがて練習番号A36小節目に至って、トライアングルのチャーミングな登場を合図に、冒頭のフルート主題を引き継いで、名高いヴァイオリンその他の旋律を準備する。このあたりヴィオラ冥利に尽きる展開だ。真打の旋律の下でずっと水面下の流れであり続ける快感は相当なものだが、難しくもある。
しかし、この程度が私のモルダウ体験の全てだった。

2017年2月 1日 (水)

念願の墓参

2010年9月から1年間、ドヴォルザーク特集を展開した。ブラームスほどではないけれど、ドヴォルザークだって相当好きなのだ。

今回のドイツ旅行にプラハ訪問を織り込んだのは、なんとしてもドヴォルザークの墓参りがしたいからだった。プラハ郊外ヴィシェフラドにある教会の懐深きところにドヴォルザークは埋葬されていると聞いていた。

プラハから地下鉄で15分くらいのところにあるヴィシェフラド駅で降りろと案内のお姉さんに告げられた。地下鉄の駅になっていたのかとまずは軽い感動。駅まではスムースに着いたが、案内らしき案内はない。プラハは東欧にあってはそこそこの観光地なのだが、案内表示の不備には困惑した。仕方ないから通りがかりの人に「片言の英語」で尋ねると、手を伸ばして「ゴーストレート」と教えてくれた。

瀟洒な住宅街と思しき小道を進むこと10分で、城門があった。どうやらこの中らしいが、何せチェコ語では雲をつかむような話だ。「教会の境内」という情報をもとに案内図に中にそれらしきエリアを発見し歩くことにした。万国共通の「i」という標識の建物に飛び込んで、「ドヴォルザークの墓」と尋ねると、ここをまっすぐと言われ、簡単なパンフを見せられた。境内見取り図で、著名人の墓が記載されている。日本円で50円くらいなので記念にと買い求めた。

先にスメタナの墓が見つかった。墓碑には「モルダウ」の冒頭2小節の第二フルートのパートが刻まれている。いやいやこみあげてくる。

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さらに奥に進む。

壁際の屋根で覆われたところにドヴォルザークの墓があった。

柵があって近づけないのがもどかしい。柵の外から手を合わせた。なんだかなんだかジーンときた。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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